澤田美喜記念館

記念館

社会事業家・澤田美喜が蒐集した隠れキリシタンコレクション

混血孤児を救済する「エリザベス・サンダース・ホーム」の創始者、澤田美喜の死後、彼女自らが集めた数多くの隠れキリシタンの秘蔵コレクションを展示。記念館の外観はノアの箱舟をイメージした長六角形の船型だ。

記念館は日本で初めて免震構造を採用した認定第1号の建物} 記念館は日本で初めて免震構造を採用した認定第1号の建物

大磯駅の正面にある記念館

いつ見ても扉がピタリと閉まっていて「ここはなんだろう?」と思わせるのが大磯駅の目の前のバス停すぐうしろにある澤田美喜記念館。2023年(令和5)1月現在、コロナ禍のため予約者しか拝観できないので、まずは電話で日時を決めてから訪ねよう。約束の時間、いつもは閉ざされているフェンスを軽く押しただけで扉はすっと開いた。まるで秘密の花園に入り込むような気持ちで門をくぐると、地元の人たちから「岩崎山」と呼ばれている小高い山が現れる。この辺りは三菱財閥の岩崎別邸があったところで、木々に覆われた「岩崎山」の階段を80段上り切った先が記念館。記念館は三菱財閥の創業者、岩崎彌太郎の孫娘である澤田美喜が生前集めていた隠れキリシタンの膨大な資料の展示室と祈りを捧げるための礼拝堂からなる。階段下には澤田美喜が開設した児童養護施設「エリザベス・サンダース・ホーム」があり、隣接の「聖ステパノ学園」は、1953年(昭和28)、澤田美喜がホームの子どもたちのために造った小・中学校だ。

記念館の2階「澤田美喜記念礼拝堂」はモダンで美しいたたずまい} 記念館の2階「澤田美喜記念礼拝堂」はモダンで美しいたたずまい

澤田美喜が設立した「エリザベス・サンダース・ホーム」

1階の展示室には澤田美喜の詳しい年表が展示されているので、まずは彼女の足跡をたどってみた。1901年(明治34)、三菱財閥3代目岩崎久彌の長女として生まれた美喜はお茶の水女子高等師範学校中退後に津田梅子から英語を習い、20歳には外交官の澤田廉三と結婚してクリスチャンになる。英語力を生かしながら海外を渡り歩くなか、美喜はロンドン滞在中に出会った孤児院「ドクター・バーナード・ホーム」に感銘を受けるが、この記念館では美喜が外交官夫人として世界を廻った当時のパスポートや旅行鞄も展示されている。その後、戦後の財閥解体で資産を凍結されていた父がかつて所有していた大磯の別荘を買い戻した美喜は、1948年(昭和23)、「エリザベス・サンダース・ホーム」を創設。まず戦後の連合国軍兵士と日本人女性の間に生まれた混血児のための乳児院を造り、のちに児童養護施設、学校、と子どもたちの成長にあわせた施設を設立していった。美喜が亡くなるまでに養育した子どもは2000人以上。そのうちの600人は混血児だったが、現在は混血児ではなく種々事情を抱えた子どもたちを育成する児童養護施設に様変わりしている。澤田美喜亡きあと、令和を迎えた今も彼女の想いが大磯の地で受け継がれていることに感動を覚えた。

左/澤田美喜の家系図 右/幾度となく渡航した美喜のパスポートの一部} 左/澤田美喜の家系図 右/幾度となく渡航した美喜のパスポートの一部

個人的に集めた隠れキリシタンの遺物

敬虔なクリスチャンだった美喜はあるとき、サンフランシスコから横浜に向かう船の中で手に取った本から日本のキリシタン殉教者に感銘を受け、その後40年にわたって九州の島々を巡り、隠れキリシタンの遺物を集めた。九州は1587年(天正15)、豊臣秀吉の禁教令によってキリスト教が禁止されたあとも1873年(明治6)に解禁されるまで信仰の絶えることがなかった地域。美喜はホームを造り子どもたちを守り育てるなかで苦悩のときもこれらの遺物に祈りを捧げ、キリシタンたちの信仰の想いに助けられたという。美喜の死後、1987年(昭和62)に設立された記念館では彼女が集めた現在874点あるコレクションのうち3分の1ずつをジャンル別に展示。背面に十字架が隠された阿弥陀如来像や内側にキリスト像が納められた刀の鍔(つば)、寺の欄間にこっそりと描かれたイエスを抱くマリアとヨセフなど、遺物の展示一つひとつから当時の隠れキリシタンたちの信仰心とその苦労がひしひしと伝わってきた。

マリア像が多数納められた1階の展示棚。奥には澤田美喜とホーム卒業後に亡くなった人たちの遺影が飾られている} マリア像が多数納められた1階の展示棚。奥には澤田美喜とホーム卒業後に亡くなった人たちの遺影が飾られている

円卓の上に置かれたものは、外交官の夫と過ごした海外で集めた大小さまざまな十字架} 円卓の上に置かれたものは、外交官の夫と過ごした海外で集めた大小さまざまな十字架

日本最古の額装された紙の踏み絵と版木。実際に使われた踏み絵の摩耗具合からキリシタンの受難の日々を思う} 日本最古の額装された紙の踏み絵と版木。実際に使われた踏み絵の摩耗具合からキリシタンの受難の日々を思う

国内に2つしかない「魔鏡」の1つと国内最古級の巻物

江戸時代、隠れキリシタンは鏡にも信仰の印を残した。それは裏面に松・竹・梅、鶴と亀の文様のある一見普通の銅鏡なのだが、匠の技術によって光を壁に反映させるとキリストの姿が浮かび上がる仕掛けになっており「魔鏡」と呼ばれている。現在、魔鏡のレプリカを作れるのは、江戸時代から和鏡とともに魔鏡を作り続けてきた京都の山本合金製作所だけ。当時のもので現存するのは国内でも2つしかなく、美喜は戦前、長崎県、五島列島の旧家で魔鏡を入手した。現在もたった1つの製作所でしか作られていない高い技術を要する鏡に込められた当時のキリシタンの信仰の深さに感銘を受け、美喜がこの鏡を手にした瞬間に思いを馳せた。投影されたキリストの姿はおごそかで、貴重な魔鏡は記念館でも最大の見どころとなっている。

左上/山本合金製作所の魔鏡の投影 左下/美喜が入手した魔鏡の投影(160〜170年前のもの) 右/銅鏡の裏面が、実は「魔鏡」} 左上/山本合金製作所の魔鏡の投影 左下/美喜が入手した魔鏡の投影(160〜170年前のもの) 右/銅鏡の裏面が、実は「魔鏡」

また、長崎の生月島の住人から美喜が譲り受けたとされる1枚のキリシタン信仰画も国内最古級の巻物として「魔鏡」とともに記念館の最大の見どころのひとつ。この画のテキスト部分には「千五百九十二年はうろ」と記され、2018年(平成30)になってから当時「良印パウロ」という洗礼名の信者が描かせたものだとわかった。施設内はすべて職員の武井さんによるていねいな説明付き。解説はおもしろく、魔鏡と信仰画以外の蒐集品も興味をひくものばかりなので、ゆっくり見るためにも2時間ほどの余裕をもって訪ねたい。

1592年(天正20)に描かれたとみて間違いないといわれる国内最古級の巻物「ご聖体の連祷と瞑想の図」} 1592年(天正20)に描かれたとみて間違いないといわれる国内最古級の巻物「ご聖体の連祷と瞑想の図」

スポット詳細

住所
神奈川県中郡大磯町大磯1152 map map 地図
エリア
湘南エリア
電話番号
0463614888
時間
10:00-12:00/13:00-15:00
※12:00-13:00は休憩
※15名以上の団体様は事前要予約(お電話または下記公式HP「メールでのお問い合わせ」からご連絡をお願いいたします)
https://www.elizabeth-sh.jp/memorialmuseum/#userguide
休業日
詳細開館日は以下の公式HPにて要確認
https://www.elizabeth-sh.jp/memorialmuseum/#userguide
駐車場
なし
クレジットカード
不可
電子マネー/スマートフォン決済
不可
Wi-Fi
なし
コンセント口
なし
喫煙
不可
滞在目安時間
60-120分

情報提供: ナビタイムジャパン

アクセス

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最寄り

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