武蔵国分寺跡資料館

資料/郷土/展示/文学館

国分寺市の名前の由来になった、奈良時代の寺院跡

国分寺市にある、かつての武蔵国(むさしのくに)の国分寺跡。金堂や七重塔などの建物跡を中心に、武蔵野の面影が残る公園として整備が進められ、歴史愛好家から子ども連れファミリーまで幅広い人々が訪れる。

国指定史跡になっている武蔵国分寺跡。建物の柱を支えるための礎石も一部残っている} 国指定史跡になっている武蔵国分寺跡。建物の柱を支えるための礎石も一部残っている

国の安定と平和を願って建立された国分寺

武蔵国分寺の創建は奈良時代にさかのぼる。聖武天皇は内政の混乱と人々が飢えや病で苦しむ国のありさまを憂い、しかしよい政治をすることもできずに思い悩んでいた。「天皇という重責を果たせない自らを恥じている」という主旨が『続日本紀』に記されており、よほど責任感の強い、謙虚な人物だったようだ。天皇は最終的に正しい法のもとに国を治めようと仏教を求める決意をし、741年(天平13)、全国に国分寺と国分尼寺をあわせて建立する詔(みことのり)を発布した。国分寺は、正式には金光明四天王護国之寺(こんこうみょうしてんのうごこくのてら)といい、総本山である奈良の東大寺に大仏が造られたことは広く知られている。武蔵国における国分寺建立の地は、武蔵国の国府(現府中市)や主要街道から近く、周囲の地形から四神相応(しじんそうおう=風水の一種)の好立地であるとして選ばれた。

現在は国分寺市立歴史公園として整備され、近隣の人々の憩いの場となっている} 現在は国分寺市立歴史公園として整備され、近隣の人々の憩いの場となっている

市内有数の桜の名所として知られる公園。春はお花見を楽しむ人々で賑わう} 市内有数の桜の名所として知られる公園。春はお花見を楽しむ人々で賑わう

資料館で武蔵国分寺について学ぶ

電車を利用して武蔵国分寺跡を訪れるなら、JR中央線の国分寺駅からスタートして、尾張徳川家のお鷹場だった「お鷹の道」を歩くコースがおすすめだ。多摩川の浸食によってできた国分寺崖線(がいせん)から湧き出る清流に沿って、武蔵野の風情を味わいながら散策を楽しめる。途中の「おたかの道湧水園」にある「武蔵国分寺跡資料館」にも立ち寄ろう。この辺りはすでに、かつての武蔵国分寺の境内だったところだ。資料館では、全国の国分寺でも最大級の南北1.5km・東西2.0kmの寺域の一部を再現したジオラマや出土品などを見学できる。豊富な展示から当地の歴史を立体的に知ることができ、これからの散策がいっそう楽しいものになるだろう。湧水園の門は、江戸時代後期に建てられた長屋門で市重要有形文化財。ここまで歩いてきた国分寺崖線の段丘は、寺院建立の立地を決める際に四神相応の玄武(北に丘陵があること)に見立てられた重要な要素でもある。

緑豊かな地にある「おたかの道湧水園」。長屋門のほか明治時代の倉が残されている} 緑豊かな地にある「おたかの道湧水園」。長屋門のほか明治時代の倉が残されている

「武蔵国分寺跡資料館」に展示されているジオラマを見ると当時の寺の配置がよくわかる} 「武蔵国分寺跡資料館」に展示されているジオラマを見ると当時の寺の配置がよくわかる

武蔵国分寺の中枢部、金堂跡と講堂跡へ

資料館の西隣、国分寺崖線の一角にある「武蔵国分寺」は、かつての武蔵国分寺を受け継ぐ現役の寺院。現在は真言宗に属し、規模は小さくなったが、平安時代に作られかつての武蔵国分寺に安置されていた薬師如来坐像を護り継いでいる。江戸時代に建てられた本堂をお参りしたら、参道を南へ。その先の広い空間が史跡の中心部で、一段高くなっているところが金堂跡と講堂跡だ。金堂は本尊仏を安置する堂。講堂は学僧たちが経典の講義を受ける建物。国府の役所とともに当時の武蔵国の最大級の建築物だった。残念なことに壮麗な金堂と講堂は1333年(元弘3)、鎌倉幕府打倒の兵を挙げた新田義貞軍が敗走時に火をつけたため灰燼(かいじん)に帰してしまった。公園内の地面を見ると今も瓦の破片などが無数に落ちている。講堂跡は草で覆われていて、桜の季節はお花見をしているグループの姿も見られる。

金堂や講堂などがあった史跡の中心に立ち、当時の姿を想像してみよう} 金堂や講堂などがあった史跡の中心に立ち、当時の姿を想像してみよう

国分寺のシンボル、遠くからも見えた七重塔

七重塔があった場所は、金堂・講堂跡から東へ約200m。基壇は約18m四方、高さ推定60m。当時の武蔵国で最も高い建築物で、835年(承和2)に落雷で焼失してしまったが、その10年後に男衾郡(武蔵国内の郡のひとつ)の前郡司であった壬生吉志福正が塔の再建を願い出て許可された記述が『続日本後紀』に残されている。武蔵国分寺を戦乱に巻き込んで焼失させてしまった新田義貞は、鎌倉幕府滅亡の翌年に寺に黄金三百両を寄進し、これによって1335年(建武2)に金堂跡付近に薬師堂が建立されたが、規模が小さく、かつてのような学問・福祉のセンターとしての学問寺は復興できなかった。この薬師堂は約430年後の江戸中期に老朽化のため解体され、国分寺崖線の上に新たな薬師堂を建立した際に一部が仁王門として再利用された。

石で囲われた七重塔跡。かつてはここに高さ60mの塔がそびえていた} 石で囲われた七重塔跡。かつてはここに高さ60mの塔がそびえていた

薬師堂から北へ歩けば、都立武蔵国分寺公園と東山道武蔵路(とうさんどうむさしみち)跡を経て、JR西国分寺駅に到着する。東山道武蔵路は律令時代の街道のひとつで、武蔵国分寺の建設地決定に際して四神相応では白虎(西に道路)にあたる要素だった。1200年前の街道は12mと意外に幅が広く、当時のインフラ整備にかける意欲と土木技術に驚かされる。

スポット詳細

住所
東京都国分寺市西元町1-13-10 map map 地図
電話番号
0423234103
時間
9:00-17:00(入園は16:45まで)
休業日
月(祝日、振替休日の場合はその翌日)、年末年始(12/29-1/3)
駐車場
なし

情報提供: ナビタイムジャパン

クチコミ

  • 100円で、武蔵国分寺歴史的な文化財を見ることができる。
    5.0 投稿日 : 2021.11.23
    JR国分寺駅南口より約15分徒歩で、お鷹の道沿いにあります。チケットがおたカフェにて約100円で販売しています。手頃で、武蔵国分寺の歴史的な出土品および文化財など見ることができます。感染防止対策として、手の消毒液が門および各施設にあります。ガイドさんに案内通りに、各施設をゆっくり見ました。旧本多家住宅長屋門とおたかの道湧水園を見ることができます。
  • 資料館
    3.0 投稿日 : 2020.03.01
    武蔵国分寺を紹介する小さな資料館です。旧本多家の敷地を利用しており、園内で湧水が見られます。入場券は入口の「おたカフェ」にて。
  • 資料は少ないです
    3.0 投稿日 : 2020.02.13
    奈良時代、この辺一帯が武蔵国の国分寺という官立の大寺院だったときの説明が展示されている、小さい資料館です。勉強にはなりますが…

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