宇治橋

宇治の歴史と文化が詰まった街のシンボル

「宇治川」と「宇治橋」は宇治を代表する景色であることに加え、この地の歴史と文化を語るうえでも欠かせない。周辺には名産品である宇治茶を提供する店も数多くあるので必ず訪れておきたい。

橋の西詰めから見た宇治橋} 橋の西詰めから見た宇治橋

白波が渦巻く宇治川

京阪宇治線の宇治駅から徒歩すぐ、雄大な川の景色が目の前に広がる。宇治川は京都府南部を流れる川で、琵琶湖から大阪湾へと注ぎ、近畿地方の水運の要衝として政治・経済・文化の発展に大きく貢献してきた。一見、ゆるやかな流れに見えるが、よく見るといたるところに白波が立つほど、流れの速いことがわかる。そのため昔は何度も橋が流され、橋を落とせば対岸へ渡れないことから川を挟んだ合戦が繰り返された歴史がある。一方、宇治川がもたらすほどよい湿気はお茶の栽培に最適で、名産品「宇治茶」をはぐくみ、全国有数の茶処「宇治」を支えている。まさに宇治の歴史と文化を象徴する存在だ。

橋脚の上流側に立つ流木除けに白波が立つほど流れが速い} 橋脚の上流側に立つ流木除けに白波が立つほど流れが速い

日本三大古橋のひとつ宇治橋

かつて奈良と大津を結んだ旧奈良街道において、宇治川を渡る際に架けられたのが宇治橋。橋を歩くと風が心地良く、上流側を見ると朱色が鮮やかな朝霧橋、そして悠々と流れる宇治川を見渡せる。その歴史は646年(大化2)、奈良・元興寺(がんごうじ)の僧・道登(どうとう)によって架けられたと伝わる。現在の橋は1996年(平成8)に架け替えられたもので、桧造りの高欄、青銅製の擬宝珠を冠した伝統的な形状をしている。橋を歩いていると上流側に張り出した部分がある。これを「三の間(さんのま)」といい、守護神「橋姫(はしひめ)」を祀った名残とか、豊臣秀吉が茶の湯に使う水を汲ませたところともいわれ、ここから眺める上流の景色も絶景。また毎年10月第1日曜には、宇治茶の振興を祈願する宇治茶まつりで「名水汲み上げの儀」が行われる。

伝統的な造りの高欄や擬宝珠に趣を感じる} 伝統的な造りの高欄や擬宝珠に趣を感じる

西詰めから3つ目の柱間に設けられた三の間} 西詰めから3つ目の柱間に設けられた三の間

合戦の激しさを物語る石碑

宇治橋西詰めから平等院表参道を5分ほど歩くと、宇治川の中州である「橘島(たちばなじま)」と「塔の島(とうのしま)」に渡れる。橘島で注目したいのが「宇治川先陣之碑」と刻まれた大きな石碑。これは源義経軍と木曾義仲軍が戦った1184年(寿永3)の「宇治川の合戦」で義経軍の佐々木高綱(ささきたかつな)と梶原景季(かじわらかげすえ)の2人の武将が名馬に乗って先陣争いをしたという故事にちなんだもので、宇治川を眺めながら合戦の激しい戦いを想像してみるのもロマンがある。また橘島には宇治川の夏の風物詩である「鵜飼(うかい)」で活躍するウミウの飼育されている小屋もあるので、そっとのぞいてみよう。

宇治川の合戦の故事にちなんだ石碑} 宇治川の合戦の故事にちなんだ石碑

鵜飼で活躍するウミウを飼育する小屋} 鵜飼で活躍するウミウを飼育する小屋

塔の島にそびえ立つ、日本最大の石塔

橘島から上流に向かって歩くと、塔の島にたどり着く。この島には高さ約15m、現存する石塔としては日本最大の「浮島十三重石塔」がそびえ立つ。宇治川は昔から水の流れが速く何度も氾濫する暴れ川。当時、宇治川では漁労が盛んであったことから、川の氾濫は魚のたたりといわれ、鎌倉時代後期に奈良・西大寺(さいだいじ)の僧・叡尊(えいそん)によって供養塔として建立された。橘島と塔の島へは、世界遺産の平等院や宇治上神社からも徒歩5分以内なので、参拝したあとに立ち寄ってみよう。

宇治川の氾濫を鎮めるために建てられた浮島十三重石塔} 宇治川の氾濫を鎮めるために建てられた浮島十三重石塔

スポット詳細

住所
京都府宇治市宇治 map map 地図

情報提供: ナビタイムジャパン

アクセス

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