三津の渡し
500余年の歴史情緒を感じながら、船旅気分を味わえる渡し船
三津浜地区の象徴であり、生活になくてはならない交通機関
古くは松山の海の玄関口として栄えた港町、三津浜。そんな三津浜地区の象徴ともいえる「三津の渡し」は、細く長く入り組んだ湾を挟み向かい合う2つの地区、三津と港山の間約80mを結ぶ渡し船だ。三津側の船着場は、三津浜港から歩いて約6分。または伊予鉄道三津駅から歩いて約15分。港山側は、伊予鉄道港山駅から歩いて約2分の場所にある。正式には「松山市道高浜2号線」という海の公道で、港町の人々の生活になくてはならない交通機関だ。年中無休、7時から19時まで運航しており、乗船料は無料。自転車の積み込みも可能だ。生活の足として地元住民に愛されるとともに、港町の風情をのんびり眺めながら楽しめるとあって観光客にも人気があり、三津浜散策の際に乗船する人も多い。年間4万人が利用し、多いときは1日100往復もするそう。現在の通称は「三津の渡し」だが、地域の人々の呼び方はさまざま。それぞれの船着場のある地名にちなみ、三津の人々からは「須崎(すさき)の渡し」、港山の人々からは「古深里(こぶかり)の渡し」とも呼ばれている。そこで、現在ある2隻の船名を「すさき丸」と「こぶかり丸」として運航している。
500余年もの歴史を誇る、情緒あふれる渡し船
三津の渡しの起源は室町時代までさかのぼる。1467年(応仁元)河野通春が港山に築城したとき、食料などを調達するために港山と三津の内港を渡し船で結んだのが始まりだといわれている。江戸時代、三津が城下町松山の外港となってからは、船の出入りが頻繁となり、物資が集積する場となった三津浜は、多くの商人達で賑わうように。それにともない渡し船も重要度を増し、番所の管理下で運航されるようになったとか。1795年(寛政7)には俳人・小林一茶が港山で行われた句会に参加するために利用したともいわれている。その後も、地元住民の交通手段として現在まで続いている。大正の初め頃までは棹で操縦され、その後は手漕ぎになり、エンジン付きの船になったのは、1970年(昭和45)のこと。1隻の船で両岸を行き来していて、時刻表はない。乗客が1人でも来たら出航するスタイル。船が対岸の船着場にいる場合、船着場にあるスイッチを押すと迎えに来てくれる。だが、いつも船長さんや補助員さんが気にかけてくれているので、乗りたい人の姿を見つけたらすぐ、対岸から来てくれる。なんとも情緒あふれる渡し船なのだ。
潮風に吹かれながら眺める景色に船旅気分を味わえる
三津側から乗船すると、対岸にはこの航路を守る「湊三嶋大明神社(みなとみしまだいみょうじんじゃ)」が見える。天気がよければ、途中右側に、松山城や遠く石鎚山まで眺めることもできる。また、湾には鵜も生息していて、潜ったり浮上したりする姿を見られることも。潮風に吹かれながら、360度見渡せる船からの景色は特別だ。わずか3分の乗船時間だが、ここでしか味わえない船旅気分を楽しもう。
港山に到着すると、船着場からすぐのところに小山がある。三津の渡しのきっかけともなった港山城跡の小山なので、時間があれば上ってみてほしい。登山口は、船着場からまっすぐ歩くとすぐ左手に見えてくる。階段状に整備されたゆるやかな坂道を上る必要があるが、竹林のなかを進むのですがすがしい。自由に使える杖も置かれている。約5分の登山で山頂に到着。城跡とはいえ城郭などはないが、山頂広場として整備されていて、そこから見る三津浜の町並みや穏やかな瀬戸内海の眺望が気持ちよい場所だ。「松山の海の玄関口」として栄え港町で、歴史情緒に触れる船旅を体験してみてはいかがだろうか。
スポット詳細
- 住所
- 愛媛県松山市三津1-10-18地先 三津側船着場 地図
- エリア
- 松山エリア
- 電話番号
- 0899512149
- 時間
- 7:00-19:00
- 休業日
- 無休(荒天時は運休)
- 料金
- 無料
- 駐車場
-
なし
※公共交通機関を御利用ください - Wi-Fi
- なし
- コンセント口
- なし
情報提供: ナビタイムジャパン