浦上天主堂

教会

弾圧に耐えたキリシタンが築いた教会

長崎市北部の浦上地区に建つ国内最大級のカトリック教会。16世紀から隠れて信仰を受け継いできた信徒が、大正時代に築いたものだ。原爆で破壊され、戦後に再建されたため、復興のシンボルとしての側面ももっている。

正式名称は「カトリック浦上教会」。旧称の浦上天主堂のほうが一般的によく知られている} 正式名称は「カトリック浦上教会」。旧称の浦上天主堂のほうが一般的によく知られている

「東洋一の大聖堂」とも評された教会

平和公園の平和祈念像の東380mに建つ浦上天主堂は、キリシタン弾圧に耐えてきた浦上地区の信徒たちが造った。259年ぶりにキリスト教が解禁された1873年(明治6)に建設計画が立てられたが、資金がなかなか集まらず、建設が始まったのは1895年(明治28)。それから19年もの歳月をかけて1914年(大正3)に完成。建設計画から実に41年の時を経てようやく献堂式(けんどうしき。新築した教会を神に捧げる儀式)を挙げることができた。さらに11年後、高さ25mの双塔の鐘楼が増築され、フランスの信徒から寄贈された「アンジェラスの鐘」が町に鳴り響いた。

浦上天主堂を訪れる際には、それぞれ徒歩約6分の位置にある平和公園と長崎原爆資料館も合わせて見学したい} 浦上天主堂を訪れる際には、それぞれ徒歩約6分の位置にある平和公園と長崎原爆資料館も合わせて見学したい

弾圧の歴史と「信徒発見」

戦国時代の末頃よりキリシタンの村だった浦上は、1614年(慶長19)の禁教令によって259年に及ぶ弾圧とキリシタン潜伏の時代に入る。幕末、長崎の外国人居留地にフランス人のための大浦天主堂が完成。珍しい西洋建築を見に集まった人々に紛れて、浦上の農民数名がそっと神父に近寄り、信仰を告白した。これが「信徒発見」だ。しかしやがて彼らの存在は役人の知るところとなり、浦上の全村民3394名が流罪となって過酷な拷問を受けた。迫害は明治になっても続いたが、欧米からの批判が外交問題となり、1873年(明治6)に禁教令は解かれ、生き残った信徒は浦上へ戻った。浦上天主堂は彼らの長きにわたる思いの込められた教会なのだ。

1865年(元治2)、浦上の隠れキリシタンが信仰を告白した「信徒発見」と、その後の迫害「浦上四番崩れ」の碑} 1865年(元治2)、浦上の隠れキリシタンが信仰を告白した「信徒発見」と、その後の迫害「浦上四番崩れ」の碑

浦上天主堂は、迫害の時代に踏み絵を踏まされた庄屋屋敷跡に建っている。冒涜の償いのため、あえてこの地が選ばれた} 浦上天主堂は、迫害の時代に踏み絵を踏まされた庄屋屋敷跡に建っている。冒涜の償いのため、あえてこの地が選ばれた

原爆による破壊。そして再建へ

浦上天主堂は長崎原爆の爆心地から約500mの距離にあり、そのほとんどが無残に崩れてしまった。聖堂の内外にいた司祭や信徒は全員死亡。地域のカトリック信者も約8500人が犠牲になったといわれる。しかし、生き残った信者たちの熱意によって終戦から14年後の1959年(昭和34)、被爆前と同じ場所に鉄筋コンクリートで再建。さらに1980年(昭和55)、その翌年のローマ教皇ヨハネ・パウロ2世の訪問を機にレンガタイルで改装し、被爆前とほぼ同様の姿がよみがえったという。今日では県内外から連日たくさんの信者が訪れるまでになっており、浦上のカトリック信者のたくましさと信仰の深さを感じずにはいられない。

浦上天主堂の被爆したマリア像をめぐる戯曲『マリアの首』の一節が文学碑に刻まれている} 浦上天主堂の被爆したマリア像をめぐる戯曲『マリアの首』の一節が文学碑に刻まれている

浦上天主堂の前にある信徒会館には「原爆遺物展示室」があり、被爆した遺物が展示されている} 浦上天主堂の前にある信徒会館には「原爆遺物展示室」があり、被爆した遺物が展示されている

被爆マリア像と原爆の遺物

教会内部の奥には信徒以外は立ち入ることはできないので、最後部に設けられたスペースから見学しよう。キリストの一生を描いたステンドグラスなどがあり、荘厳な雰囲気に包まれている。左奥にある小聖堂の被爆マリア像は、もとは正面祭壇に掲げられていた木像で、瓦礫のなかから奇跡的に頭部だけが発見された。目にはめ込まれていた青いガラス玉は溶けて空洞となり、頬はまるでケロイドのように黒く焦げている。敷地内ではほかにも被爆した石像などを見ることができる。教会に向かって左の崖下には、直径5.5m、重さ約50tの鐘楼が、吹き飛ばされた場所にそのまま残されている。これら被爆の現実を伝える遺構もしっかりと目に焼き付けよう。

右側の鐘楼の鐘は瓦礫の下からほぼ無傷で見つかり、現教会で今も1日に3回、時を告げている} 右側の鐘楼の鐘は瓦礫の下からほぼ無傷で見つかり、現教会で今も1日に3回、時を告げている

原爆投下で倒壊した天主堂の天使像や聖人像の一部が、現天主堂の正面の緑地に置かれている} 原爆投下で倒壊した天主堂の天使像や聖人像の一部が、現天主堂の正面の緑地に置かれている

スポット詳細

住所
長崎県長崎市本尾町1-79 map map 地図
エリア
長崎エリア
電話番号
0958441777
時間
主日ミサ [土]19:00
[日]6:00、7:30、9:30、18:30
休業日
無休

情報提供: ナビタイムジャパン

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クチコミ

  • 被爆マリア様
    4.0 投稿日 : 2024.02.09
    6時からの早朝体験ミサに参加させて頂きました。他の時間のミサは信者しか参加出来ないそうです。約一時間あり、何度か起立が必要です。厳かな雰囲気でした。終了後レプリカでない本物の被爆マリア様を見せて頂きました。漆黒の眼に吸い込まれそうでした。隠れキリシタンとして崩れと言う追放をされたり、原爆で倒壊したと言う苦難を乗り越えて再建され、沢山の信者がおられる教会に胸が締め付けられました。
  • 平和公園の近くにありました
    3.0 投稿日 : 2023.06.08
    原爆被害を受けた教会で今でもその傷跡が残されてる場所も敷地内裏手にありました。神聖な教会で平和学習で訪れていると思われる学生さんが多々いました。入場料無しで見学できます。
  • 坂道を上った場所に合った天主堂
    5.0 投稿日 : 2023.04.02
    厳かな雰囲気の場所。原爆で跡形もなくなったらしい。パイプオルガンが奏でている空間で平和への祈りを感じた。被害を受けたマリア像の首から上が展示されていて、原爆の恐ろしさを感じた。

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アクセス

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