南洲神社
西郷隆盛をはじめとする西南戦争の戦没者を祀る
西郷と薩軍の兵士たちが眠る墓地と神社
「南洲翁」こと西郷隆盛が最期を迎えた城山から北東に1kmほどの小高い丘の上に、西南戦争に敗れた西郷と薩軍の将兵2023名が眠る「南洲墓地」と、彼らを祀る「南洲神社」がある。1877年(明治10)に西南戦争が終結すると間もなく、西郷をはじめとする戦没者たちを祀る祠(ほこら)を建てようという気運が高まり、3年後に神社の前身となる参拝所が埋葬されていた墓地の隣に設けられた。その後、1913年(大正2)に社殿が完成し、その9年後に「南洲神社」という社号が許された。当時の社殿は戦災で焼失してしまい、しばらく仮殿の状態が続いたが、本殿が1957年(昭和32)に、拝殿が1970年(昭和45)に再建され、現在は墓地と神社を含む一帯が「南洲公園」として整備されている。
南洲墓地にお参りに行こう
公園に徒歩で行く場合は丘のふもとから155段の階段を上る。上りきると公園の敷地が開け、正面に墓地が見える。中央に立つ西郷隆盛の墓石はひときわ大きく、常に花が供えられているのでそれとわかるだろう。その右手には、知略に長けた一番大隊長・篠原国幹(くにもと)、智勇を兼ね備えた二番大隊長・村田新八が、左手には最後まで奮戦した四番大隊長・桐野利秋、温和で義に富んだ三番大隊長・永山盛弘(弥一郎)が眠る。ほかにも辺見十郎太、別府晋介、桂久武など、西南戦争で没した将兵の墓は全部で約750基。また、初代鹿児島県令(現在の知事)でありながら、薩軍に軍資金や武器などを援助したため処刑された大山綱良の墓や、当時は賊軍として扱われた薩軍の将兵を丁重に葬った2代県令・岩村通俊(みちとし)の記念碑も立っている。神社の境内には、勝海舟が亡き西郷をしのんで詠んだ歌碑や、江戸城無血開城により江戸が戦火を免れたことに感謝し、1939年(昭和14)に東京市から贈られた常夜灯もある。南洲公園の入り口付近にボランティアのガイドがいるので、案内をお願いすれば興味深い話をあれこれ聞くことができるだろう。
命日の例祭と、県内でも有名な六月灯
南洲神社最大の祭りは、主祭神・西郷隆盛の命日にあたる9月24日の例祭だ。この日は西郷の子孫や県内外から一般の参列者が集って神事が行われ、薩摩琵琶や太鼓の演奏、古武道などが奉納される。前日の23日には「セゴドンのエンコ」と呼ばれる西郷ゆかりの場所を巡る行事もある。また、7月17~18日には、鹿児島県の夏の風物詩といわれる祭り「六月灯(ろくがつどう)」が行われる。この神社の六月灯は県内でも有名で、長い石段に灯籠が並べられた光景はとても幻想的。舞台で舞踊や唄が奉納されるほか、生け花の展示などの催しが行われる。
西郷がテーマのカフェと博物館へ
南洲神社の境内には「軽食・雑貨 和かふぇなんしゅう」があり、神社参拝や墓参りのあとの休憩にぴったりだ。店内では「西郷どん」「桜島」など鹿児島にちなんだラテアートが描かれた「せごラテ」を注文できるほか、西郷どんをモチーフにしたかわいらしいグッズや鹿児島土産を購入できる。また、墓地の西側には、西郷隆盛の偉業を人々に伝えるためのミュージアム「西郷南洲顕彰館」があり、彼の生涯をたどるジオラマや遺品、自筆の書、関連資料などが展示されている。ほかにも、墓地の南側には桜島展望スポットがあり、鹿児島の市街地と錦江湾、桜島を同時に見渡すことができる。
スポット詳細
情報提供: ナビタイムジャパン
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