天佐志比古命神社
人口600人、車より牛が優先の、知夫里島の「いっくうさん」
1000年以上の歴史をもつ小さな島の「一宮」
隠岐島前(どうぜん)3島のひとつ知夫里(ちぶり)島は、周囲を断崖と岩礁に囲まれ、ほとんど平野がない。断崖の上にはなだらかな草原が広がり、のどかに牛が放牧されている。島がそのまま知夫(ちぶ)村で、「島根県唯一の村」でもある。島の人口は約600人、ほぼ同数の牛がこの島に住んでいる。「神々の島」である隠岐には由緒ある神社が多いが、この絶海の孤島のような島にも、1000年以上の歴史を誇る由緒正しい古社があることに驚かされる。それが、天佐志比古命神社で、地元では「いっくうさん」と呼ばれ、親しまれている。隠岐では島後の「水若酢(みずわかす)神社」と島前西ノ島の「由良比女(ゆらひめ)神社」が「隠岐国一宮」とされるが、この天佐志比古命神社は「知夫里島の一宮」だ。
「延喜式」の式内社で、島民の崇敬を集める
天佐志比古命神社は「延喜式神名帳」にも記載される立派な式内社で、『続日本紀』では848年(承和15)に従五位下を叙されたとあり、『隠州神名帳』にも「従一位天佐自彦大明神」とある。社伝によれば、祭神「天佐志比古命」は用明天皇の時代、新府利(仁夫里にぶり)の沖の中島(神島)に出現し、そこに59年間座したのち、孝徳天皇の653年(白雉4)、新府利に上陸し、そこに鎮座したという。中島(神島)はその沖に浮かぶ小島だ。天佐志比古命は水若酢命や玉若酢命などと同じく『古事記』『日本書紀』に記載がない神だが、「大己貴命(おおあなむちのみこと)」の別号とする説もある。大己貴命はオオクニヌシの別名だ。現在の地に遷座したのは、江戸時代の1659年(万治2)。島に生きる人々の暮らしを見守る、島全体の氏神として、島民から崇敬されている。
江戸時代から続く伝統行事の芝居奉納
2年に1回、7月最終土曜・日曜に行われる例大祭の折に、この天佐志比古命神社では村歌舞伎、子ども歌舞伎が奉納される。江戸時代から続く伝統行事で、島民たちによってさまざまな演目が演じられ、ふだんは静かな境内が多くの島民で賑わい、歓声に包まれる。この歌舞伎奉納は観光的なものでも、儀礼的なものでもない。島民たちによる、島民のためのハレの日の舞台なのだ。かつて日本社会で、神社は村人の生活の中心だった。高度経済成長と都市化、また過疎化によって、伝統社会の多くは失われてしまったが、「人口が牛の数と変わらない」この島では古きよき伝統が今も息づいている。そして、人口600人の村といえば「過疎による限界集落」というイメージが想起されるが、この島は外部からの移住者もあり、近年の人口増加率は全国トップクラスで若い世代も多い。絶景の赤壁や赤ハゲ山へは、どちらもこの神社から車で25分ほど。しかし、途中の道路では「車より牛が優先」のため、牛が通行のじゃまをすることもある。したがって、所要時間は「牛次第」だ。絶景はもちろん、この島の空気感を肌に感じるだけでも訪れる価値がある。
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情報提供: ナビタイムジャパン