拝島大師 本覚院

寺院

正月初縁日のだるま市で知られる、厄除け・開運にご利益がある名刹

厄除け大師として有名な拝島大師は、関東でも有数の初詣客を集める歴史ある寺院。多摩の地に天平以来1200年ぶりに建てられた木造五重塔を擁し、比叡山中興の祖・元三大師(がんざんだいし)を本尊として祀る。

五重塔をはじめ数多くのお堂で荘厳された境内。手前に見えるのは八角円堂(弁才天堂)} 五重塔をはじめ数多くのお堂で荘厳された境内。手前に見えるのは八角円堂(弁才天堂)

御本尊は比叡山焼き討ちを免れた元三大師像

拝島大師は東京都昭島市にある天台宗の古刹。寺伝によれば平安前期に滋賀の比叡山の僧によって創建されたという。1578年(天正6)、織田信長による比叡山焼き討ちから逃れてきた敬たん大僧都(けいたんだいそうず)が、比叡山に祀られていた木造の元三大師像を拝島本覚院境内に堂を建てて安置した。その像を本尊として祀ったことから、一般に「拝島大師」と呼ばれるようになった。元三大師は平安時代に活躍した天台宗の中興の祖。幼少時から学んだことをすべて理解する霊童と評判が高く、仏門に入ってからはたちまち頭角を表し天皇の信頼も厚く、ついには天台宗最高位の座主に就いた。法名を良源(りょうげん)、諡号(しごう)は慈恵(じえ)大師という。

12年の歳月をかけて完成した壮大な本堂。屋根には奈良東大寺と同形の金色の鴟尾(しび)が輝く} 12年の歳月をかけて完成した壮大な本堂。屋根には奈良東大寺と同形の金色の鴟尾(しび)が輝く

本堂に向かって右手にある1819年(文政2)建立の旧本堂。1991年(平成3)にこの場所に移された} 本堂に向かって右手にある1819年(文政2)建立の旧本堂。1991年(平成3)にこの場所に移された

人々の厄を除き、運勢を開いてくれるお大師さま

慈恵大師は、夜叉(やしゃ)の姿に変えて疫病神を追い払った伝説から「厄除け大師」、あるいは亡くなったのが正月3日であることから「元三大師」と呼ばれており、幾多もある別名から大師の業績の大きさや人々に親しまれていたことなどがうかがい知れる。学識も創造力も豊かな大師は母への孝行ぶりもよく知られていて、その慕情にちなみ拝島大師の大梵鐘は「ちぶさの鐘」と呼ばれている。また大師が観音菩薩を祈念して始めた籤(くじ)が広まって、全国のお寺や神社で引かれるお神籤(おみくじ)になった。拝島大師では、角(つの)大師と豆大師が描かれた2種類のお札を受けることができる。大師が疫病神を退散したときの鬼のような姿を表したのが角大師で厄除け・魔除けの御利益が、また観音さまが三十三身に変じて出現したのが豆大師で開運・諸願成就のご利益があるとされる。

重さ3t(808貫)の「ちぶさの鐘」。かたわらには大師の母を慕う心を詠った歌碑がある} 重さ3t(808貫)の「ちぶさの鐘」。かたわらには大師の母を慕う心を詠った歌碑がある

数々のお堂と武蔵野の自然に彩られた境内を参拝する

拝島大師の前には東西に奥多摩街道が通っている。交通の要衝であることから、古くは拝島宿として旅籠や商家が集まり、宿の東端に拝島大師は位置していた。奥多摩街道に面した南大門をくぐり、次いで山門の文殊楼を通って境内へ。右手に五重塔と経蔵堂、左手に八角円堂をお参りをしながら進んでいこう。正面の本堂は、比叡山の根本中堂と旧国宝大講堂をあわせた桃山様式により12年の歳月をかけて建てられ、1994年(平成6)に落慶した。本堂右手前に立つのは、1819年(文政2)建立の旧本堂。また本堂左側の築山には、多宝塔と稲荷大明神・諏訪大明神が祀られている。築山の奥には立川崖線(たちかわがいせん)があり、青梅から調布まで東西約40kmにわたって続くゆるやかな段差は武蔵野の最南部を象徴する景色だ。境内の木造建築はすべてケヤキ造りで、ここにも武蔵野の風情が感じられる。

龍宮城様式の文殊楼。楼上には比叡山根本中堂門前と同じく文殊菩薩が祀られている} 龍宮城様式の文殊楼。楼上には比叡山根本中堂門前と同じく文殊菩薩が祀られている

黄金の光を放つ五重塔は遠くからもよく見える。塔の右手に立つのは経蔵堂} 黄金の光を放つ五重塔は遠くからもよく見える。塔の右手に立つのは経蔵堂

八角円堂がある池から望むと、築山の上に大師の御本地・如意輪観音を祀る多宝塔が立っている} 八角円堂がある池から望むと、築山の上に大師の御本地・如意輪観音を祀る多宝塔が立っている

正月の風物詩、全国で最も早く開かれるだるま市

毎年大勢の初詣客で賑わう拝島大師は、1月2日と3日が縁日でもある。参道沿いに大小の真っ赤なだるまがずらりと並べられ、新年の参拝者と相まってその賑わいは壮観そのものだ。拝島大師のだるま市の起源は、江戸時代に近隣の養蚕農家が蚕(かいこ)の健康を願ってだるまを作っていたことにさかのぼる。当時、生糸が日本の最重要輸出品目になったこともあって武蔵国では養蚕が盛んになったが、蚕は気温や湿気の変化に敏感で環境が少しでも悪いと病気になってしまうため、農家ではその対策に苦労していた。そこで、赤は魔除けの色であることから、赤いだるまに蚕が健康でありますようにと願をかけてだるま市が栄えたのだそうだ。厄除けの元三大師にちなんで正月3日に開かれていた縁日は、幕末に正月2日から始まるようになり、現在でも大勢の参拝客が縁起物のだるまを買い求めようと訪れる。

「多摩だるま」と呼ばれる拝島大師のだるまは、周辺の立川市・あきる野市・瑞穂町で作られたもの} 「多摩だるま」と呼ばれる拝島大師のだるまは、周辺の立川市・あきる野市・瑞穂町で作られたもの

スポット詳細

住所
東京都昭島市拝島町1-6-15 map map 地図

情報提供: ナビタイムジャパン

アクセス

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