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3000年の歴史を誇る道後温泉のシンボル、道後温泉本館。国の重要文化財に指定され、愛媛で唯一『ミシュラン・グリーンガイド・ジャポン』で3つ星を獲得。現在は保存修理工事をしながら霊(たま)の湯営業中で、2024年7月には、休憩室など全館営業再開予定。
愛媛県の三崎港と大分県の佐賀関港を結ぶ航路。四国・九州間の最短航路31kmを約70分で結んでいる。高知市から大分市に至る国道197号線の海上区間で、国道でありながらも橋のない、フェリーで海を渡る海上国道だ。朝7時台~夜23時台まで、一日16往復を運行している。船内は展望席や売店、桟敷席やグループ席のほか、車いす専用エレベーター(要電話申込)や多目的トイレなどのバリアフリー設備も充実している。
初代城主・加藤嘉明(かとうよしあき)が1602年(慶長7)から四半世紀をかけて築いた松山城。国内現存12天守のひとつで、天守を含め21棟もの重要文化財を有する。随所にある攻防の仕掛けも見ものだ。
日本屈指の海城といわれる、藤堂高虎が建立した今治城。かつては堀の一部が広い港湾になっており、城内の港としては日本最大といわれていた。現存する堀には海水が出入する全国的にも珍しい城。天守、櫓、城門も再建しており、当時の姿を目にすることができる。
「日本三大カルスト」に数えられる四国カルストは、愛媛と高知の県境をなす標高12001400mの高地に位置する。珍しいカルスト地形が広がる山上の高原で、周囲に展開する絶景を楽しみながら爽快なドライブを満喫できる。
本州四国連絡道路の西側にある「尾道」「今治」「上島」を通る西瀬戸自動車道である。多島美などの自然豊かな風景、寺院や史跡などの観光スポットがある。また、日本初の海峡を渡れるサイクリングロードが整備されており、「しまなみ海道」の観光に多くのサイクリストが集まる。
築城の名手と名高い藤堂高虎が慶長6(1601)年頃に建築した城。現存する天守は宇和島伊達家2代藩主の宗利(むねとし)が寛文6(1666)年頃に築いたもので、12天守の内のひとつ。白亜の天守が山頂にそびえ立つ姿から「鶴島城」とも呼ばれており、天守は国の重要文化財、城山全体が国の史跡にも指定されている。
大島にそびえる亀老山山頂にある、しまなみ海道屈指の絶景スポット。パノラマ展望台から、ダイナミックな来島海峡大橋や美しい瀬戸内海の島々を見渡せる。自然に溶け込むように設計された隈研吾氏による建築にも注目だ。
西日本でも指折りの動物園として有名な愛媛県立とべ動物園。生息エリアや動物種ごとに分けた展示、園内にちりばめられたおもしろい仕掛けなど、あらゆる楽しみ方ができる、家族連れにも人気の観光スポットだ。
全国に1万社余りある山祇(やまづみ)神社と三島神社の総本社で、日本建国の神・大山積神を祀る神社。愛媛県内最古の神社で、本殿および拝殿は重要文化財。全国の国宝、国の重要文化財の武具類の8割が境内の宝物館に保存展示されている。
西日本最高峰で日本百名山の一つ、石鎚山を背にした町道で、雄峰ラインとそれをもじったUFOラインの通称を持つ。ドライブコースとしても人気が高い。瓶ヶ森の標高1300m~1700mの地点をおよそ27kmにわたって走り、5月にはアケボノツツジ、7月にはヤマアジサイ、8月にはシコクフロウが見頃を迎える。運がいいと9月に紅葉と霧氷の両方が見られることも。11月末~4月上旬までは閉鎖となる。
城下町のいたるところから見える美しい天守。「日本100名城」に登録されている大洲城は、大洲のシンボルであり、いちばんの見どころ。4階建ての天守に上れば、足元に城下町が広がり、大洲盆地を取り巻く山々を一望できる。
国内最大規模のタオル産地である今治。ここタオル美術館は、タオルで作ったアート作品を展示するギャラリーと、今治産タオルなどを販売するショップが融合したギャラリー&ショップだ。ギャラリーではタオルの製造工程が見学できるほか、ムーミンやキャシー中島のタオルアート作品が展示されている。
九州最南端の「佐多(さた)岬」と混同されることが多い「佐田岬(さだみさき)」だが、こちらは四国の最西端にある。「最果ての岬」にふさわしい趣で、現地までは遠い道のりになるが、「わざわざ」「はるばる」訪れる価値がある。
日本一細長いと言われる佐田岬半島。その先端の最先端に建つ白亜の灯台で、瀬戸内海国立公園内にある。1918年(大正7)の初灯以来、百年以上もの間稼動し続けている。晴れた日には豊予海峡を隔てて高島や九州を遠望することができる景観の名所。平成10年には、海上保安庁の日本の灯台50選に選出されている。佐田岬灯台までは遊歩道が整備されているが、距離が長く、アップダウンが激しいため注意が必要。
今治市にぎわい広場にあるショッピングモール。「しまなみ 7つ目の島」をコンセプトとし、食、インターナショナル、スポーツ、キッズなどのテーマ別の5つのエリアに四国初出店20店舗を含む約109の専門店を備える。イベントスペースやこども広場を併設し、夜にはイルミネーションも楽しめる。
上浮穴郡久万高原町にある真言宗豊山派の寺で、四国八十八箇所の第45番札所。巨岩に埋め込むように建てられた堂宇が特徴の山岳霊場である。弘仁6年(815)、山中で出会った女仙人から山を献上された弘法大師が不動明王の木像と石像を彫り、木像を本堂に本尊として安置。石像は秘仏として岩窟に祀り、全山を本尊としたと伝えられている。寺域は国の名勝であり、大正9年(1920)に再建された大師堂は国の重要文化財に指定されている。弘法大師が修行した「逼割禅定」も見どころのひとつ。
世界初の三連吊橋・来島海峡大橋のたもとに位置し、海峡全体を見渡せる大パノラマが人気の来島海峡展望館。館内には、特産品を販売するショップと、架橋技術や村上海賊を紹介する展示コーナーがある。
戦国時代に「日本最大の海賊」と称された村上海賊のストーリーをわかりやすく学べる博物館。能島村上家伝来資料や村上氏関連遺跡の出土品などを多く所蔵・展示。日本唯一の海賊をテーマとしたミュージアムだ。
上浮穴郡久万高原町にある真言宗豊山派の寺で、四国八十八箇所霊場のちょうど半分にあたる第44番札所。前札所の明石寺から難所が続く「遍路ころがし」の霊場として有名である。大和朝廷の頃に百済の僧が十一面観世音菩薩像を安置し、大宝元年(701)に文武天皇が寺院を建立したと伝えられている。境内の見どころは、脳や頭の病気にご利益があるという「陵権現」や町指定文化財の金剛力士像など。秋は紅葉の名所として知られ、多くの参拝者が訪れる。
西予市宇和町にある天台寺門宗の寺で、四国八十八箇所霊場の第43番札所。唐からの渡来仏である千手観音菩薩像を祀るため、6世紀ごろに欽明天皇の勅願で建立された伽藍が起源と言われている。その後は修験道の中心道場となったが荒廃し、弘法大師が再興。源頼朝ゆかりの寺としても知られている。境内には、弘法大師ゆかりの「弘法井戸」や慈悲深い表情の「しあわせ観音像」など見どころが多数。
真言宗御室派の寺で、四国八十八箇所霊場の第60番札所。山岳信仰の霊地として有名な「石鎚山」北側の中腹に位置し、車が通行できる林道の完成までは「遍路ころがし」の最難所として知られていた。白雉2年(651)に役小角が開基。後に弘法大師が訪れて星供養の秘法を修し、堂宇を整備した。本堂の本尊・大日如来坐像と金銅蔵王権現御正体像は県指定重要文化財。5月上旬頃からは、本堂横の斜面一面にシャクナゲが咲き乱れる。※林道は冬期不通。大型バス通行不可。
四国中央市金田町にある高野山真言宗の寺で、四国八十八箇所霊場の第65番札所。天平年間(729-749)に行基が開基したと言われている。本尊は、弘法大師が訪れた際に彫ったとされる十一面観世音像。大師は不動明王像も彫り、三角形の護摩壇を築き「降伏護摩の秘法」を施したと言われている。十一面観世音像は開運厄除けや子授け・安産にご利益があるとされ、「子宝杓子」を授かるために参拝する夫婦も多い。境内は山桜の名所としても知られている。
四国八十八カ所霊場第51番札所の石手寺。道後温泉から近く、『ミシュラン・グリーンガイド・ジャポン』で星1つを獲得。お遍路さんのみならず、多くの参拝者や観光客で賑わう。
松山市内八ヶ寺の最初の札所でもある寺院で、四国八十八ヵ所霊場第四十六番札所。落ち着いた雰囲気で、境内には樹齢1000年以上ともいわれる天然記念物のイブキビャクシンが、その下に「仏足石」がある。本堂左の鳥居の中に、1つだけ願いを叶えてくれる「一願弁天」が安置されている。また、本堂と大師堂の前には1体ずつ木彫りの像「だっこ大師」が安置され、抱っこすると本当の子どものようで不思議と気が休まると人気。
今治のB級グルメ「焼豚玉子飯」は、かつてB-1グランプリで1位に輝いた。発祥は今治の老舗中華料理店のまかない飯で、料理人の白楽天が自身の店を開業し、メニュー化した。ごはんに焼豚と半熟目玉焼きを載せ、甘辛いタレをかけたシンプルな丼飯で、早く作れてボリュームもあるため、せっかちな今治人に受け入れられた。白楽天の焼豚玉子飯の秘伝のタレは1970年(昭和45)の創業以来継ぎ足し続けられており、全国からファンが訪れる。また、このタレは持ち帰り用にも販売されている。
西海道路沿いにある馬瀬公園内にある展示館。昭和54年(1979)7月に、久良湾の海底40mの地点から引き上げた海軍の戦闘機紫電改を展示している。国内で現存する唯一の機体であり、また原型のまま沈んでいたのを修復したため保存状態がよい。本機は三四三航空隊所属と見られ、大村基地を飛び立って豊後水道上空で米軍と交戦。後に墜落したものとされる。現在は恒久平和を祈るシンボルとして活用されている。館内では他にも紫電改に関する写真や資料、記録映像を見ることができる。
松山市太山寺町にある真言宗智山派の寺で、四国八十八箇所霊場の第52番札所。用明2年(586)に真野長者が一夜にして御堂を建立し、開基したと伝えられている。現在の本堂は嘉元3年(1305)築の3代目。真言密教では最大級の規模を誇り、国宝に指定されている。行基により安置された本尊を含め、7体の十一面観音像はいずれも国の重要文化財。学業成就にご利益があるという聖徳太子堂には、「しゃもじ」を奉納する慣わしがある。
道後温泉、椿の湯に次ぐ、道後温泉3軒目の外湯。飛鳥時代の建築様式を取り入れた湯屋をコンセプトとしており、奈良・東大寺をはじめとする歴史的建造物に見られる鴟尾の飾られた大屋根と、赤と白のコントラストも鮮やかな外観が目を引く。砥部焼の陶板壁画が設置された大浴場のほか、本館にはない露天風呂があり、上質な温泉を心ゆくまで堪能することができる。
唐子山の麓に位置する、四国八十八箇所霊場の59番札所である寺院。天平13年に聖武天皇の勅令によって建立され、後に弘法大師が長期滞在して五大明王像を建てたと言われている。現在の本堂は創建当時から100mほど離れた場所にあり、寛政元年(1789)に建立されたもの。毎年4月上旬から中ごろには市の指定記念物でもある唐椿(伊予十大名椿)が見頃となる。
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