碓氷峠見晴台

公園/緑地

旧中山道屈指の難所は、いまや軽井沢随一の展望スポット

旧軽井沢銀座からバスで7分。旧碓氷峠には富士山まで望める見晴台がある。霧の発生が多いので視界の悪いこともあるが、それでも、県境にまたがる珍しい神社やおいしい力餅を味わえる茶屋もあり、訪れる価値大だ。

峠の頂上には神社があり、石段の中央に長野と群馬の県境ラインが通っている} 峠の頂上には神社があり、石段の中央に長野と群馬の県境ラインが通っている

レトロなバスで全国でも珍しい神社へ

観光客で賑わう旧軽井沢銀座は旧中山道でもあり、北上すれば10分もかからずに標高1200mの旧碓氷峠に出る。赤バスと呼ばれるレトロなバスで峠を訪れよう。到着したら、まずは目の前にある神社へお参りを。本宮と参道は県境にまたがっており、長野県側は「熊野皇大(こうたい)神社」、群馬県側は「熊野神社」と2つの宗教法人に分かれている。その昔、日本武尊(やまとたける)が濃霧の碓氷峠で道に迷っていたところ、霊鳥・八咫烏(やたがらす)が現れて峠まで先導してくれたことから、この地に社を勧請したとされる。源頼朝、新田義貞、真田幸村など多くの武将から崇敬され、江戸時代に中山道を整備した際、信濃と上州の境をあえて境内に定めた。「熊野皇大神社」は全国に4社しかない特別神社とされており、樹齢800年以上という御神木のシナノキは周囲を1周すると寿命が1年延びるとか。県境印の御朱印や八咫烏の飛び出す立体御朱印もユニーク。

4月下旬から11月下旬まで毎日7~8便の運行。乗り場は万平ホテル、つるや旅館前などにある。片道500円} 4月下旬から11月下旬まで毎日7~8便の運行。乗り場は万平ホテル、つるや旅館前などにある。片道500円

社務所も賽銭箱も2つあり、お守りなどもそれぞれで授与される} 社務所も賽銭箱も2つあり、お守りなどもそれぞれで授与される

日本サッカー協会のエンブレムでおなじみの八咫烏のおみくじ。毎月1日と15日には羽を広げたバージョンも登場} 日本サッカー協会のエンブレムでおなじみの八咫烏のおみくじ。毎月1日と15日には羽を広げたバージョンも登場

峠の名物にうまいものあり!

峠の頂上には昔から旅人がひと息入れた茶屋がたくさんあり、そのうちの数軒は今も営業している。なかでも元祖力餅の看板を掲げる「しげの屋」は創業300年以上。神社の真正面にあり、店舗も両県にまたがっている。平安時代、この地域に生まれた碓井貞光(うすいさだみつ)という武将がいて、巨石を持ち上げるほどの怪力の持ち主だった。そんな力持ちの彼にちなんで力餅を名物にしたそうだ。かつて中山道でも屈指の難所であった碓氷峠を越える際、旅人たちは力餅を食べて疲れを癒やし、その先の旅程を歩くパワーを補給した。長野産の餅米に碓氷峠の湧き水を吸わせて毎朝突いているという「しげの屋」の力餅は、1人前520円。「甘味(あん)」「黄味(きなこ)」「黒味(ごま)」「胡味(くるみ)」「辛味(大根おろし)」の5種類ある。折に入れてもらって昔の旅人の気分で見晴台などでいただくのもいい。ほかに信州蕎麦粉を使った8割蕎麦や、寒い日には甘酒もおすすめ。

特に群馬側から急坂を上ってきた旅人は疲労困憊。ここでのひと休みと力餅はどれほどありがたかっただろう} 特に群馬側から急坂を上ってきた旅人は疲労困憊。ここでのひと休みと力餅はどれほどありがたかっただろう

とろけるような舌触りが絶妙で、クルミの食感を残した挽き加減もいい。神社へ献上している福餅でもある} とろけるような舌触りが絶妙で、クルミの食感を残した挽き加減もいい。神社へ献上している福餅でもある

信州も関東も見えるパノラマポイント

峠から5分ほど歩くと「見晴台」へ出る。戦国時代には狼煙(のろし)を上げていた場所で、目の前にそびえる浅間山と、凹凸が鋸の歯のような妙義山も印象的。さらに赤城山、榛名山、日光連山、八ヶ岳、南アルプス、北アルプス、運がよければ関東平野の奥に富士山も見える。軽井沢に滞在していた外国人にはサンセットポイントとして人気だったそうだ。一角に立つのは万葉集の歌碑とタゴールの胸像。アジア人初のノーベル賞受賞者であるインドの詩聖・タゴールは、1916年(大正5)に国賓として来日し、軽井沢を訪れて日本女子大学の修養会で祈りについての講義を行った。像の背後には彼の言葉「人類不戦」が刻まれている。なお、ここから旧軽井沢へ下りる遊覧歩道(ハイキングコース)もある。途中、吊り橋などを通って片道3.5km、約1時間の道のり。中山道を往来していた旅人の気分を想像しながら、森のなかを歩いてみてはどうだろう。

見晴台と遊覧歩道は大正時代に名古屋の実業家が私費で造った。土地を購入、整備して、後日、町に寄付したという} 見晴台と遊覧歩道は大正時代に名古屋の実業家が私費で造った。土地を購入、整備して、後日、町に寄付したという

我が国の歴史を見つめてきた峠

碓氷峠は関東と信越を分ける地点であり、その昔は坂東と信濃の境として関所がおかれていたこともある。現在、碓氷峠を超えるルートは南から上信越自動車道、碓氷バイパス、国道18号線があるが、旧中山道はこれよりさらに北を通っている。ここはまた中央分水嶺でもあり、峠の東に降った雨は利根川から太平洋へ、西に降った雨は信濃川から日本海へ注ぐ。鎌倉時代にはすでに旧碓氷峠ルートを多くの旅人が行き交っており、江戸時代になると中山道として重要な幹線道路となった。1861年(文久元)には徳川家茂に嫁ぐ皇女・和宮とその一行3万人も峠を通っている。碓氷峠は東の群馬側が急勾配で、安中市の坂本宿と峠との標高差は720m。一方、西側はなだらかで軽井沢との標高差は200mだ。峠を越える旧信越線は多くの犠牲者をともなう難工事で、開通後も群馬側の急勾配区間で列車逆走・脱線転覆事故がたびたび起きた。なお、現在車道は峠で行き止まりになっており、峠から坂本宿を通ってJR横川駅まで約3時間のハイキングコースがある。

「見晴台」の万葉歌碑。万葉集には碓氷峠の歌が2首あり、古代より人の往来があったことがわかる} 「見晴台」の万葉歌碑。万葉集には碓氷峠の歌が2首あり、古代より人の往来があったことがわかる

スポット詳細

住所
長野県北佐久郡軽井沢町峠町 map map 地図
電話番号
0267425538
駐車場
あり(6台)

情報提供: ナビタイムジャパン

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