明王院
芦田川のほとりに静かにたたずむ「西国屈指の寺院」
朱色が映える本堂と五重塔
真言宗大覚寺派の明王院は、ゆったりと流れる芦田川西岸にあり、眼下に草戸千軒町遺跡を望む。本堂と五重塔はともに国宝。周囲の緑に五重塔や本堂の朱色が映え美しい。もともと常福寺と称していたが、江戸時代に入り福山藩主・水野勝貞(みずのかつさだ)が、市内のほかの場所にあった明王院を常福寺へ合併して明王院と改称、歴代藩主の祈願寺にもなった。本堂は室町末期の1321年(元応3)年に再建された。5間(約9m)四方の入母屋造り。国指定重要文化財の本尊「十一面観音菩薩像」を安置する密教本堂で、和様、天竺様、唐様が取り入れられた全国でも珍しい折衷様だ。有力者の寄進で建てられた。五重塔は、室町前期の1348年(貞和4)の建立。純和様で、極楽浄土を願う民衆による一文勧進で造られ、本堂とは対照的だ。南北朝期のただひとつの五重塔で、全国にある国宝の塔のうち、法隆寺、室生寺、醍醐寺、海住山寺に次ぐ5番目の古さ。
門前町として栄えた中世の港町
鎌倉から室町期に港町・市場町として栄え、江戸時代に水没した中世の大規模な集落遺跡「草戸千軒町遺跡」は、芦田川河口近くの中州で昭和の時代に発掘された。「日本のポンペイ」とも称される。草戸千軒町は、明王院の門前町として栄えたそうだ。この地を訪れた作家五木寛之氏は『百寺巡礼』のなかで「あたかも中世のフィレンツェのような都市の息吹が、この山陽地方の瀬戸内一帯に沸き立っていたように思われる」と書いた。この文章を記した文学碑が明王院の近くの広場に建立されている。また、明王院には福山を訪れた俳人山口誓子が詠んだ「枯洲より 見る南面の 福山城」の句碑も建つ。ちなみに草戸千軒町遺跡は川中にあるため橋の上から見学する。人々の暮らしを伝える発掘品群はふくやま美術館へと続くプロムナードの入り口付近にある広島県立歴史博物館(ふくやま草戸千軒ミュージアム)の基礎となり、町並みの一角を実物大で復原した展示もある。明王院の前にここを先に見ておくのもいい。
草戸稲荷神社も合わせて訪れたい
明王院は、本堂と五重塔という国宝以外の建物も見るべきものがある。山門や書院、庫裏は県指定の重要文化財。毎月第3土曜(10時-17時)に書院や庫裡などが一般公開されている。また、明王院の北側に隣接する草戸稲荷神社は、元は草戸千軒町にあったが、洪水にたびたび悩まされたため、福山藩主・水野勝成などが現在の地に移転させたという。福山で最も初詣客が多く、本殿からは福山市を一望できる。
スポット詳細
情報提供: ナビタイムジャパン
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クチコミ
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- 弘法大師の開基と伝えられます
- 草戸稲荷神社の隣にある由緒正しいお寺。こちらは国宝が2つもあるのに、神社に比べ空いてました。国宝の本堂、五重の塔は14世紀のものです。かなり状態はよく五重塔は日本で5番目に古い塔だそうです。でも拝観料無料というのがよいですね。
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- 平安時代創建
- 創建は、平安時代初期(807年)で、空海(弘法大師)が開いたといわれています。江戸時代には福山藩主との深い関わりもあります。紫陽花の名所とのことです。
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- 五重塔が映える場所でした。
- 2021年10月20日に草戸稲荷神社、日光寺に続いて訪れた場所は草戸稲荷神社のお隣さんである「明王院」でした。境内には作業車が居ましたが、丁度、昼休憩時に入ったばかりだった様で、作業者の姿は無くスッキリとした景観が撮影出来ました。明王院は国宝の本殿や五重塔、他の文化財を擁する福山市を代表する真言宗大覚寺派の仏教寺院で、寺伝によると明王院の前身である常福寺を創建した人物は空海とされていますが、同時代...
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