宝寿山遍照院 長命寺
大衆文化の香る境内の石碑がカオスな風流寺
あえて川沿い門から入るのが便利
墨田区は隅田川沿いを中心に古くから寺社が創建されてきた。このため川沿いに寺社巡りをしながら、長命寺を訪ねても楽しいし、最寄り駅の都営地下鉄線・押上から、スカイツリーの見学と組み合わせてもいい。表門は見番通り沿いにあるが、寺の手前に言問幼稚園が立っており、園児たちのいる日は門が閉まっている。そういうときは隅田川方面からアプローチして川沿い門から入ろう。隣の「長命寺桜もち 山本や」が目印だ。江戸時代に造られた本堂は1855年(安政2)の大地震で焼失し、次の本堂も関東大震災で再び焼失、現在のものは戦後に建てられた。かつては芭蕉堂、観音堂、弁天堂など数々の堂が境内にあったがいずれも震災で焼失。本尊の阿弥陀如来は難を逃れて、本堂に祀られている。
家光の腹痛を癒やした寺の井戸水
長命寺の開山の年は明らかではないが、江戸時代の初めには創建されていたと考えられている。その頃は、天台宗の別格本山にあたる上野の東叡山寛永寺に詣でる前に立ち寄り、旅支度を解き、正式な装束を整えるための支度寺として栄えていた。常泉寺の名称だったが、長命寺に改名する由来となった古事が残っている。3代将軍徳川家光がこの辺りへ鷹狩りに訪れた際、急に腹痛を起こし、寺で休むことになった。境内の井戸水で薬を服用したところ、たちまち改善したので、家光は霊験に感じて、長命水の名を捧げた。以降、寺号を長命寺と改めたのである。境内には、その井戸が残されている。すでに水は涸れているが、参拝しに行く際は、寺の見どころとしてチェックしたい。なお、元は寛永寺に属していたが、今は比叡山延暦寺を本山としている。
長命水のある寺に水の女神、弁財天
隅田川の「七福神めぐり」は、江戸後期の文化・文政年間(1804-1830年)に向島百花園に集う文人たちが始めた。全国の「七福神めぐり」のなかでも、2番目に古い歴史をもつという。今も新しい年を迎えると元旦から1月7日まで行われており、各神社とも御朱印や御分体を集める参拝者で賑わう。墨田区の無形文化財にも登録されている。七福神のうち、長命寺に祀られているのは弁財天だ。弁財天はもともとインドの聖なる川サラスバティーに由来する水と豊穣の女神。日本には仏教とともに伝わった。農家から信仰されることが多かった神様だが、のちに財運や芸術、学問などのご利益があるとして多くの人から親しまれるようになった。長命寺の弁財天は、「日本三大弁財天」のひとつ、琵琶湖の竹生島神社からお招きしたもの。
風流寺に残る数々の石碑
境内はあまり広くはないが、石碑の多さが目につく。井戸の脇にあり、目につきやすいのは松尾芭蕉の句碑。「いざさらば 雪見にころぶ 所まで」の句が刻まれている。案内板には、芭蕉の句碑は全国で1500余を数えるが、この句碑は最も優れた1つと書かれている。文字彫刻の彫りが深く、書に優れた特色があるそう。ほかには十返舎一句の狂歌碑、出羽三山信仰の碑、地蔵菩薩の立像、国学者の墓石、そして犬の六助の碑、扇子を持った男性のシルエットが刻まれた碑など、さまざまな種類の碑がカオスな状態をつくり出している。聞けば、長命寺のある向島は江戸時代から花街が栄え、隅田川や墨堤の桜など風情のある場所が多いため、文人墨客が集い、風流な遊びが流行った。石碑を立てるのも一種の流行りだったという。長命寺はそういう人たちがサロンのように集まる場所でもあったため、通称風流寺と呼ばれるようになった。
スポット詳細
- 住所
- 東京都墨田区向島5-4-4 地図
- エリア
- 東京スカイツリー周辺エリア
- 電話番号
- 0336227771
情報提供: ナビタイムジャパン
アクセス
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