長い長い時の中で、幾度も歴史的な出来事の舞台となったまち、鎌倉。この地には、志半ばで散った武将たちや、そんな武将を支えた女性たちの想いが今も眠っています。今回は、その中でもファンの多い「源氏」ゆかりの地に焦点をあてて、おすすめスポットをピックアップ。鎌倉武家の歴史をたどってみましょう。
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北条政子が創建したお寺「寿福寺」
まず訪れるのは鎌倉五山の第三位、「鎌倉駅」西口から徒歩10分のところにある「寿福寺」。ここは源頼朝の死後、妻の北条政子が創建した禅寺です。
寿福寺山門
源頼朝が兵士討伐の勝利祈願をしたとされる源氏山を背に、北条政子自身のほか、彼女の息子であり三代将軍源実朝の墓として伝わる「五輪塔」があります。
北条政子墓近くの五輪塔
頼朝の父・源義朝の旧邸もこの地にあったと言われており、深い緑の苔に覆われた参道は、県内随一の美しい参道と言われています。当時は七堂伽藍を擁し、14の塔頭を有する大寺院と栄えましたが、二度の大火に遭い、一度はほとんどの堂宇が消失してしまいました。現在の仏殿は再建されたものです。
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02
鎌倉幕府の守護神として信仰された「鶴岡八幡宮」
源頼義が加護を祈願した京都の石清水八幡宮を、源氏の氏神として由比ガ浜にお祀りしたのが始まりの「鶴岡八幡宮」。その後、源氏再興の旗揚げをした源頼朝が、雪ノ下に遷したのが現在の鶴岡八幡宮です。
以来、武家源氏、鎌倉幕府の守護神としてあがめられ、現在も祭事が盛んに行われています。時には神前式を挙げる現代の妹背(夫婦)の姿も。鶴岡八幡宮 本宮
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03
源頼朝の魂を弔う石塔「源頼朝の墓」
次に訪れたいのは「源頼朝の墓」です。
源頼朝は1198年12月に、相模川にかけた橋の落慶式で落馬し、それが元で亡くなったと伝えられています。遺体は持仏堂に埋葬されましたが、やがて衰微し忘れられていくこととなります。
江戸時代中期になり、薩摩藩主島津重豪が祖先の墓を作る際、縁のあった頼朝の墓を一緒に整備しました。(島津忠久の母が、頼朝の乳母でした)源頼朝の墓
明治時代に、墓の近くに源頼朝を祭神とする白旗神社も創建されています。
白旗神社
- 白旗神社
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- 神奈川県鎌倉市西御門2丁目1
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鎌倉の鬼門を封じる学問の神様「荏柄天神社」
頼朝の墓から少し歩いたところにある「荏柄天神社」。学問の神様として有名な菅原道真を祭神としている、1104年創建の神社です。1180年、鎌倉大蔵に拠点を置いた源頼朝が、鬼門を封じ守護神として社殿を造営しました。
元は悪鬼を封じ込めるための社でしたが、現在は鎌倉を代表する学問の神様として信仰を集めています。荏柄天神社
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源頼朝が創建した寺の痕跡「永福寺跡」
源氏をめぐる旅もいよいよラストスポットです。最後は「永福寺跡」へ。
ここは、源義経や藤原泰衡をはじめとする武将の怨霊をしずめるため、源頼朝は創建した寺院の跡地。
平泉中尊寺の二階大堂(大長寿院)の影響を受けた豪華な寺であったと伝えられます。お堂が二階建てであったことから、「二階堂」とも呼ばれ、現在も地名にその名前を残しています。
1405年に焼失し、今は国指定史跡として痕跡だけが保存されています。永福寺跡の史跡
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歩いて感じる、鎌倉の歴史
鎌倉幕府、そして武家政権の礎を築いた源頼朝ゆかりの地をめぐる旅のコースをご紹介しました。今回ご紹介しきれなかった源氏ゆかりの地も含めて、鎌倉にはまだまだ歴史的なスポットがたくさんあります。
今回のコース地図
次回は鎌倉幕府の執権職を世襲した一族・北条氏ゆかりの地をご紹介する予定です。