波浮港
昭和の面影を残す、文人墨客も投宿した港町
噴火で生まれた火口池が穏やかな良港に
波浮港(はぶみなと)は800年代初期に起きたマグマ水蒸気噴火によってできた火口湖だった。1703年(元禄16)の「元禄地震」の津波で池の一部が崩壊し、外海とつながったとされる。江戸時代に入り、商人だった秋廣平六が1790年(寛政2)に来島した際、小舟がそこを出入りする様子を見て港にすべきだと気づいた。これにより幕府事業として波浮港の掘割工事が開始され、苦労の末、1801年(享和元)に開港。周囲を火口壁で守られた港は暴風や高波を防ぎ、伊豆諸島の廻船、漁船にとって「風待ち」の安全な場所として利用されることとなった。以来、波浮港は避難港として現在も活用されている。平六はその後、一家で移り住み周囲を開墾し村づくりに尽力。1817年(文化14)、波浮港で61歳の生涯を閉じた。
銀座よりも地代が高かった!? 港町の今と昔
開港したのち波浮港村は良港として徐々に栄えていった。波浮港の沖合に「大室ダシ」と呼ばれる好漁場があり、全国各地の漁船がこぞって集まってきた。波浮港は獲った魚を本土に運ぶための中継地としても重要な役割を果たしたのだ。漁船を停泊中の漁師たちのため銭湯、食堂、タバコ屋、飲み屋、旅館などが次々に登場し、昭和初期は銀座の一等地よりも港の商店街の地代が高かったともいわれている。また、明治から昭和にかけて与謝野晶子、幸田露伴、野口雨情など文人墨客が保養や観光、執筆製作のため逗留、多数の作品を残すほか、川端康成の『伊豆の踊子』に登場する旅芸人一家は波浮港から来たという設定になっている。現在はかつての栄華を思わせる港町の風情が残るレトロさと、古民家を活用したカフェや宿泊施設もあり伊豆大島の観光名所のひとつになっている。
鳥居が2つある海の神様、波布比め命神社
波浮港へ降りていく途中、こんもりと森に囲まれているのが波布比め命神社(はぶひめのみことじんじゃ)。創祀年は不明だが、901年(延喜元)にできた国勢一覧にはすでに名前があることからそれ以前に建立されたものと思われる。伊豆諸島の寺社縁起を記した「三宅記」によると事代主命(ことしろぬしのみこと)の后のひとりとされ、伊豆大島にある大宮神社、波知加麻(はじかま)神社の母神になる。現在の社殿は1938年(昭和13)に建てられたもので、入母屋造りに唐破風の向拝(こうはい)が施されている。海の神様でもあり、境内には都道側と港側の2か所に鳥居があるのが珍しい。かつては船で海から鳥居をくぐり参拝するのが正式とされていたという。小さいながら地元の人たちが清掃をし、すがすがしさを覚え心が落ち着く。
※「波布比め命神社」の「め」は正しくは「口羊」(口偏に羊)
50年以上愛される、波浮港の名物の絶品コロッケ
店内には俳優、タレント、有名人のサイン色紙がズラリと並び壮観。波浮港の名物として50年以上、地元はもちろん観光客にも親しまれている人気店が「鵜飼(うがい)商店」。訪れる人のお目当ては熱々の揚げたてのコロッケだ。小ぶりながらカラッと揚がったコロッケは、じゃがいもの甘味とサクサクの衣が見事にマッチ。注文してから揚げてくれるので、それを持って目の前の波浮港を眺めながら頬張るのが楽しい。コロッケ以外にもメンチ、ハムカツ、「特大カラアゲ」などメニューは豊富。週末になるとわざわざ車を飛ばして来る島民や、ヨットで立ち寄って大量に注文するリピーターなども多い。お母さんが一人で揚げるため、多めの注文を希望する際は事前に電話をしてほしいとのこと。いつまでも続けてもらいたい愛すべき名店だ。
スポット詳細
- 住所
- 東京都大島町波浮港1 地図
- エリア
- 伊豆大島・利島エリア
- 電話番号
- 0499240521
情報提供: ナビタイムジャパン