馬見岡綿向神社
神のお使いはイノシシ!日野商人が出世開運の神と崇めた古社
珍しい名の由来は定かではないが、社の起こりは、日本の初代天皇である神武天皇の御世のこと。日野の最高峰である綿向山(標高1110m)頂上に開拓の祖神である天穂日命(あめのほひのみこと)を出雲国から迎え、平安時代初期になって現在の地に神を遷して里宮とした。イノシシの石像や「撫でイノシシ」、「お絵描きイノシシ絵馬」など境内にイノシシの姿が見られるのは、山頂の神へ導いたのがイノシシだったという逸話から、イノシシが神使とされていることによる。社はこの地の領主であった蒲生家の氏神として守り継がれ、江戸時代には出世開運の神として日野商人の崇敬を集めた。江戸時代中期の大改修では日野商人が商いで築いた富を惜しみなく注ぎ込み、日野祭の渡御行列の様子を描いた幅4.2mの巨大な絵馬や、拝殿、御手洗川の石橋、石灯籠、千両松など日野商人ゆかりのものが残る。春の例祭・日野祭は、16基の絢爛豪華な曳山が繰り出す湖東地方最大の祭りで八百余年の歴史を有する。町と神社の境界には、日野祭の際に曳山が通れるよう、鳥居ではなく「勧請縄」が張られている。新年5日に毎年新調するもので、12本の垂れは12か月を表している。月により日照時間が異なるのにあわせ、垂れの長さも異なることにも注目。
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情報提供: ナビタイムジャパン