針尾送信所

展望塔/タワー

旧日本海軍が建設した、日本の技術を象徴する近代化遺産

戦前に建造物の高さ日本一を誇った鉄筋コンクリート製の無線塔。日本の近代建築を象徴する存在だ。太平洋戦争開戦の符号「ニイタカヤマノボレ1208」を南方に送信したとも言われ、歴史にその名を残している。

対岸から見た針尾送信所。空高くそびえる3本の無線塔は、遙か遠くからでも目立つ} 対岸から見た針尾送信所。空高くそびえる3本の無線塔は、遙か遠くからでも目立つ

大正時代に当時の最高技術を駆使して建造

天を突き刺す巨大な3本の塔が、佐世保湾と大村湾をへだてる針尾島(はりおじま)に立っている。見た目にも不思議な建造物の正体は、旧日本海軍が約4年の歳月をかけて建設し、1922年(大正11)に完成した無線塔だ。高さ約136m、基部の直径約12mの塔が、1辺300mの正三角形の頂点に配置されている。当時は日本一の高さを誇る建造物で、その座は1954年(昭和29)に名古屋テレビ塔が完成するまで32年間も維持されていた。3本の無線塔がこれほど巨大になったのは、建設当時の無線通信の主流が長波通信だったことによる。長波は条件がよければ地球の反対側まで届く特性があり、長距離の海上通信に適したとされる方法だが、長大なアンテナが必要になる。また、海軍が鉄筋コンクリート建築の研究を行っていた時期でもあり、実験と実践を兼ねてこの規模となった。現在は無線塔としての役割を終え、2013年(平成25)に「旧佐世保無線電信所(針尾送信所)施設」の名で国重要文化財に指定された。

見学可能な3号塔。真下から見上げると、その高さと大きさを実感できる} 見学可能な3号塔。真下から見上げると、その高さと大きさを実感できる

入り口の右側に1921年(大正10)建造の油庫、その奥に門衛所を復元した案内所がある} 入り口の右側に1921年(大正10)建造の油庫、その奥に門衛所を復元した案内所がある

高さ136mの巨大な塔を内側から見上げる

駐車場に車を停めたらまず案内所へ。海軍時代の門衛所を復元した建物に地元ボランティアの案内係が常駐している。正面には3号塔がそびえ、基部の鉄の扉が開いていて中に入ることができる。塔の内部は空洞で、中央に櫓のような鉄骨が頂上まで組まれており、見上げても先端部は見えないほど遠い。地上には壊れたウインチが残されている。往時は3本の塔の間に無線電信用ケーブルが張られ、このウインチは建築資材の運搬やケーブルのメンテナンスに使用されていたそうだ。無線塔の工事費は1基あたり30万円、現在の金額にして約50億円にもなった。国重要文化財の指定にあたって老朽化が心配されたが、調べたところ今も頑丈で、あらためて大正時代の建築技術の高さが確認された。3号塔の隣には、直径4mのコンクリート製天蓋があり、周囲にベンチが置かれている。一見すると風光明媚な瀬戸を見渡す休憩所のようだが、実は当時の海軍の見張所で、侵入者をここから監視していたという。

大正時代における国内最高水準のコンクリート技術を示すものとして高い価値がある} 大正時代における国内最高水準のコンクリート技術を示すものとして高い価値がある

見張所として使われていた天蓋からは針尾瀬戸や新西海橋を一望できる} 見張所として使われていた天蓋からは針尾瀬戸や新西海橋を一望できる

3基の無線塔の中心にある電信室を見学する

3号塔の見学を終えたら、案内所方向に戻って、フェンスに囲まれたエリアに入ろう。建物は、まるでファンタジー映画の舞台のような独特な美しさのある空間だ。かつて電信室として使われていた半地下式の鉄筋コンクリート製の建物には、発電機室や送受信機室などが設けられていた。イタリアで無線電信が発明された1895年(明治28)から27年後に、予算的にも構造的にもこれらの大規模な建造物を造り上げることができた近代日本の工業力を象徴する針尾送信所だが、技術の進歩は早く、完成から13年後の1935年(昭和10)には通信の主流が短波となったため、以降はこれほど巨大な無線塔は造られなくなった。戦後は海上保安庁の管理に移されて1997年(平成9)まで使用されていた。

電信室はドラマなどのロケ地として使われることも多い} 電信室はドラマなどのロケ地として使われることも多い

送信所を有名にした「ニイタカヤマノボレ1208」

針尾送信所の名を現在も世に知らしめているのは、1941年(昭和16)、米英蘭3国への開戦を12月8日と決めた海軍の符号「新高山登レ 一二〇八(ニイタカヤマノボレ ヒトフタマルハチ)」を南方に送信したとも言われることだ。これについて、よく「針尾送信所から真珠湾攻撃の符号を発信した」ともいわれるが、実際は広島沖に碇泊していた連合艦隊旗艦長門が符号を発信して、針尾送信所はそれを南方や大陸へ中継発信したともいわれている。日本軍は真珠湾攻撃とほぼ同時刻に、上海の英国艦隊攻撃をはじめ西太平洋全域で連合国軍に攻撃を開始している。真珠湾攻撃の実動部隊への通信は千葉県の船橋送信所が担い、資料も残っている。しかし、針尾送信所が受信し、送信したのかは資料が残っておらず、確実なことはわからない。

電信室1階東側の機械室。吹き抜けのアーチ型天井は高さ9.55mある} 電信室1階東側の機械室。吹き抜けのアーチ型天井は高さ9.55mある

スポット詳細

住所
長崎県佐世保市針尾中町382 map map 地図
電話番号
0956582718
時間
9:00-12:00/13:00-16:00
休業日
年末年始

情報提供: ナビタイムジャパン

クチコミ

  • 100年前とは思えない
    4.0 投稿日 : 2022.11.26
    巨大なコンクリート柱は、遠くからでも良く見えます。西海市側の西海橋公園からは、西海橋、新西海橋、針尾瀬戸と共に、3本の巨大柱を同時に眺望できます。100年も前に築造した人々に敬意が湧きます。
  • 行くべきです。
    5.0 投稿日 : 2022.07.08
    歴史、時代を感じられます。やはり実際に行くことをお勧めします。駐車場もあり無人で夏みかんも売ってました。2号塔のまわりは、夏みかんの畑でした。
  • 歴史的建造物
    5.0 投稿日 : 2021.12.10
    気になっていた場所で、観光で側まで行くので調べてみたら、施設内も公開しているとのことで足を運びました。傍で見るアンテナは圧巻の一言。来年で建造100年とのことで、当時の技術の高さが偲ばれます。

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