崎方公園
異国情緒ただよう城下町、平戸を一望する絶景スポット
高台の展望台から平戸の城下町を一望する
平戸港に面した崎方町(さきがたちょう)の裏手に広がる高台一帯が崎方公園だ。歩いて行く場合は、松浦史料博物館からの道がわかりやすい。博物館前の大ソテツ通りを東へ進むと、左手に「お部屋の坂」があり、坂の入り口に小さな祠が立っている。「崎方公園へ」という標識にしたがい、そのまま祠の前の遊歩道を進もう。石段を上って行くと、坂の途中に「ハートのベンチ」が置かれていて、人気の撮影スポットとなっている。さらに上ると芝生広場に屋根付きの展望デッキがある。ベンチに座って、景色を眺めながらひと休み。眼下には黒い瓦屋根が連なり、港の向こうには丘の上に平戸城がそびえる。江戸時代から変わっていないかのような美しい風景に、時間も忘れて見入ってしまう。
芝生広場から子ども向けの遊具が置かれた広場を抜けると、奥にフランシスコ・ザビエル記念碑が立っている。スペインのナバーラ王国に生まれたザビエルは、イエズス会宣教師として1549年(天文18)に鹿児島に上陸。2年余りに及ぶ日本滞在中に3度平戸を訪れ、キリスト教の布教にあたった。十字架をかたどった碑の中央にザビエルの胸像が刻まれ、その視線は遠くエルサレムを望んでいるといわれる。
日本に帰化し、平戸で生涯を終えた三浦按針
さらに遊歩道を上ると、三浦按針のものと伝わる墓地がある。按針ことウイリアム・アダムスは、1600年(慶長5)にオランダ船リーフデ号の航海士として大分に漂着。徳川家康の外交顧問として活躍し、領地250万石の旗本に取り立てられるなど、異国人でありながら日本の武士として生きるという数奇な人生を送った。オランダとイギリスが通商を許され平戸に商館を設置できたのは、按針の力によるところが大きかったといわれる。晩年は平戸イギリス商館のために働き、母国への帰国を願いながらも叶わず、1620年(元和6)に55歳で病没した。この場所は長らく按針の埋葬地と伝承されており、2017年(平成29)に再発掘調査を行ったところ北および西ヨーロッパ人のものである骨が発見され、按針の遺骨である可能性が高いとされている。按針生誕400年にあたる1964年(昭和39)にはイギリスの妻の墓地から取り寄せた小石が合葬され、現在は平戸の町と海を見下ろしながら眠っている。
昼も夜も美しい、平戸の絶景を満喫する
三浦按針の墓地から上へ進むと、見晴らしのよい高台に出る。駐車場もあるので、車で来た人はこちらに停めよう。丘の上には「ANJINローズガーデン」と名付けられたバラ園がある。新種「ウイリアム・アダムス」を含む約50種類300本のバラが植えられ、5月と11月に色とりどりの花々を咲かせる。バラ園から見渡すと、町のシンボルである平戸城から港、平戸島と九州本土をへだてる平戸瀬戸、その上に架かる赤い平戸大橋まで、壮大なパノラマが広がる。天気のよい日には海がきらきらと輝いて、まさに絶景。按針やザビエルも眺めたであろう景色を前に、遠い異国からこの地にやってきた人々に思いを馳せるのもいい。また崎方公園は夜景スポットとしても人気で、ライトアップされた平戸城や平戸ザビエル記念教会が夜空に浮かび上がる風景はとても幻想的だ。
スポット詳細
情報提供: ナビタイムジャパン