花々が彩る奈良坂の古刹!春の「般若寺」歴史探訪


2018.04.12

トラベルjp 旅行ガイド

奈良市の北方、京都府との境にほど近いところに「奈良坂」と呼ばれる地区があります。その名のとおり、平城山からのびる山々が急坂を形成しており、古来、さまざまな歴史の舞台ともなっているところ。そんな奈良坂には般若寺という古刹があり、文化財の宝庫として知られるほか、暖かくなると、季節の花々も境内を彩ります。今回は般若寺の魅了をご紹介しましょう。
創建は飛鳥時代!?豊かな歴史を有する般若寺
奈良坂界隈の中心に位置する般若寺(はんにゃじ)は、奈良と京都とを結ぶ京街道沿いに位置しています。寺伝によると、飛鳥時代、高句麗の僧・慧灌によって創建され、奈良時代に入り、聖武天皇が伽藍を建立したとのこと。事実、境内からは奈良時代の瓦が出土しています。平安時代末期には平家による南都焼き討ちによって荒廃。その後も復興と荒廃とを繰り返し、現在にいたっています。
写真は奈良県指定文化財の本堂。江戸時代前期に再建されたもので、内陣には本尊の文殊菩薩像がまつられています。
般若寺を代表する建造物!国宝の楼門
般若寺といえば、国宝に指定されている楼門を挙げないわけにはまいりません。楼門は入母屋造・本瓦葺き。鎌倉時代の建立で和様(わよう)を基調としつつも、各所に当時流行していた大仏様(だいぶつよう)という建築様式が多用されています。細部までじっくりご覧ください。
般若寺のシンボル!国の重要文化財に指定されている十三重石塔
境内の中央にひときわ目立つように立つのが、ご覧の十三重石塔。高さは12.6メートル。鎌倉時代中期、南宋から渡来して来た石工・伊行末(いぎょうまつ)によって建立されました。般若寺のシンボルというべき石塔です。
細部もじっくりご覧ください。初層の軸部に目を凝らすと、仏像が彫られているのが、おわかりいただけるでしょう。
十三重石塔のかたわらには十三重石塔の残欠も残されています。残欠は頂上部の相輪。こちらの相輪がもともと十三重石塔にとりつけられていたと見なされています。
境内に残る歴史上の偉人たちの供養塔
境内には、日本史を彩った偉人たちにちなんだ石造物も点在しています。写真の五輪塔は大塔宮護良親王の供養塔。大塔宮護良親王は鎌倉幕府を倒し、建武の新政をおこなった後醍醐天皇の皇子。後醍醐天皇ともども鎌倉幕府と戦い、建武の新政後は足利尊氏と対立。鎌倉に幽閉され、悲劇の死を迎えた人物ですが、『太平記』によると、親王は鎌倉幕府と対立し、敵対勢力から逃れるため、般若寺に身を隠したことがあります。こちらの供養塔はそれにちなんだものでしょう。
こちらは藤原頼長の供養塔。藤原頼長は摂政・関白・太政大臣などを務めた藤原忠実の子息。鳥羽上皇の院政期に絶大な権力を握っていましたが、やがて上皇と対立し、失脚。上皇の薨去後、復権を目指して崇徳上皇らと結び、挙兵。いわゆる保元の乱の原因を作りました。しかし、平清盛や源義朝らの活躍で敗北。奈良で敗死し、般若寺の周辺に埋葬されたとされます。このような人物も般若寺と深いかかわりを持っていたのですね。
さまざまな花で彩られた春の般若寺
般若寺といえば、秋、境内に咲き誇るコスモスの大群を思い浮かべる方も多いでしょう。しかし、般若寺の花はコスモスだけではありません。春もさまざまな花が咲き、境内は鮮やかに彩られます。
たとえば、こちらの写真はヤマブキ。境内に並ぶ石仏との組み合わせが絵になると思いませんか?
写真はボタン。赤い花弁が目にもあざやかです。
こちらはアヤメ科に属すシャガ。ほかにもさまざまな花が咲き乱れており、般若寺が花の寺でもあることをおわかりいただけるでしょう。
いかがでしたか?近鉄奈良駅からバスで10分あまりの距離にあり、東大寺や興福寺などの有名寺院とセットでめぐることも可能。豊かな歴史を有する般若寺で春を満喫してください。
※紹介したヤマブキ・ボタン・シャガの見頃は4月下旬から5月にかけてです。 

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般若寺
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3.5

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place
奈良県奈良市般若寺町221
phone
0742226287
opening-hour
9:00-17:00(最終受付16:30)
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