天鏡閣
猪苗代湖畔の小高い丘に建つ、皇族方に愛された洋館
森の奥にたたずむ洋館
猪苗代湖の遊覧船が発着する賑やかな長浜から、坂を歩いて上ること約10分。レンガ造りの門をくぐると森に囲まれたグレーの洋館が現れる。威仁親王が東北旅行中に猪苗代湖を訪れ、その景観に魅せられて建設を決意。翌年の1908年(明治41)に竣工した別邸だ。その翌年、皇太子(のちの大正天皇)がここを訪れた際、李白の句「明湖落天鏡」から天鏡閣と名づけた。威仁親王の薨去後は高松宮宣仁(のぶひと)親王が継承し、現在は福島県の所有となっている。1979年(昭和54)、従業員用の別館も含めて国の重要文化財に指定されたのをきっかけに修復工事を行った。明治の姿をよく残しており、建設当時のままの調度品も多い。
部屋ごとに凝らされたデザインに注目
館内は廊下を挟んで南側に接客に使用する部屋などを配し、北側には浴室や調理場などの小部屋が並んでいる。各部屋の暖炉や玄関ホールの鏡、帽子掛けなどはアールヌーヴォー様式で、食堂の家具は17世紀イギリスで流行したジャコビアン様式。客間の家具はロココ調だが、よく見ると螺鈿細工や蒔絵が施されていて和洋折衷になっている。立体的な天井飾りにも注目したい。磐梯山を描いた絵画も当初からここに飾られていたという。球技室(ビリヤードルーム)の4つの吊り照明(復元)は、球の影ができないようにと考えられたもの。2階へ上がると、書斎であった御座所や居間、客室などがある。いずれの部屋も絨毯の下には畳が敷いてあるそうだ。
最後の有栖川宮親王
有栖川宮は江戸初期の1625年(寛永2)に高松宮として始まり、のちに有栖川宮と改称した宮家。以後300年以上にわたって続き、威仁親王は第10代だ。16歳で有栖川宮当主となり、18歳で加賀藩主の4女、慰子(やすこ)と結婚。天皇名代を務めるほど明治天皇の信任が厚かったという。1913年(大正2)、52歳で薨去。威仁親王の王子は20歳で早世したため後継ぎはなく、有栖川宮家は廃絶した。その後、大正天皇の第3皇子宣仁(のぶひと)親王が有栖川宮の旧称である高松宮を継ぎ、祭祀を継承。また威仁親王の孫にあたる徳川喜久子を妃とした。有栖川宮家は現在でも書道の有栖川流や東京麻布の有栖川宮記念公園などに名を残している。
天を映す鏡の秘密
威仁親王は、当時まだ電気がなかったこの地にわざわざ電線を引かせて天鏡閣を建設した。そこまでしてこの場所にこだわった理由は、猪苗代湖の景観だ。天を映す鏡といわれるほどの水質の良さは今も健在。これは安達太良山(あだたらやま)の強酸性の水が猪苗代湖に流れ込んでいるためといわれる。湖水はpH5と酸性で、プランクトンなどが非常に少なく、透明度が高い。湖水の中性化が進んでいるため透明度は10ー15m程度だが、威仁親王が猪苗代湖を訪れた頃には遥かに良かったと考えられる。当時は天鏡閣2階のベランダや3階の塔屋から湖がよく見えたというが、現在は樹木が成長したため、残念ながら湖はほとんど見えない。
スポット詳細
- 住所
- 福島県耶麻郡猪苗代町翁沢字御殿山1048 地図
- エリア
- 磐梯高原・猪苗代エリア
- 電話番号
- 0242652811
- 時間
-
[5-10月] 8:30-17:00(最終入場16:30)
[11-4月]9:00-16:30(最終入場16:00) - 休業日
- 年中無休
- 料金
-
[入館料]一般370円、高校生210円、小中学生100円
※団体割引あり - 駐車場
- あり(小型車31台、大型バス9台)
- クレジットカード
- 可(本館売店商品は利用可。入館料は現金・クーポンのみ)
- 電子マネー/スマートフォン決済
- 不可
- Wi-Fi
- あり
- 喫煙
- 不可
- 平均予算
- 【昼】1-1,000円
- 滞在目安時間
- 30-60分
情報提供: ナビタイムジャパン