福島

会津若松

AIZUWAKAMATSU

白虎隊だけではない、長い歴史と伝統工芸の息づくまちで人のやさしさに触れる

会津といえば、白虎隊や新選組、後世に名を残した幕末の志士を思い浮かべる人が多いだろう。しかし鶴ヶ城城下町である会津は、幕末の歴史以外にも綿々と受け継がれてきた伝統と文化、工芸品、郷土料理、古刹を巡る仏都としての一面など魅力の多い地域だ。千利休の子、少庵作といわれる鶴ヶ城の茶室、パリ万国博覧会に出品された会津塗りや家具を展示している老舗工芸品店、商家の蔵や元陣屋を改修したレストランなど、恵まれた風土と地域に培われた伝統や豊かな歴史文化に満ちあふれている。もちろん白虎隊の眠る飯盛山、会津の武士道や精神文化を育んだ会津藩校日新館や会津武家屋敷など、会津を代表する歴史スポットもはずせない。また山間の風情あふれる東山温泉は文化人のお気に入りとして知られ、川のせせらぎに溶ける湯浴みは日々の疲れも癒やされる。さらには新感覚のカフェやライフスタイルを提案する雑貨ショップが次々とオープンして新しい会津を盛り上げている。古き良き伝統とモダンを盛りだくさん発見できる会津で心豊かな旅を楽しみたい。

recommend spot

エリアの見どころ

  • spot 01
    鶴ヶ城
    戊辰戦争の舞台となった名城であり歴史を感じる豊かな表情が魅力
    赤瓦の天守閣は国内唯一であり会津若松市民のシンボルである。東京ドーム6個分の敷地で、現在は国の史跡に指定されている。青空に映える姿は凛々しく会津の歴史を今に伝える。
    うっすらと赤い瓦が上品。震災にも耐えて地元に愛され続けている
  • spot 02
    福島県立博物館
    有形無形文化遺産の集大成、全国3位でっかい福島の魅力を知る
    福島の歴史と自然、文化遺産をさまざまな角度から自由に学び、文化財から地域の伝統までいろんな発見が楽しい。体験や人々の交流を通じて豊かな教養を培う場所であり、堅苦しくなく居心地の良い空間が魅力的。
    ダイナミックな展示に圧倒されて楽しく見学できる
  • spot 03
    会津松平氏庭園 御薬園
    歴代藩主の愛した庭園巡りは日常を忘れるひととき
    会津代々の藩主の別荘であり薬草園が併設されていたため「御薬園」(おやくえん)と呼ばれ親しまれている。庭園には四季の花が咲き誇り、訪れるごとに景色の色彩が借景の風情をいっそう深める。
    池の周りは散策してもしばらく眺めていても心休まる
  • spot 04
    七日町通り&野口英世青春通り
    城下町の通りをそぞろ歩き。新しい楽しい会津を発見する
    七日町駅から大町四ツ角までの七日町通りは毎月7日に市が立ったことから名づけられた。城下町の中心で、南北には野口英世の学んだ建物が残る野口英世青春通りが延びる。古い建物を利用した店が並び、街歩きが楽しい
    野口英世像。母シカが英世の火傷治療のため月参りした中田観音の方角を向いている
  • spot 05
    福西本店
    国登録有形文化財の蔵と住まいでホンモノの会津と出合える
    江戸時代から300年続いた大商人の福西家が、8代(明治)、9代(大正)、10代(昭和初期)の親子3代で建てた蔵と商家建築。長年秘蔵されていたが、2018年(平成30)に一般公開された。6つの蔵のうち、野口英世青春通りに面した袖蔵、店蔵、炭蔵の3棟は大変手間のかかる黒漆喰で、黒光りする外観が福西家の財力を物語っている。一番奥にある座敷蔵は30畳の広間から庭園が一望でき、貴重な孔雀杢(くじゃくもく)の黒柿が床柱に使われたぜいたくな造り。母屋の蔵をリニューアルしたギャラリーでは、四季折々の絵画や陶芸、ガラスなどの展示会が開かれている。通り正面の店蔵は、店長こだわりのセレクトショップで、会津のお土産はもちろん、2階で開かれる手仕事の個展も楽しい。
    受け継がれた大富豪屋敷の面影を感じさせる外観
  • spot 06
    はしばん絵ろうそく店
    創業250年、絵付け体験もできる絵ろうそくの老舗
    紅のツバキや梅、薄ピンクのアサガオなど色とりどりの花が一本一本の和ろうそくに施されている。はしばん絵ろうそく店は会津一賑やかだったといわれる七日町通り(なのかまちどおり)に店を構える老舗。会津の絵ろうそくは藩主、蒲生氏郷(がもううじさと)が商業を奨励して始まり、この店の主人は絵ろうそく作りを命ぜられて登城していたという。\和ろうそくは芯を巻くのもロウがけをするのも手作業のため完成まで時間がかかる。かつてロウにはうるしの実が使われていたが、今ではハゼの実を使う。火を灯すと一般的な洋ろうそくとは明らかに違う、和ろうそくならではの赤みのある、ゆらぎの炎(f分の一)に癒やされる。ろうそくの歴史展示もされており、ろうそくを選びながら、ろうそくにまつわる話を聞くのもおもしろい。ろうそくは匁(もんめ。1匁は3.75g)表示で、燃焼時間は3匁で90分、5匁で2時間ほど。予約により、工房横で絵付け体験もできる。
    同じ絵柄に仕上げるのは伝統技術のひとつで職人技
  • spot 07
    福西惣兵衛商店
    生活に溶け込む会津塗は伝統とモダンを兼ね備え進化し続ける
    会津に漆器が産業として根付いたのは、初代会津藩主の蒲生氏郷(がもううじさと)が、故郷である近江の国(今の滋賀県)から、木地師などの職人を連れてきて奨励したのが始まり。以来、会津塗は400年余りにわたり歴代藩主の保護育成を受け、会津地方の代表的産業として受け継がれてきた。福西漆器店は、大正時代の大商家福西本店から初代惣兵衛が1919年(大正8)に分家し、会津塗の製造、問屋として発展した。現在は最新の工業技術も取り入れ、伝統的漆器からスタイリッシュなアイテムまで幅広くそろえている。奥には1883年(明治16)建築の座敷蔵があり、その2階は漆器ギャラリーとして公開。街の中心大町四ツ角からすぐの七日町通りにあり赤黒の暖簾と赤い柱が目印。
    2階へ続く蔵の入り口が伝統的で老舗らしい
  • spot 08
    野口英世青春館
    野口英世が医学を志すきっかけとなった会陽医院跡
    英世は1歳のときに左手に火傷を負い、15歳のときにこの会陽医院で不自由だった手の手術を受けた。医学のすばらしさに感動した英世は、医学者への道を決意し、書生としてこの場所で3年間を過ごした。現在は、1884年(明治17)に建造された洋館をそのまま残し、刻苦勉励したという2階の部屋を資料館として、野口英世の功績などを展示している。また1階のカフェ「会津壹番館」は、ゆったりと落ち着いた雰囲気で、昔懐かしい手動のレジスターや古典的なスピーカー、レトロな家具に囲まれて自家焙煎の香り豊かなコーヒーを楽しめる。「野口英世青春通り」のアイコン的な建物で、近隣に英世が洗礼を受けた「若松栄町教会」、英世の初恋の人「山内ヨネの家」があるので合わせて立ち寄りたい。
    昔のままの外観は古民家風で、居心地の良さそうな雰囲気
  • spot 09
    名物カツ丼の店・白孔雀食堂
    甘いタレが特徴の会津伝統のソースカツ丼はクセになるおいしさ
    子どもからお年寄りまで幅広く地元会津の人々に親しまれているソースカツ丼。2004年(平成16)には町の食堂が集まり「伝統会津ソースカツ丼の会」が結成された。よく目立つ黄色いのぼりが加盟店の目印で、なかでも1945年(昭和20)創業の白孔雀食堂のメニューはソースカツ丼のみ。築100年を超える建物の外には毎日昼になると行列ができる。丼から巨大なカツのはみ出るソースカツ丼は、白米の上にキャベツが敷いてあり、創業から継ぎ足しの秘伝のタレが自慢。コメとキャベツは地元産で、厳選された上質ロース肉から脂身を落とし自家製のラードを作り揚げ油として利用している。揚げたカツを秘伝のタレに一気に浸け込むときにうまみがギュッと凝縮し、ご飯とキャベツの上に2枚載せれば伝統のソースカツ丼に。カツ1枚だけのハーフサイズもある。
    カツを頬張ると甘いソースが口に広がり、ご飯もおいしい
  • spot 10
    田季野
    江戸時代そのままの旧陣屋の建物で会津伝統料理をいただく
    七日町通りから小径に入った場所にあるわっぱ飯の元祖「田季野」の外観は、そこだけ趣を異にしている。風格ある建物は、宿場町にあった陣屋を移築・復元したものだ。店内は提灯型の明かりから温かい光が注がれ落ち着いた雰囲気。現在、会津若松市内にはわっぱ飯を提供する店が数軒あるが田季野の店主がわっぱ飯を考案したのは1970年(昭和45)のこと。檜枝岐村(ひのえまたむら)で500年以上の歴史をもつ伝統工芸品「木の曲げわっぱ」と出合い、会津の食材を使った料理を入れてみようと思いついたという。檜を曲げた輪箱(わっぱ)に会津米と食材を入れて蒸し上げる田季野のわっぱ飯は、キノコやゼンマイなどの山の幸と、鮭、カニ、イクラなどの海の幸からお好みを選べる。特に「よくばりわっぱ」に前菜として添えられる「馬肉のけっとばし」は、馬肉とゴボウを自家製のニンニク味噌で炒めたものでおいしい珍味。ほかにも会津会席料理や会津田楽などがメニューに並び地酒も豊富にそろっている。
    丸い形、木のぬくもり、温かいご飯にほっこり(よくばり輪箱【7種】2530円)
  • spot 11
    渋川問屋
    明治大正期の海産物問屋の繁栄を今に伝える会津郷土料理の店
    渋川家は明治初年に創業した海産物問屋。七日町通りに面して建つが、このエリアは会津と他地域を結ぶ街道が複数通る交通の要であった。日本海で獲れたニシンや棒タラなどの海産物を新潟県から阿賀川(新潟県の阿賀野川が福島ではこう呼ばれる)を利用し船で運び、会津一円に供給した。最盛期には50人余りの使用人が働いていた。現在の敷地は250名を収容する広さで、大きな囲炉裏のある大店「大漁の間」、ロマネスク調の洋風レストラン「開化亭」など当時の面影を残した郷土料理の食事処として人気。海産物問屋ゆかりの料理のほか、会津牛など昔懐かしい商家の味を楽しめる。重厚感のある洋風建築の建物は、明治時代から大正時代に建てられた豪商町屋建築の遺構として貴重であり、福島県建築文化賞特別賞など多くを受賞、歴史的景観指定建造物に指定された。
    七日町通りでもひときわ目立つ大きな店構え。店の中はもっと広い異空間
  • spot 12
    会津日新館
    白虎隊の少年たちも夢いっぱいの未来ある日新館の生徒だった
    江戸末期、会津の教育の真髄となった全国屈指の藩校。新島八重の実兄・山本覚馬など後世に名を残す逸材を輩出した。現在は静かな高台にあり会津盆地を一望する爽快な景色に迎えられる。
    入り口付近は会津盆地が美しく絶好の撮影スポット
  • spot 13
    飯盛山(白虎隊十九士の墓)
    霊山として崇められた信仰の山が歴史に残る物語の舞台に
    会津にとって戊辰戦争はまさに悲劇。朝敵の汚名を受け、それでも義のために戦い抜いた末、多くの命が絶たれ尊い血が流れた。飯盛山から望む会津盆地の美景は若き志士たちの忠義と重なり手を合わさずにはいられない。
    飯盛山からわずかに見える鶴ヶ城天守閣
  • spot 14
    白虎隊伝承史学館
    子孫が寄贈したリアルな遺品が明治維新の実像を伝える
    飯盛山への旧参道の入り口にあり、館内には白虎隊や会津藩士の遺品、武具、写真、当時の婦女子が使用した化粧道具など5000点が、所狭しと展示されている。先代が後世に残すために関係ご子孫から20年という歳月をかけてていねいに収集した手作りの個人ミュージアムだ。先代亡きあとは夫人の鈴木禮子(すずきれいこ)さんが遺志を継いで館長として案内を続けている。白虎隊の隊員一人ひとりに関する詳しい資料のほか、POPの解説など掲示資料はほとんど手書きで、ご主人の熱意とぬくもりが伝わる。鉄砲や砲弾、会津藩の無念の遺品や写真など真実味にあふれ、偽りのないリアルな情報が満載で見ごたえ十分。また喫茶「伝承茶屋」で夫人がもてなす手作りの甘味やおにぎりは、まごころがあふれ心温まるおいしさ。夫人は会津民話の語り部でもあり、会津弁が耳に心地良い。
    戊辰戦争の遺品の数々は熱意と努力の証で、ほかにはない見ごたえ
  • spot 15
    白虎隊記念館
    戊辰戦争で散った白虎隊や会津藩の歴史を学べる民営の資料館
    幕末の戊辰戦争で若い命を散らした会津藩の白虎隊。その自刃の地である飯盛山の麓に、会津若松出身の弁護士・早川喜代次(はやかわきよじ)が、白虎隊をはじめとする会津藩の歴史を後世に伝えたいという想いから、1956年(昭和31)に私財を投じて造った民営の資料館だ。白虎隊関連の資料では、12歳で鶴ヶ城の籠城戦に参加した画家・佐野石峰(さのせきほう)筆の『白虎隊自刃の図』や、飯盛山で自刃した津川喜代美(つがわきよみ)、自刃前に隊からはぐれて生き延びた酒井峰治(さかいみねじ)の手記などが見どころ。当時の悲惨な歴史や隊員たちの無念を思うと涙を禁じえない。ほかにも、戊辰戦争に関するさまざまな史料やジオラマなどの展示物、9代会津藩主松平容保(まつだいらかたもり)公、松平照(まつだいらてる)、萱野権兵衛(かやのごんべい)、横山主税(よこやまちから)、北原雅長(きたはらまさなが)、新島八重(にいじまやえ)ら会津藩関係者の史料、新撰組の近藤勇(こんどういさみ)や西軍総督岩倉具定(いわくらともさだ)といった有名諸将、文人の徳富蘇峰(とくとみそほう)や『荒城の月』の作詞者・土井晩翠(どいばんすい)など同館の創立者と親交のあった人物ゆかりの品など、約1万2000点を展示。会津若松の歴史や文化を深く学べる場となっている。
    白虎隊記念館の外観。右に立つのは生存者の1人である酒井峰治(さかいみねじ)と愛犬クマの銅像
  • spot 16
    旧滝沢本陣
    刀傷や弾痕が生々しく残る白虎隊出陣の地
    江戸への主要な街道であった旧白河街道(きゅうしらかわかいどう)沿いに位置し、参勤交代や領内巡視などの際の会津藩主の休息所として、江戸時代初めの延宝年間(1673-1680年)に滝沢組郷頭(ごうがしら)であった横山家(よこやまけ)に設けられた。幕末の戊辰(ぼしん)戦争の際には総大将が指揮をとる本営となり、1868年(慶応4)8月22日、藩主・松平容保(まつだいらかたもり)が白虎隊士中二番隊に、約10km離れた戸ノ口原(とのぐちはら)への出陣を命じた場所でもある。茅葺きの屋根に覆われた書院造りの建物は、国の重要文化財に指定。殿様がくぐった「御入御門(おいりごもん)」や、着座した「御座の間(ござのま)」などが当時の姿のまま残され、また歴代藩主の愛用品、藩主専用の風呂や手洗い所、参勤交代の道具類、古文書なども保管、展示されている。建物のあちらこちらに刀傷や弾痕があり、当時の戦いの痕跡をとどめる。かつて悲惨な戦争があったことを生々しく実感させる場所だ。
    殿様がくぐった御入御門(おいりごもん)
  • spot 17
    会津さざえ堂
    お堂の上りと下りで同じ道を通らない、なんとも不思議な参拝
    飯盛山の観音堂である「さざえ堂」は、江戸時代より会津地方の信仰の礎として参拝に訪れる人があとを絶たない。二重らせん型の木造建築物は世界で無二であり、その魅力もミステリーも日本遺産となって後世に伝えられている。
    異彩を放つ外観からも二重らせん状だとわかる。サザエに見えるかどうか
  • spot 18
    会津武家屋敷
    城下町にあった武家屋敷を見事に再現したサムライの歴史館
    広大な敷地に、武士の住まいと暮らしをリアルに再現。建物や家具、調度品などが再現され、会津藩士と家族の暮らしに触れられる。重要文化財にも見ごたえがある。資料館や美術館にも立ち寄ってどっぷりと会津に浸かりたい
    武士社会の姿を今に伝える広大なサムライ歴史ワールド
  • spot 19
    伊佐須美神社
    太古の昔、会津の地名を生んだ東北を代表する格式高い名神大社
    2000年以上もさかのぼり古事記に由来する古神社は、東北地方ではここだけといわれる。太古の朝廷による全国平定の折に、会津地方が古代大和の北限だったゆえに神を祀る場所に選ばれたのではないかと推測される。
    東北有数の格式高い神社として崇拝され続けてきた
  • spot 20
    東山温泉
    会津奥座敷の魅力、豊かな自然が織りなす湯川の渓谷美
    会津若松の中心街から近い一方、美しい自然に囲まれた、古い歴史をもつ全国的にも珍しい名湯。明治の歌人・与謝野晶子に愛され、「湯の川の第一橋をわがこゆる 秋の夕べのひがしやまかな」の歌碑が残されている。
    せせらぎとともに湯川沿いを歩くと、立ち並ぶ風情ある宿に温泉街の歴史を感じる
  • spot 21
    会津東山温泉 原瀧
    川底から湧き出る自家源泉がうれしいぜいたくな日帰り温泉
    東山温泉でも珍しい源泉が川底から湧き出る、いっさい手の加えられていない自家源泉保有の宿で、地元に愛され続けてきた湯。露天風呂は源泉100%かけ流しで本物の湯浴みを満喫できる。温泉街としては大正時代の頃から賑わい、社交場として人気があったという。ここ原瀧には千人(大勢)も入れるほどの大きなお風呂があり、大浴場は「千人風呂」と名づけられた。露天風呂は川のせせらぎと対岸に迫る四季の渓谷美、滝の流水音に心も体もほぐれて、湯浴みは思わず「ああ……」と癒やされる。趣の異なる4つの湯船がある貸切展望風呂を利用して良質な湯を独り占めにすれば、ぜいたくな至福のときを満喫できる。東山温泉には日帰り温泉を楽しめる宿がほかにいくつもあるので、それぞれの歴史やお風呂からの景色を楽しめる。
    爽やかな空気と温泉の豊かさを心ゆくまで味わえる
  • spot 22
    末廣酒造と蔵喫茶杏
    老舗酒蔵で会津の地酒と仕込み水で淹れた香り高いコーヒーを
    日本全国、そして福島にもたくさんの酒蔵があるが、訪ねてこんなに楽しい酒蔵はそう多くはないだろう。会津若松市街の中心にあるこちらの末廣酒造は、建物のほとんどが登録有形文化財に指定されながら、今も酒造りを行っており、見学することができる貴重な観光スポットだ。
    昔ながらの造り酒屋のたたずまいを残す末廣酒造。手前が主屋(おもや)、奥が酒蔵
  • spot 23
    満田屋
    手作り味噌と炭火の香りに癒やされる「会津みそ田楽」
    「みそ田楽」は、田植えのときなどに行われた田楽舞いの演目で、一本足の竹馬のようなものに乗り曲技をする姿が、豆腐を串に刺した形に似ていることからその名が付いたとされる。会津のみそ田楽は、赤味噌に砂糖、薬味を練り込んだ濃厚なタレが特徴だ。
    「みそ田楽コース6品セット」1700円(奥左から「おもち」「さといも」「とうふ生揚」「身欠にしん」「しんごろう」、手前が「こんにゃく」)
  • spot 24
    昭和なつかし館
    古きよき昭和30年代にタイムスリップ!
    会津若松市の七日町通り(なのかまちどおり)沿いにあるアンティークショップ「骨董倶楽部(こっとんくらぶ)」の2階に、2003年(平成15)オープン。フロアが丸ごと昭和30年代の街角を再現した空間になっている。1階で入館料200円を払い、傾斜の急な木の階段を上がり切ると、そこはもう別世界。夕暮れをイメージした薄暗い路地には、すし屋、タバコ屋、銭湯、写真館など10店舗がひしめき合う。当時生まれていない人でも思わず「懐かしい!」と口に出してしまうのでは。行き止まりにある家は館長の自宅という設定。中央の茶の間「癒しの間」にある家具や小物はすべて実際に使われていた本物だそう。白黒テレビには、鉄腕アトムなどの懐かしい映像が映し出されている。片隅にあるジュークボックスも現役で、お金を入れると昭和の歌謡曲が流れる。「貧しくても心が豊かだった昭和30年代の空間を再現したい」「本物にこだわりたい」という今は亡き館長の想いで造られた、約53平方メートル(16坪)の等身大ジオラマ空間。ここにたたずんでいると、平成や令和で失った大切な何かを思い出しそうだ。
    今は珍しいタバコ屋や理容店の看板、ピンク電話など昭和のアイテムがズラリ
  • spot 25
    会津料理鶴井筒
    築120年を超える豪商の邸宅で会津伝統のもてなし料理を
    せっかく会津に来たのなら、会津らしい場所でゆっくりと過ごしたい。そんなときにうってつけの場所がここ。観光名所である会津武家屋敷のすぐ隣。威風堂々とした建物は歴史ミュージアムのようだが、れっきとした飲食店である。その建物は会津の大地主の邸宅だった古民家。そこで供されるのは伝統的な会津のもてなし料理だ。
    奥会津の造り酒屋の邸宅を移築。「鶴井筒」という店名は、その造り酒屋の酒の銘柄から取っている
  • spot 26
    会津藩主松平家墓所 院内御廟
    会津を治(おさ)めてきた歴代藩主が眠る杜(もり)を歩く
    会津を旅していると、必ずといっていいほど訪ねるのが会津藩主・松平家ゆかりのスポットだ。しかしどんな藩主がいたのか思いを馳せる人は少ないかもしれない。そんな人は、歴代の藩主が眠るこちらの墓所に一度足を運んでみてほしい。深い杜のなかに居並ぶ墓石を目の前にすれば、長年この地を守ってきた藩主たちの想いを感じられるだろう。
    院内御廟への入り口の門は結界のよう
  • spot 27
    会津路菓子処白虎堂
    和と洋が調和した古くも新しい銘菓の数々
    1908年(明治41)に初代・斉藤清(さいとうきよし)によって創業された老舗菓子処。白壁と瓦屋根の店舗は会津若松城にも近い市街地の中心部にある。店名はもちろん幕末の志士・白虎隊から。餅米から作る水飴を使った「白虎あめ」の販売から店の歴史は幕を開けた。現在は4代目の斎藤信太郎(さいとうしんたろう)さんが中心となって店を切り盛り。今でも創業当時の飴の箱を大切に使い続けるなど伝統を大事にする一方、季節の果物のコンポートなど新しいことにも挑戦している。看板商品は多数あるが、おすすめは、まず創業当時の味を引き継ぐ「白虎あめ」(1個税込98円)。固いゼリーのような歯ざわりと素朴な甘さは今なお多くのファンの心をつかむ。スライスアーモンドがたっぷり入ったクッキー「あいづじょっこ」(1枚税込130円)は、バニラとココアの2種類あって、どちらを選ぶか迷うところ。目上の人へのお土産には洋酒香る和風クッキー「万葉集 会津嶺の歌」(1枚税込98円)が喜ばれそうだ。大福やケーキなどの和洋生菓子も数多く取りそろえているので、観光の合間の小腹満たしにもうってつけだ。
    上から「あいづじょっこ」「万葉集 会津嶺(あいづね)の歌」「白虎あめ」
  • spot 28
    くるくる軒
    白べこラーメン発祥の店でポタージュ風の濃厚なスープを味わう
    会津のご当地ラーメンとして注目されている白べこラーメン。牛乳を使った白いスープが特徴で、会津若松市街の17店舗がそれぞれ趣向を凝らした一杯を提供している。白べこラーメンの発祥とされるのが会津若松市役所近くのラーメン店「くるくる軒」。1982年(昭和57)の創業時、店主の星康治(ほしやすじ)さんが「ほかの店と差別化するためにスープに牛乳を入れた」のがきっかけだ。以降、ほかの店にもじわじわと広がり、2015年(平成27)には「白べこラーメンを広める会」が発足するなど地元に根づいた。元祖の一杯(同店では「会津牛乳らーめん」)は、見た目は見事に真っ白。コーンが雪の中に咲くタンポポのようだ。スープはとろりとポタージュのよう。鶏ガラをベースに、あごだしと煮干しでしっかり出汁をとっているからだ。麺はスープによくからむ中太の縮れ麺。具はほかにタケノコ水煮が入っているが、その理由は「支那竹では牛乳にあわないから」だそう。ほかにも「うまにらーめん」「焼き肉らーめん」「から揚げらーめん」など店主こだわりのラーメンメニューは数多いが、まずは噂の白いラーメンをご賞味あれ!
    白べこラーメンの元祖「会津牛乳らーめん」。コーンをすくうスプーンが付いてくる
  • spot 29
    會津酒楽館 渡辺宗太商店
    旅の思い出を味わい深くしてくれる珠玉の1本をお土産に
    全国新酒鑑評会において数多くの金賞を獲得する日本有数の酒処、福島。なかでも会津地方には個性豊かな酒がそろう。お土産にどれがいいか迷う!という人はこちらのお店へ。地酒のプロがオススメの1本を選んでくれる。
    会津の地酒がそろう。渡辺宗喜(わたなべそうき)会長の会津よもやま話も楽しみのひとつ
  • spot 30
    鰊屋敷太田
    ニシン料理のフルコースを江戸時代の豪農の屋敷で
    会津とニシンは切っても切れない関係だ。雪深い会津では、かつて冬の貴重なタンパク源として、北海道から北前船で運ばれた身欠ニシン(ニシンを乾燥させたもの)を、新潟から阿賀野川経由で得ていた。それを使ったニシン料理が、会津では数多く生まれている。そんなニシン料理を、風情ある民芸調の店内で食べさせてくれるのが、市役所の北の会津北嶺高校近くにある「鰊屋敷 太田」。地元で古くから続く鮮魚・仕出し店が営む。メニューはそばの単品のほか、数種類の料理を一度に味わえるセット・御膳類なども豊富。オススメは、ニシン料理を味わい尽くせる、その名も「鰊御膳」だ。自家製の「鰊山椒漬」に、手打ち十割そばに身欠ニシンを載せた「鰊そば」、ニシン山椒漬けを載せたご飯のほか、会津地方の名物天ぷらまんじゅう、棒タラ煮、具だくさんの煮物こづゆなど、会津郷土料理のレギュラー陣も勢ぞろい。さすが魚のプロだけに、ニシン料理には臭みがいっさいなく、味つけも素材を生かす絶妙な塩梅。一杯無料サービスの会津の地酒とともに楽しんでほしい。
    ニシン料理だけでなく、饅頭の天ぷらやこづゆなども楽しめる「鰊御膳」2530円
  • spot 31
    立木観音(恵隆寺)
    ベールに包まれた巨仏と至近距離で対面できる
    奈良や京都と並ぶ仏都と称される会津。古寺というと山奥にあるイメージだが、会津若松市街から車でアクセスしやすい町なかにある寺も多い。そのひとつが「立木観音」こと金塔山恵隆寺(きんとうざんえりゅうじ)だ。
    通常は幕が下げられており観音像を直接拝むことはできない
  • spot 32
    鳥追観音(如法寺)
    仏都会津の祖・徳一菩薩(とくいつぼさつ)ゆかりの三大寺のひとつ
    縁起は730年(天平2)、高僧・行基(ぎょうき)菩薩が会津を巡礼の折、子に恵まれず鳥獣害による不作に苦しんでいた農夫を憐れみ、念持仏である聖観音を授けたことに始まる。その聖観音が自ら鳴子の綱を引き、鳥や獣を追い払い、やがて子にも恵まれ五穀豊穣となった霊験から「鳥追観音」と呼ばれるようになった。時代は下り、807年(大同2)に奈良の都から来た仏都会津の祖と呼ばれる徳一菩薩が、聖観音のお告げにより現在地に金剛山如法寺(こんごうさんにょほうじ)を開創。以来、徳一菩薩ゆかりの「三大寺(磐梯の慧日寺、湯川の勝常寺、野沢の如法寺)」のひとつとして庶民の信仰を集める。ちなみに観音堂は東南西の三方に参拝口のある独特な構造をしており、これは東口から入って鳥追観音に祈願し、西口から出ると、誰もが「西方浄土」へ安楽往生できるという鳥追観音の誓願を表す日本唯一の御堂である。また「身代りなで仏」をなでて祈願すれば、ころりと大往生が叶うことから、「会津ころり三観音」のひとつとして日本遺産に認定された。なお、御堂の彫刻には左甚五郎作と伝わる「隠れ三猿」があり、すべて見つけると幸運が訪れる(福まさる)として有名である。境内には県天然記念物の高野槙(こうやまき)の老樹が静かにそびえ立ち、由緒正しき古刹の風情を醸し出す。四季折々に趣ある会津屈指の観音霊場である。
    東南西の三方に参拝口のある特殊な構造で全国唯一の観音堂。写真は東口
  • spot 33
    中田観音(弘安寺)
    病で亡くなった姫を供養するために作られた観音像が本尊
    鎌倉中期の1274年(文永11)に、江川常俊(えがわつねとし)という長者の一人娘、常姫(つねひめ)が病に臥(ふ)せ、帰らぬ人となった。常俊はその死を悼み、菩堤(ぼだい)を弔うために、十一面観世音菩薩像を鋳造し、愛娘の心が宿る同地に納めたのが起源とされる。その5年後の1279年(弘安2)には、富塚伊賀守盛勝(とみつかいがのかみもりかつ)が伽藍(がらん)を造営し、弘安寺(こうあんじ)と称され、縁結びのご利益があると伝えられている。なお、常姫に関する地元の伝承話では、常姫と同じ大きさの観音像を作ったとされるが、寺にある像は1m87cmだからかなりの大柄だ。また、会津が生んだ医聖・野口英世の母シカが深く信仰し、息子の立身出世を願い、毎月17日の月詣(つきもうで)を欠かさなかったという逸話も残る。観音堂にある「だきつき柱」に抱きつき祈願すれば、その想いが成就されるとして、今も多くの人たちの信仰を集める。会津三十三観音第30番札所で、「会津ころり三観音」のひとつにも数えられる。
    十一面観世音菩薩(じゅういちめんかんぜおんぼさつ)が安置されている観音堂
  • spot 34
    祈りの里 会津村
    巨大な観音様が見守る自然豊かで風情あふれる日本庭園
    会津若松をドライブしていると、ランドマークのようにそびえ立つ巨大な白い仏像に気がつくだろう。気になった人はぜひ足を運んでほしい。そこには祈りと癒やしの空間が広がっている。
    「龍神池」より会津慈母大観音像(あいづじぼだいかんのんぞう)を拝む
  • spot 35
    お座トロ展望列車
    2両編成のトロッコ+お座敷・展望列車で行く絶景の旅
    鉄道ファンならずとも心が躍る、ダイナミックな渓谷美を楽しめる特別列車。お座敷席、展望席でゆったりくつろぐのも良し、窓なしのトロッコ席から風を受けて大自然を感じるのも良し。
    車窓からの美しい景色がずっと続く楽しいイベント列車
  • spot 36
    芦ノ牧温泉
    山ふところに抱かれた渓谷美の温泉地で湯巡り、足湯巡り
    会津若松市中心地から車で約30分、千数百年の歴史をもつ山に囲まれた温泉地。『鬼滅の刃』に登場するシーンにそっくりだと話題の老舗宿(大川荘)のラウンジを見に訪れる観光客も多い。
    自然に囲まれた大川渓谷沿いに宿が並ぶ
  • spot 37
    金山町の天然炭酸温泉
    のどかな田舎の景色と泡の弾けるサイダー温泉でリフレッシュ
    2022年(令和4)10月1日に全線復旧したJR只見線と只見川が織りなす美しい景色が、多くの観光客をひきつける金山町(かねやままち)。魅力はそれだけではない。日本には数少ない炭酸温泉が温泉ファンを魅了してやまない。
    プチプチと泡が弾ける!(恵比寿屋旅館の露天風呂)
  • spot 38
    大塩天然炭酸水井戸
    明治時代には輸出もされた天然サイダーが湧き出る井戸
    古くから薬泉と評判の天然炭酸泉。1877年(明治10)、これを白磁のビンに詰め、旧会津藩士が「太陽水」と名付け、会津はもとより近県の薬店に、慢性胃腸病や糖尿病、便秘の薬として販売を始めた。1903年(明治36)には、岩代天然炭酸鉱泉(いわしろてんねんたんさんこうせん)という会社が工場を建設し、「芸者印タンサンミネラルウォーター」という商品名でドイツに輸出。国内向けには「万歳炭酸水」という名で販売したが、当時は交通が不便で輸送に経費がかかり過ぎたため廃業。それから約100年後の2004年(平成16)、井戸の隣接地に株式会社ハーベスという製水工場が建設され、「奥会津金山 天然炭酸の水」として現在も販売されている。この歴史ある炭酸水は、無料で汲んで帰ることができる。飲むとプチプチとはねる炭酸の泡が刺激的で、ほどよいミネラル感もある。そのままでもおいしいが、ハイボールにすると絶品だ。隣接する工場の自販機には、ミネラルウォーターのほかに、炭酸泉のミストやフェイスマスクも販売している。
    地下から炭酸水が湧き出る井戸
  • spot 39
    玉梨とうふ茶屋
    奥会津の百年水で作った絶品豆腐とヘルシーな豆腐スイーツ
    南会津方面から国道400号線で金山町に入るとすぐ、鮮やかな緑色の屋根で出迎えてくれるこちらの店。地元生まれの佐々木謙一さんが「おふくろを食わせるため、仕方なく」、経験もないのに見よう見まねで豆腐屋を始めたのは1991年(平成3)、48歳のときだ。幼い頃に、父が田んぼのあぜ道に植えた枝豆(青ばと豆)で作ってくれた豆腐の記憶を頼りに、幻の「青ばととうふ」を数年かけて現代に復活。ほのかに枝豆の風味が感じられるその豆腐は評判を呼び、全国から客が買い求めに来る人気店に。佐々木さんは「こだわりは奥会津の山奥から湧き出る百年水。豆腐は7割が水分だから、水が違うと同じ豆腐は作れない」という。青ばと豆は地元産、それ以外の豆腐も国産大豆と天然にがりにこだわり、毎朝1丁ずつていねいに作っている。枝豆のつぶつぶ食感を楽しめるアイスクリームや、エゴマを混ぜたおからドーナツなど、ヘルシーな豆腐スイーツも人気だ。お土産にもいいが、店内でも食べられるので、店先で自由に汲める奥会津百年水とともに味わってみては。
    幻の「青ばととうふ」350円。店内では薬味が付いて530円
  • spot 40
    妖精美術館
    大蛇伝説が残る沼沢湖(ぬまざわこ)の湖畔でメルヘン世界に浸る
    大蛇伝説のある福島県金山町の沼沢湖(ぬまざわこ)。その湖畔に、1993年(平成5)、日本初の妖精美術館として建てられたのがこちらの施設だ。キャンプ場の脇の細い道を少し登った森のなかに、突如現れる洋館風の建物は、中世イギリスのマナーハウス(荘園領主の邸宅)を模したものだそう。広々とした吹き抜けの館内には、絵画や絵本、人形、小道具など、世界各国の妖精に関する貴重な資料が展示されている。そのほとんどが、日本における妖精研究の第一人者で、同館の館長でもある井村君江(いむらきみえ)さんが集めたものだ。1階は企画展で、シーズンごとに作品が入れ替わる。2階は常設展で、目をひくのが6mの巨大なステンドグラスだ。これは、世界的な画家・天野喜孝氏が手がけたもので、シェークスピアの戯曲『夏の夜の夢』をイメージしたもの。それを取り囲むように立つブロンズ像は、天野氏が描く妖精の初の立体化作品だ。ほかに、妖精の絵本などをそろえたライブラリーや、ヴィクトリア朝時代の居間を再現した「フェアリー・テールズの居間」など、妖精好きならずとも時が経つのを忘れてしまう幻想空間が広がっている。
    天野喜孝(あまのよしたか)氏作のステンドグラスと妖精のブロンズ像
  • spot 41
    霧幻峡の渡し
    運がよければ幻想的な景色を楽しめる人気の観光アクティビティ
    1964年(昭和39)まで、福島県金山町・三更(みふけ)地区の住民たちの唯一の交通手段だった渡し船を、同町に住む奥会津郷土写真家の星賢孝(ほしけんこう)氏が、2010年(平成22)に「霧幻峡の渡し」として復活。霧幻峡とは、夏の朝夕に渓谷を川霧が包み、幻想的な景色になることから、その名が付いた。翌2011年(平成23)の豪雨による水害でしばらく運休したが、2017年(平成29)に再開。2019年(平成31)からは金山町観光物産協会が運営している。船着き場はJR只見線・早戸(はやと)駅の近く(駐車スペースあり)。船に乗って景色を楽しむ周遊プラン(45分・2名まで6000円)と、向こう岸に渡って三更地区を散策する散策付きプラン(90分・2名まで8000円)がある。営業は4月下旬から11月下旬までの午前7時から日没まで。専用サイトから予約できる。ただし、川霧が出るかどうかは時間や天候、気温次第なので、その心づもりで。いずれにせよ、船頭さんによる手漕ぎの和船でのんびりと川を進むのは貴重な体験。四季折々の只見川の景色をひとり占めできるとあって、近年外国人観光客にも人気の観光アクティビティだ。
    生活の足だった渡し船を観光用として再現
  • spot 42
    猪苗代湖
    全国第4位の面積と「天鏡湖」と讃えられる透明度を誇る
    猪苗代町、会津若松市、郡山市にまたがっており、県民の重要な水がめ。湖岸に数多くの浜があり、湖水浴やウインドサーフィンなどを楽しめる。2000羽以上ともいわれるハクチョウは冬の風物詩になっている。
    会津富士の別名をもつ磐梯山を映す猪苗代湖。2002年(平成14)から4年連続で水質日本一だった
recommend spot

人気スポット

recommend spot

旅のヒント

  1. その1

    見どころは会津若松市内の中心部と少し離れた山沿いのエリアに点在している。そのほとんどの場所には、まちなか周遊バス「ハイカラさん」「あかべぇ」、または鉄道で行くことができる。

  2. その2

    街歩きにおすすめの賑やかな通り、七日町通り&野口英世青春通りはどちらもJR駅から歩ける距離。

  3. その3

    山沿いのエリアや山中にある名所は坂道を歩いたり、広い敷地を歩くことがあるので歩きやすいシューズを用意したい。

recommend spot

関連記事

記事一覧
recommend spot

モデルプラン

福島のその他のエリア

+ -
back
open

会津若松エリア