滝山城跡
桜の名所としても知られる、全国でも屈指の中世城郭跡
山城ビギナーにもおすすめの東京の名城
滝山城は戦国時代の平山城の最高傑作とも称賛される名城。北に多摩川、南は谷地(やじ)川が流れる丘陵に、崖や浸食谷などの複雑な地形を利用して築かれた要塞であった。築城の経緯や年は諸説あって明らかではないが、1567年(永禄10)頃までに北条氏照が居城としていたことは間違いない。当時は南麓の滝山街道沿いに城下町が形成されていたとみられている。現在、滝山城跡は都立滝山公園として整備され、戦国時代の城塞の様子がよくわかる史跡として、あるいはなだらかな丘陵を歩く気軽なハイキングコースとして、歴史愛好家から小さな子ども連れファミリーまで幅広い人気を集めている。春は桜とヤマツツジ、秋は紅葉が美しく、また木々が落葉して地形がよく見える冬も城観察におすすめだ。
坂道を上って二の丸跡へ
滝山城跡ハイキングの一般的なスタート地点は、丘陵の南側、滝山街道に通じる坂道から。JR八王子駅・京王八王子駅からバスに乗って「滝山城址下」下車。車なら無料の市営滝山観光駐車場を利用できる。途中の道沿いに置かれた箱に訪問者向けパンフレットが用意されているのでもらっていこう。堀の底に通された道は、ここから敵兵が進入したら城兵が前後左右から攻撃できるようになっていて、取り付きからして難しい城だったことがわかる。その先、千畳敷と呼ばれる野原にはテーブルとベンチが置かれ、休憩にちょうどいい空間。千畳敷を過ぎたら、滝山城で最も防御性に優れている二の丸。三方に虎口(こぐち)と馬出(うまだし)が設けられ、極めて堅固な造りになっている。
山中にひっそりとたたずむ中の丸と本丸跡
中の丸には北条の政庁がおかれていたと考えられている。北側は断崖になっていて、眼下に多摩川と秋川の合流が、遠くには狭山丘陵まで望める。1569年(永禄12)に武田信玄率いる軍が滝山城を攻撃したとき、対岸に陣を敷いた信玄軍の様子が手に取るようにわかったことだろう。中の丸と本丸は木橋で結ばれていて、戦闘がここまで及んだら、橋を引き込んで渡れないようになっていたそうだ。現在、本丸には広場の片隅に滝山城跡の碑が立っているほか、近隣出身の日露戦争・太平洋戦争の英霊を祀る霞神社が鎮座している。本丸の丘は標高169m、歩き始めた南麓の滝山街道は標高129mなので、高低差わずか40mしかないが、ここまでいくつものコの字土塁や虎口を経たせいか、ずいぶん遠くへ来たようにも感じられる。
北条氏照が居城とした、関東屈指の堅城
滝山城主・北条氏照は、小田原を本拠とする北条氏の第3代当主・北条氏康の三男として生まれ、第4代当主・氏政の弟でもあった。政治にも軍事にも非常に優れた人物で、北条家が関東全域に領地を広げ大大名となるのに力を尽くした。その氏照が居城の場所にこの丘陵を選んだ理由は、その地形にある。尾根と谷が複雑に交差していて、攻撃側は大部隊を展開することができず、といって小部隊で攻めては各個撃破されてしまう。方向感覚も狂いやすい。まさに守るにやすく攻めるにかたい天然の要塞で、氏照の築城能力の高さがうかがえる。しかし、より堅固な防衛の必要性を感じた氏照は、のちに標高460mの深沢山(現在の城山)に八王子城を築き、滝山城から本拠地を移した。
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情報提供: ナビタイムジャパン