堂崎教会
五島キリシタンの歴史を伝える赤レンガの教会
海辺にひっそりとたたずむレンガ造りの教会
五島列島の南西部、下五島(しもごとう)と呼ばれる五島市には20の教会があり、そのうち福江島には14の教会がある。福江島で教会巡りをするなら、ぜひとも訪れたいのが奥浦地区にある堂崎教会だ。福江港から車で約20分、奥浦湾を横目に見ながら走ると小さな岬に到着する。目の前には、海底の砂が見えるほど透き通った、エメラルドグリーンの美しい入り江。のどかな風景のなかを歩いて行くと、海を望むようにしてレンガ造りの教会がひっそりとたたずんでいる。正面には、この地に最初に聖堂を建てたマルマン神父と、現在の赤レンガの教会を建立したペリュー神父の銅像が立つ。さらにそのかたわらには「日本二十六聖人」の1人、聖ヨハネ五島の像がある。五島のキリシタンの家に生まれたヨハネ五島は、豊臣秀吉の命により1597年(慶長元)、19歳の若さで長崎で処刑された。堂崎教会は聖ヨハネ五島を祈念し、日本二十六聖人殉教者に捧げられている。
五島におけるキリスト教復活のシンボル
18世紀末から19世紀にかけて、長崎の外海(そとめ)地方を中心に信仰を守っていた潜伏キリシタンの一部は、厳しい弾圧を逃れるため五島に移住した。そうした人々が最初に住みついたのが奥浦の周辺だといわれている。1868年(明治元)に始まった五島のキリシタン弾圧では、奥浦でも拷問や入牢などの迫害が行われるという悲劇が起きた。そして259年ぶりにキリスト教が解禁された1873年(明治6)、フランス人宣教師フレノ神父が来島し、禁教が解かれてから初めてのクリスマスミサがこの地で捧げられた。まだ聖堂がなかったため、浜辺で松明(たいまつ)を燃やして祝ったという。1877年(明治10)には司祭が常駐するようになり、五島におけるキリスト教復活後の拠点として重要な役割を果たした。信仰の自由を得た信徒たちは、その喜びを教会建築という形で表した。1880年(明治13)に2代目司祭マルマン神父によって堂崎に仮聖堂が建立され、さらに後任のペリュー神父によって1907年(明治40)に現在の教会が完成。ヨーロッパの典型的な教会スタイルで、レンガやステンドグラスなど資材の一部はイタリアから運ばれた。
信仰の歴史とキリシタン弾圧の足跡をたどる
堂内はキリシタン資料館として一般に公開されている。布教時代から迫害を経て復活にいたるまでの、五島における信仰の歴史をたどってみよう。洗礼鉢や板踏絵をはじめ貴重な品が多数展示されており、マルマン神父が創設した「子部屋」がもととなった児童養護施設「奥浦慈恵院(おくうらじけいいん)」に関する資料もある。久賀島(ひさかじま)のマリア観音は、1868年(明治元)の「五島崩れ」(潜伏キリシタンが摘発された事件)の際に、信徒が地中に埋め没収の難を逃れたものだ。またフランス人司祭ド・ロ神父が長崎の版画師に製作させた『最後の審判』は、日本版画史上極めて貴重なものとされる。史料を見学したら、教会の内装にも注目したい。木の床や柱、コウモリ天井とも呼ばれるリブ・ヴォールトの天井、ツバキの花をイメージしたと思われるステンドグラスなど、おごそかでありながら温かな雰囲気が感じられる。内陣にはヨハネ五島の聖骨が安置されている。厳しい迫害に屈せず信仰を守り抜いた人々に思いを馳せ、静かに祈りを捧げよう。
スポット詳細
情報提供: ナビタイムジャパン