南青山骨董通り
美術館、カフェに高級雑貨店などが集まる、高感度カルチャーの聖地
正式名称は「南町通り」という「高樹町通り」
国道246号青山5丁目交差点と東京都道412号高樹町交差点を結ぶ道、通称「骨董通り」。
旧通り名は「高樹町通り」と呼ばれ、都電が走る電車通りであり、渋谷と六本木をつなぐ重要な道路でもあった。1967年(昭和42)12月に都電は廃止されてしまったが、ルートとしての重要性・必要性が高く、現在は都営バスが同じ路線を走っている。
この道のある地域は南青山5丁目から6丁目辺りにあたり、近くにはいけばなの流派である小原流の本拠地であり、教室や会議室、レストランなどが入る複合ビル「小原流会館」や、「根津美術館」がある。
美術品を目当てに集まる人が急増
「高樹町通り」と呼ばれていた骨董品店が数多く集まっていたこの通りを、いつの頃からか「骨董通り」と呼ぶようになったようだが、その歴史は意外にも浅い。1941年(昭和16)南青山の地に鉄道王と名高い東武鉄道の創始者・根津嘉一郎氏収集した東洋古美術の美術館「根津美術館」が開館した。「根津美術館」には多くの国宝、重要文化財が収蔵されており、1950年代半ば頃からこの美術館の質の高い展示品を目当てに集まる人々や、「小原流会館」を訪れる人を相手とする骨董店が集まってきたという。
通称が浸透し、今や地図にも載っている名称に
集まってきた骨董店のひとつとしてテレビなどで鑑定士として活躍する、有名な中島誠之助氏の店「からくさ」が1976年(昭和51)に開店した。中島氏がエッセイなどでこの通りを「骨董通り」と紹介し、その知名度が高まるにつれその辺りは「高樹町通り」や 「南町通り」 としてよりも、「骨董通り」としての名称が浸透していったようだ。その後1980年代頃にはデザイナーズブランドブームにより、数多くのファッションブランド店がオープン。ファッション誌などでも頻繁にこの通りが取り上げられるようになり、ますますその通り名の知名度を上げていき、骨董店と最新鋭ファッションの共存する、おしゃれゾーンとして発展していった。
本格志向の店が集まる大人の街として定着
しかし、1950年後半には60-70店はあったという骨董店も、最近では地価の高騰によって減っており、その代わりに高級ブランドのリサイクル店やレストランやおしゃれなカフェが立ち並ぶようになった。ポピュラーなカフェが台頭し若者が増えながらも、オーナーの個性的な感性が光るお店や最先端トレンド店が多く、それを目当てに余裕のある目の肥えた大人と高感度な若者たちが集まってくるようになり、近隣の街、渋谷とも原宿とも六本木とも違った、独特の落ち着いた雰囲気をもつ通りになっている。
スポット詳細
- 住所
- 東京都港区南青山 地図
- エリア
- 渋谷・原宿・表参道エリア
情報提供: ナビタイムジャパン
アクセス
地図最寄り
- NEARBY HOTELS -
周辺のホテル
- NEARBY RESERVED PARKING -
周辺の予約制駐車場
【予約制】特P 《ナイトプラン》スパイラルパーキング
219m
【予約制】akippa スパイラルパーキング【機械式】【土日祝のみ 9:00-23:00】
222m
【予約制】akippa スパイラルパーキング【機械式】【平日のみ:8:00-23:00】
229m