国分寺
四国八十八ヶ所霊場のひとつとなった阿波の国分寺
「聖武天皇勅願所」として建立された寺院
藍住ICから車で約25分。県道1号線、国道192号線を石井町方面に走り、標識を確認しながら県道123号線へ。徳島市国府町の住宅街の奥にある国分寺は、聖武天皇が741年(天平13)に全国66か所に建立した国分寺の1つ。他国の国分寺と区別するため「阿波国分寺」と称されるが、四国八十八ヶ所霊場の寺院としては「国分寺」と呼ぶのが通例だ。寺伝によれば、勅命を受けた奈良時代の高僧、行基(ぎょうき)が開創(かいそう)。もともとは七堂伽藍(しちどうがらん)を有する法相宗(ほっそうしゅう)の大寺院だったという。その後、弘仁年間に空海が巡錫(じゅんしゃく)した際に真言宗の寺院となり、第十五番札所に定められた。天正年間には兵火により烏瑟沙摩明王(うすさまみょうおう)堂を残して焼失。長らく荒廃したままだったが、1741年(寛保元)に再建され、現在にいたる。
霊験あらたかな烏瑟沙摩明王の御札も
山門の正面に見えるのが、国分寺の本堂である。現在の本堂は文化・文政年間に再建されたもので、200年を超える歴史をもつ立派な姿が印象的だ。国分寺の本堂と「阿波国分寺庭園」は、2015年(平成27)から2020年(令和2)末まで大規模な修復工事を実施。残念ながらしばらく見学することができなかった。本堂の屋根瓦(やねがわら)の下からは、参拝者が先祖の供養を願って奉納した約11万枚もの「へぎ板」が発見され、四国八十八ヶ所霊場の寺院としては初めての事例と話題になった。大師堂は1996年(平成8)に火災で焼失し、2014年(平成26)に再建。隣の烏瑟沙摩明王堂が境内で最も古い建物となるが、国分寺の納経所では、烏瑟沙摩明王の御札をいただくことができる。烈火をもってあらゆる不浄を浄化する明王として知られており、特にご利益があるのは眼と下半身の病気だという。
独特のダイナミズムが美しい石組の日本庭園
参拝時に必ず訪れてほしいのは、2000年(平成12)に国の名勝に指定された「阿波国分寺庭園」である。納経所の横に入り口があり、拝観料を払って中へ入ると、そこに広がるのは、豪壮な石組で築かれたすばらしい景観だ。詳しい作庭(さくてい)時期や作者は不明だが、安土桃山時代の意匠や様式を残したまま、江戸時代末期に大改修されたという。高さ約4.3mの立石(りっせき)は全国最大級。「阿波の青石」と称される緑色の結晶片岩(けっしょうへんがん)を中心とする大小の自然石と切石(きりいし)の巧みな組み合わせが、枯滝や枯池に独特のダイナミズムを生み出している。石組による日本庭園としては「第一級」と識者も太鼓判を押す。正面の本堂と一体になった美しさは、ぜひ現地で味わってもらいたい。
スポット詳細
- 住所
- 徳島県徳島市国府町矢野718-1 地図
- エリア
- 徳島市周辺エリア
- 電話番号
- 0886420525
- 時間
- [庭園・拝観時間]7:00-16:30
- 休業日
- 無休
- 料金
- [庭園・拝観]300円
- 駐車場
- あり(10台)
情報提供: ナビタイムジャパン
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クチコミ
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- 全国に一斉に多数、創建された国策寺院、国分寺の一つです
- 国分寺と云う名称の寺院で、印象に残っているものや素晴らしいと感じるものは凡そ全国にも皆無です。時の権力者が勅令で無理やり全国に一寺づつとして乱造させた寺院が国分寺なるものです。もっと地元に根差して、人々の崇敬を集約させた格好での創建でないと・・・そうでなくても豊かでない庶民の生活よりも寺院の乱造に精出すような為政者はどうか?と思う。数十の巨大寺院を権力で建造する余裕が国家としてあったなら、庶民にも...
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- 「聖武天皇勅願所」
- 山門脇の寺号碑には、寺号よりも「聖武天皇勅願所」と彫られた青文字の方が目立っていました。又、八十八か寺の中では珍しく曹洞宗寺院となっており建立当初からの宗派変遷が気になりました。境内に進むと本堂と大師堂が立っていましたがこじんまりしたお堂と云った印象を受けました。猶、山門脇には「阿波国分寺跡」を紹介する旨の徳島県と徳島市教育委員会による説明板が立っていました。
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- 第15番札所
- 第15番札所 国分寺徳島市の市街地からは再び離れていきます。駐車場は横にあり山門へ。落ち着いた境内はあまり広くはありませんがなんとなくよし。お参りした後は少し離れた納経所へ。人ごみも少なくゆっくりと見て回ることができました。
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