大石神社
「忠臣蔵」で知られる大石内蔵助を祭神として祀る社
大石内蔵助を崇敬する人びとによって創建
1701年(元禄14)春、赤穂藩主の浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)が江戸城の松の廊下で、吉良上野介(きらこうずけのすけ)に斬りかかり、切腹となった事件から「忠臣蔵」は始まる。赤穂藩家老・大石内蔵助は赤穂城を幕府に明け渡したのち、山科に土地と屋敷をもっていた親戚を頼り、6月下旬にこの地へ移っている。人目につきにくく、しかも交通の要衝である山科は事件の善後策を練るのに絶好の地。しばしば同志たちとも会合を開いたとされている。しかし、翌1702年(元禄15)、赤穂藩の再興は叶わず討入りを決意。8月には山科を引き揚げ、12月14日に江戸の吉良邸で見事、主君の仇を討つ。時は流れ、1935年(昭和10)、「ゆかりの地である山科に義士たちを祀りたい」との声が上がり、浪曲師の吉田大和之丞(よしだやまとのじょう)や京都府知事が中心となって大石神社が創建された。
義士祭では四十七士が勝どきを上げる
境内が一年でいちばん賑わうのは12月14日の義士祭。四十七士たちに扮した総勢約300人の大行列が山科の毘沙門堂を出発し、山科のまちを練り歩いたあと、大石神社の本殿の前で「エイエイオー」と勝どきを上げる。くしくも、ときの江戸幕府5代将軍・徳川綱吉が内蔵助らの処遇をどうすべきかを相談したのが、毘沙門堂の公弁法親王(こうべんほっしんのう)であり、「死を与えることも情けとなりうる」という法親王の言葉から切腹にいたったとも伝えられている。年によっては雪が舞うなかでの巡行になることもあり、本当の討入りさながらの情景になるそうだ。また、境内には討入りの武器を調達したという大坂の豪商・天野屋利兵衛(あまのやりへえ)を祀る義人社もある。1年9か月という長い時を経て本懐を遂げた四十七士たち。彼らにあやかり、神社は大願成就のご利益で親しまれている。
内蔵助や四十七士ゆかりの品々を収蔵
宝物殿には大石内蔵助直筆の書画や、討入り姿の義士たちを描いた屏風や掛軸、さらには歌舞伎「仮名手本忠臣蔵」の場面を描いた図絵などが所狭しと並ぶ。また、四十七士それぞれにドラマがあることから映画化されることも多かったとあって、片岡千恵蔵、北大路欣也、里見浩太朗といった往年の銀幕スターが「忠臣蔵」を演じたときの写真やポスターが展示されている。また、境内で心なごむ風景として人気を集めるのが、御神木の大石桜の下でのんびり過ごす白い馬。ファラベラミニホースという小さな種類の馬で、縁あって宮司さんの家で暮らしているそう。大変人なつっこく、ついつい時間を忘れて遊んでしまうという参拝者も多数。神社を訪れたよい思い出にもなりそうだ。
スポット詳細
情報提供: ナビタイムジャパン
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クチコミ
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- ちょっとそこまで、大石神社 ヘ !
- 京都山科へ来たなら必ず立ち寄りたい大石神社です。ここ山科にある大石神社は赤穂浪士大石内蔵助良雄公をご祭神として1935年に創建された比較的あたらしい神社で境内には竹で出来た鳥居が建ち本殿前には赤穂浪士の石像をも見ることができます。階段を登っていきますので足元体力に注意が必要です。岩屋寺や山科神社と合わせて訪問をしてください。
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- 忠臣蔵好きなら一度は行きたい
- 大石内蔵助が山科に閑居していた所縁で創建された神社。名前の通り、大石内蔵助を祀っている。山科では有名な桜の名所の一つでもあるが、近くにバス停はあるものの公共交通機関でのアクセスが良いとは言い難い。毎年12月14日に開催される山科義士まつりでは行列の終着点でもあり、かなりの賑わいをみせる。宝物館は多少の古文書等もあるものの、全体としては映画のポスター等比較的新しい物が多いので、過度な期待はしない方...
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- 見事な桜
- 忠臣蔵の大石内蔵助所縁の神社として有名ですが、花見のシーズンに桜の名所として初めて訪れました。本堂の前の一本の桜は見事でした。
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