隠岐神社
隠岐に配流され、そして隠岐で崩御した後鳥羽天皇を祀る
後鳥羽天皇の崩御700年の1939年(昭和14)に創建
「神社アイランド」隠岐には「総社」と呼ばれる神社があり、また複数の「一宮」がある。それらは遠い昔の隠岐の国造りに縁をもち、「延喜式」など古代律令制の神名帳にも名を残し、千数百年の歴史をもつ古社だ。隠岐島前中ノ島の海士(あま)町にある「隠岐神社」は、「隠岐を代表する神社」を思わせる名前で、「総社」や「一宮」に負けず劣らず広い境内と立派な社殿をもつが、それらの古社と違って歴史は浅い。この隠岐神社は、鎌倉時代の「承久(じょうきゅう)の乱」によって隠岐に流された後鳥羽天皇(当時は上皇)が、19年の長きにわたり晩年を過ごした苅田(かった)の地に立ち、後鳥羽天皇を祭神とする。後鳥羽天皇の崩御700年にあわせて、「紀元節」前年の1939年(昭和14)、島根県により創建された神社で、1940年(昭和15)の「紀元2600年」記念行事のひとつとも考えられる。
天皇が余生を過ごされた地をしのぶ
1221年(承久3)、隠岐へ配流された後鳥羽天皇は源福寺を行在所とした。そして19年後の1239年(延応元)に崩御、島内で火葬され、ご遺灰が火葬塚に埋葬されたと伝わる。1658年(万治元)には松江藩主が廟殿を造営し、明治まで維持された。なお、1869年(明治2)に廃仏毀釈で源福寺は廃寺となった。その後、旧源福寺境内地は後鳥羽天皇の隠岐山稜とされ、山稜に隣接して隠岐神社が創建された。隠岐神社の一の鳥居から広い境内に入れば、参道には隠岐一と称えられる桜並木が続き、その先の神門の奥に、神となった天皇が鎮座する社殿が立つ。そして隣接する森に、天皇のお墓である「御火葬塚」と、晩年を送られた「行在所跡」が静かにたたずむ。
今も島民に親しまれる「ごとばんさん」
『新古今和歌集』を勅撰し、『百人一首』にもその歌があるなど、歌聖と称えられる後鳥羽天皇は、隠岐に配流されたが、この間の代表作として『遠島百首』がある。毎年1月最終日曜には天皇の和歌に親しむ「後鳥羽院遠島百首かるた大会」が開催され、4月14日と10月14日の例祭日には、後鳥羽天皇の御製「我こそは新島守よ隠岐の海の荒き波風心して吹け」に楽と振りを付けた「承久楽(じょうきゅうがく)」が奉納される。後鳥羽天皇の配流によって、離島の隠岐に都の文化が流れ込み、行在所のあった中ノ島には天皇にまつわるさまざまな伝承が残る。そして後鳥羽天皇は「ごとばんさん」と呼ばれ、今も島民に親しまれている。神社の門前には「海士町後鳥羽院資料館」があり、ここで後鳥羽天皇や海士町の歴史・地理についていろいろ話を聞けるので、参拝がてら立ち寄ってみたい。
スポット詳細
情報提供: ナビタイムジャパン
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クチコミ
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- 後鳥羽上皇
- 広い駐車場あり。ご祭神は後鳥羽上皇。創建間もない神社。何故後鳥羽上皇なのか?海士町には他に見ないご祭神や、出雲に比類無き古社があると思われるのに・・・。ただ境内は綺麗に整備されている。
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- 海士町に着いたらまずここ
- 菱浦港よりレンタサイクルで行くことができます。通りから少し奥まったところにあります。建物はとても立派で、神々しい雰囲気の中に佇んでいました。他の観光客はほとんどいなくて、ゆったりと見学することができました。
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- 後鳥羽上皇ゆかりの神社
- 承久の乱後、隠岐に配流された後鳥羽上皇が行在所としていた地に建立された神社。祭神は、その後鳥羽上皇です。神社としては、特に特徴的なものは無いような気がしましたが、後鳥羽上皇にまつわる史跡もあり、歴史好きなら楽しめる場所だと思いました。
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