片倉シルク記念館

記念館

近代日本を支えた製糸業の歴史と役割を後世に伝える

日本最大級の製糸会社だった片倉工業が、最後まで生糸(きいと)を作り続けた熊谷工場。その跡地に残る繭(まゆ)倉庫を利用した記念館では、製糸機械を間近で見学できるほか、生糸の生産過程や当時の暮らしぶりも学べる。

工場で実際に使われていた機械などを展示。2007年(平成19)に近代化産業遺産に認定された} 工場で実際に使われていた機械などを展示。2007年(平成19)に近代化産業遺産に認定された

製糸工場の歴史を語り継ぐ「片倉フィラチャー」

養蚕農家が生産した繭から絹織物の原材料となる生糸を作る製糸業。明治から昭和初期にかけて日本の基幹産業のひとつとして発展し、日本の近代化と資本主義の成立に大きく貢献した。そうした製糸業の歴史や役割、先人たちが残した足跡を肌で感じることができるのが、熊谷市にある「片倉シルク記念館」だ。JR熊谷駅から徒歩約15分、または秩父鉄道上熊谷駅から徒歩7分ほど。現在ショッピングモールとなっているこの場所には、かつて、片倉工業の最後の製糸工場として稼働していた熊谷工場があった。しかし生糸需要の衰退により、1994年(平成6)に閉鎖。2000年(平成12)、この地は「片倉シルク記念館」と商業施設からなる「片倉フィラチャー」としてオープンした。フィラチャーとは英語で「製糸場」を意味し、かつてここが製糸工場であったことを記念して名付けられた。熊谷工場時代に繭の貯蔵庫として使われていた2棟の建物が敷地の一角に保存され、記念館として無料で公開されている。

「イオン熊谷店」の駐車場の隣に立つ2棟の元倉庫。手前が「蔵造り倉庫」} 「イオン熊谷店」の駐車場の隣に立つ2棟の元倉庫。手前が「蔵造り倉庫」

「蔵造り倉庫」で製糸業について知識を深める

2棟ある建物のうち、南側の「蔵造り倉庫」から見学を始めよう。ギャンブレル(腰折れ)屋根が特徴的な木造2階建ての倉庫は、熊谷工場の前身である三木原製糸場で1899年(明治32)に建てられたものだ。中に入ると、熊谷工場のジオラマが置かれ、その先に「絹ができるまで」をパネルで紹介している。メインの展示は「製糸工場を知ろう」をテーマに、かつて工場で実際に使われていた機械が並ぶ。製糸に適さない不良繭を取り除く「選繭(せんけん)」、糸をほぐしやすくするために繭を煮る「煮繭(しゃけん)」、繭から引き出した糸を何本かあわせて1本の生糸にする「繰糸(そうし)」など、いくつもの作業を経て繭から生糸が作られ、出荷されるまでの工程をたどることができる。

在りし日の熊谷工場のたたずまいを伝えるジオラマ} 在りし日の熊谷工場のたたずまいを伝えるジオラマ

生糸を作る工程で最も重要な「繰糸」。機械化によって大量生産が可能になった} 生糸を作る工程で最も重要な「繰糸」。機械化によって大量生産が可能になった

「蔵造り倉庫」の2階には「片倉工業のあゆみ」と称して、さまざまな写真や資料が展示されている。なかでも目を引くのが「御法川式多条繰糸機(みのりかわしきたじょうそうしき)」だ。製糸機器の開発を行っていた御法川直三郎が発明したもので、片倉工業が開発費を援助し、工場に導入した。御法川式多条繰糸機により生産された生糸は、アメリカでも絶賛され、高級生糸「片倉ミノリカワ・ローシルク」として注目された。その後も同社は改良・開発を続け、全工程の自動化を実現。高品質の生糸を大量に生産することが可能となり、一部の特権階級のものであったシルクが世界中の人々の手に届くようになった。

1931年(昭和6)から熊谷工場最後の日まで働き続けた「御法川式多条繰糸機」} 1931年(昭和6)から熊谷工場最後の日まで働き続けた「御法川式多条繰糸機」

片倉工業の製糸業121年の足跡に触れる

片倉工業の歴史は、1873年(明治6)、現在の長野県岡谷市で10人繰りの座繰製糸(ざぐりせいし)から始まった。1939年(昭和14)には日本で最初の官営模範製糸場である富岡製糸場を合併し、1987年(昭和62)の操業停止後も、その歴史的・文化的価値を守るため取り壊しや売却をせず保全管理に努めたことで知られる。そうした努力が実り、2014年(平成26)、富岡製糸場はユネスコ世界文化遺産に登録された。製糸業の最盛期には最大62か所の製糸工場を有した片倉工業において、最後まで操業を続けたのが熊谷工場だ。従業員の多くは中学を卒業した女性で、工場内には寮や学校が設置され、仕事のかたわら勉学に励み和裁や生け花なども学ぶことができた。記念館2階の「メモリアルギャラリー」には当時の写真が展示されており、工員たちが楽しそうに生活する様子が伝わってくる。

写真を展示する「メモリアルギャラリー」。奥にはミニシアターもある} 写真を展示する「メモリアルギャラリー」。奥にはミニシアターもある

日本に現存する唯一の貴重な「蜂の巣倉庫」

隣接するもう1つの倉庫は「蜂の巣倉庫」と呼ばれる。建物は1936年(昭和11)に福島県の製糸工場で建設され、1965年(昭和40)に熊谷工場に移築されたものだ。中に入り天井を見上げると、蜂の巣状にたくさんの「たて穴」が空いている。通常繭は袋詰めして重ねて保管するが、ここでは穴に繭をバラバラの状態で貯蔵し、必要なぶんだけ下から取り出せるようになっている。床に接していないためネズミや害虫の被害を免れやすく、温度・湿度の安定性が増し、繭の状態を良好に保てるというメリットがあった。全部で105個の穴があり、ひとつの穴に1200kgの繭を保管できたという。また倉庫内では、近隣の農家で使われていた養蚕道具が展示され、蚕(かいこ)が卵から幼虫にふ化し、繭となって製糸工場へ運ばれるまでの流れをわかりやすく解説している。

天井の「たて穴」から繭玉を取り出す作業の様子が再現されている} 天井の「たて穴」から繭玉を取り出す作業の様子が再現されている

蚕が繭を作る状態になるときに使われた「回転まぶし」} 蚕が繭を作る状態になるときに使われた「回転まぶし」

スポット詳細

住所
埼玉県熊谷市本石2-135 map map 地図
エリア
北部エリア
電話番号
0485224316
時間
10:00-17:00(最終入館16:30)
休業日
月、火、ほか臨時休館あり
料金
[入館料]無料
Wi-Fi
なし
コンセント口
なし
喫煙
不可
滞在目安時間
30-60分
車椅子での入店
可(2Fへは階段のため不可)
乳幼児の入店
可(ベビーカーの場合は2Fへは階段のため不可)
雨の日でも楽しめる
はい

情報提供: ナビタイムジャパン

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クチコミ

  • イオン熊谷の敷地内にあります
    4.0 投稿日 : 2020.03.09
    もともとは片倉製糸工場があった場所なので、記念館があっても不思議ではないです。当時の貴重な資料がたくさん展示してあって、無料で見学できます。大型産業の無い熊谷市にあっては大変大きな施設であったことが分かります。
  • 片倉工業の製糸工場の跡
    4.0 投稿日 : 2019.10.25
    今はイオンになっている広大な敷地に片倉工業の製糸工場があったことを今に伝える貴重な建物と施設です。生糸がどうやってできていくのか、素人にはなかなか難しいですが、2階の奥にある映像コーナーでその過程を見るとよくわかり、展示してある機械などもどのように使われていたのかが理解できました。
  • 富岡製糸場との関係とかも興味深い
    3.0 投稿日 : 2019.08.07
    片岡工業の最後の製糸工場だった熊谷工場の繭倉庫を活用した記念館。岡谷から起こった片倉工業の歴史や片倉工業とともに発展した製糸産業の技術などを細かく解説しています。富岡製糸場との関係とかも興味深い。なお、利用は無料です。

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アクセス

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