湯田温泉
白狐が開湯に導いた歴史と文化に彩られた名湯の温泉
豊富な湯量と美肌効果で人気の温泉
かつての長門国と周防国(いずれも現在の山口県)にある4つの温泉を総称する「防長四湯(ぼうちょうよんとう)」のひとつ。開湯の起源は古く、歴史の舞台にもたびたび登場する。湯田温泉は非火山性の温泉で、通常は湯温が低めなのだが、源泉は70℃以上もある高温で、しかも1日に2000tと湯量も多い。これは豊富な地下水が活断層に流れ込み、深い場所の熱源で温められているためと考えられ、全国的にも珍しいものだ。泉質はアルカリ性単純温泉で無色透明。効能も数多く、肌になじみやすいやわらかい湯のため長湯もできると人気だ。
山口市の中心に位置し観光と温泉を合わせて楽しめる
湧出量の多さはより多くの施設に温泉を引くことを可能とし、山陽路随一の温泉街が形成された。しかも都市の中心部というロケーションで、観光と温泉とを同時に楽しめる。華やかだった大内文化に思いを馳せて旧跡を巡ったあと、長い移動をせずとも名湯で汗を流せるというわけだ。温泉街の南端から南へ400mほど行ったところにJR山口線「湯田温泉駅」があり、駅前には高さ8mのシンボルキャラクターの白狐の像「ゆう太」が立っている。ただし、隣駅で町の中心にある山口駅とは2.5kmしか離れておらず、宿によってはそちらが便利なことも。それだけ都市のなかにあるということで、山口の歓楽街でもあるため飲食店が多く夜は賑やかだ。
神秘的な白狐伝説が残る開湯の由来
開湯は約800年近く前の室町時代、周防守護大内氏の第15代当主、大内義興 (おおうちよしおき)の時代とされる。その頃、この地にあった小さな池に、毎晩、白狐が傷ついた足をつけにやってきていたのを村の和尚が気づく。ある日、夜明けに帰っていく白狐を追ってみると、その住処は山口を西の京として整備した大内氏第9代当主、大内弘世(おおうちひろよ)が、紀伊の熊野三所権現を迎えて祀っていた山だった。驚いた和尚が戻って池の水を確かめると温かく、さらに深く掘ると熱い温泉が湧き出てきたという。その池は田んぼの真ん中にあり「湯田」の名の由来となった。池からは温泉と一緒に薬師如来の金像も現れ、近くに安置された。この薬師如来を拝んで入浴すると不治の病でもたちまち良くなると噂を呼び、湯治客で賑わうようになった。この薬師如来は盗賊に奪われ、九州で賊と海に落ちて沈んでしまったのだが、数年後、不思議なことに仏堂に戻ってきていたという。
幕末の志士たちが密談し、夭折の詩人が生まれ育った地
湯田温泉には関係のある偉人や歴史上の人物も多い。とりわけ江戸時代末期の尊王攘夷派の藩士や公家、維新志士たちとはゆかりが深い。老舗旅館「松田屋ホテル」の「維新の湯」は幕末の志士達が密議をしていた事で有名。長州、薩摩、土佐などの勤皇の志士である高杉晋作、木戸孝允、伊藤博文、大久保利通、井上馨、大村益次郎、さらには西郷隆盛や坂本龍馬、そして公卿の三条実美らが会合し語り合っていた。当時の浴槽はそのまま残り、彼らと同じ湯に浸かることができる。また昭和初期に活躍した夭折の詩人、中原中也は湯田温泉で生まれ育った。繊細で美しく儚い詩には今でもファンが多い。生家跡には「中原中也記念館」がある。そして酒と旅と温泉を愛した種田山頭火は、近隣で暮らし湯田温泉のことも多く詠んでいる。
スポット詳細
- 住所
- 山口県山口市湯田温泉 地図
- エリア
- 山口・防府エリア
- 電話番号
- 0839010150
- 泉質
- アルカリ性単純泉
- 効能
- 神経痛、筋肉痛、関節痛、疲労回復、冷え性、五十肩、打ち身、慢性消化器病、痔疾、美肌等
- 泉温
- 72℃
- 源泉数
- 7
- 湯量
- 約2000トン/日
- 日帰り温泉施設数
- 7
情報提供: ナビタイムジャパン