ゆたかな東京湾との深~いつながり!千葉・富津埋立記念館


2018.12.10

トラベルjp 旅行ガイド

東京湾の新鮮な海の幸が獲れる、千葉県富津市。江戸の食文化に貢献するほど豊かな漁場を抱え、江戸時代に伝えられた海苔の養殖が盛んです。
経済の発展に伴い沿岸の一部は埋め立てられましたが、この事業を記念して建てられたのが「富津埋立記念館」。館内には実際に使用していた漁具があるほか、模型やジオラマによって漁の様子を再現。海が育んできた人々の暮らしが分かります。
今回は、富津埋立記念館をご紹介します。
砲台が目印?!ユニークな形の記念館
富津埋立記念館の最寄り駅は、JR内房線の青堀駅。東京からは約1時間30分です。駅からは富津公園行きの路線バスで5分ほどの「新井」バス停で下車。そこから400メートル歩けば、ドーム型のユニークな建物が見えてきます。
お車の場合は東京湾アクアラインから館山自動車道の木更津南ICを利用。海沿いを15分走ると到着です。
富津埋立記念館は1993年(平成5年)に建てられました。ドーム部分はかつて江戸を守るため富津岬に設置された砲台、建物は魚を生け捕りにする富津の伝統漁法「すだて漁」をイメージしています。
富津といえば海苔!
富津は江戸時代後期に海苔養殖が伝えられました。遠浅の富津の海は養殖に適しており、現在は海苔漁師1軒当たり1日2万枚ほどの海苔が収穫されています。「ノリをとる技術」のコーナーでは、海苔漁の模型や漁具が多数展示されています。
こちらは海苔養殖の変遷を表した模型。昭和40年代までは海の中に立てた竹や木など(画面手前)に、自然に付いた海苔を育て、成長したものを船から手を伸ばして摘んでいました。現在では化繊網(あらかじめ海苔の胞子を付けたもの。画面奥)を使用。網の下を船がくぐり、刃で切り落として採取しています。
摘んできた海苔は包丁やミキサー(写真)によって細かく裁断され、紙漉きのように四角く整えられたあと、天日干しにされます。今では機械化されている工程ですが、実際に使われていた道具を目の前にすると、当時の苦労がうかがえます。
ここは宇宙空間?海底で行う潜水器漁
海で採れるのは、海苔だけではありません。明治から昭和にかけては平貝やミル貝、その後は赤貝やトリ貝のほか、アサリ、バカ貝が収穫されています。重さ15キロのヘルメットをかぶって海底で漁をする姿は、まるで宇宙飛行士のよう。海中で6時間の作業を行う方もいるのだそうです。
潜水器漁は、船から空気を潜水夫に送ります。こちらの「フランス式手押しポンプ」は、両端のハンドルを動かして空気を送り込む機械です。コンプレッサーが登場する昭和初期まで使用されていました。
種類いろいろ。富津の伝統漁法
こちらは「東京湾ジオラマ」。網をころがしてカレイなどを獲る「ころばし網漁」、風力を利用して底引き網を引っ張る「打瀬(うたせ)網漁」など、富津の伝統的な漁法が紹介されています。
さきほど潜水器漁をご紹介しましたが、船の上ではポンプを動かす人のほか、船を漕ぐ人や潜水夫との交信役が作業をしています。どの漁も、仲間とのチームワークを必要としていることが分かります。
海堡ってなんだろう?
館内には、富津の「海堡」(かいほう)を紹介しているコーナーがあります。海堡は明治~大正期、東京を守るため富津岬沖に建てられた人工要塞で、砲台にはいくつものカノン砲がありました。第三海堡は安全上の理由で撤去されてしまいましたが、第一海堡・第二海堡は現在も残っており、車で10分ほどの場所にある富津岬の展望台から見ることができます。
第一海堡は、かつて富津岬の砂州とつながっていました。しかし侵食によって、今では洋上に浮かぶ島となっており、許可なく立ち入ることはできなくなっています。当時の様子を知る方に話を伺うと、バイクで行くこともできたのだとか。1枚1枚の写真から、富津の自然や歴史が語られています。
かつての海の姿や、そこで生きる人々の生活を感じることができる施設です。
みなさまもぜひ、富津埋立記念館を訪れてみてください。 

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富津埋立記念館
place
千葉県富津市新井932-3
phone
0439878381
opening-hour
9:00-17:00
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