
鎌倉には歴史のある寺社仏閣が多いですが、その中でも鎌倉を代表するパワースポットといえば、鎌倉大仏がある「高徳院」 奈良の大仏と並び日本を代表する大仏様のひとつです。 そんな鎌倉大仏と「高徳院」の境内をご紹介します。
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「高徳院」と「鎌倉大仏」。まだまだ謎が多い歴史とは?
高徳院(詳名: 大異山高徳院清浄泉寺)は、江ノ島電鉄の長谷駅から徒歩7分ほどの場所にある浄土宗の仏教寺院です。ご本尊は「鎌倉大仏」と呼ばれていますが、正しくは「銅造阿弥陀如来坐像」。鎌倉で唯一の国宝で、境内一帯が「鎌倉大仏殿跡」として国指定の史跡に登録されています。
世界的にも有名な寺院ですが、意外にも開山、開基は不明。また鎌倉大仏に関しても創建当時の事情には不明な部分が多く、未だ尊像の原型作者も特定されていません。
また本来は大仏殿の中に安置されていた鎌倉大仏ですが、地震や津波、台風で大仏殿は幾度か倒壊。文明18年(1486年)の時点で、大仏を訪れた室町時代の禅僧・万里集九が『梅花無尽蔵』で露坐あったことを記しています。 -
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修復を終えた一対の仁王像が出迎える「仁王門」
駅から高徳院へ向かうと、まず入口で出迎えるのが「仁王門」です。高徳院の山号「大異山」を記す扁額が掲げられた山門の左右には、18世紀初頭に移築されたと伝えられる一対の仁王像が参拝者を出迎えてくれます。
制作時期は江戸時代中期と考えられるこちらの仁王像は、2011年の東日本大震災をきっかけに2年あまりの修復期間を終え、新しくなったばかり。
全面的な解体修理が施された仁王像も、注目ポイントの一つです。 -
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優しく人々を見つめる、美男の大仏様「鎌倉大仏」
鎌倉のシンボルでもある「鎌倉大仏」。作者は不明ですが、その優しいほほえみと、鎌倉の豊かな自然に溶け込んだ穏やかな姿は、地元の方々や仏教徒に親しまれています。
優しいほほえみで見守ってくれる「鎌倉大仏」
鎌倉期の仏像らしい特徴をもつ鎌倉大仏は、銅鉛合金の青銅でつくられており、各部に仏の特徴が確認できます。
額にある白い突起「白毫」や、肩に届くほどの長さの「福耳」、印を結んだ手は水かきのような「縵網相(まんもうそう)」など、様々な特徴を表現しています。人差し指と親指の間のここが「縵網相(まんもうそう)」
また大仏像の中は空洞なので、胎内に入ることもできます(1回20円)。内部は暗いですが明かりの入る窓があるので、高度な技術を駆使して鋳造された大仏像の構造を確認できます。
鎌倉大仏の後ろ側には内部からも見える窓が二つ。そしてその下には蓮の葉がなぜか4枚だけ? こちらは台座の蓮台にしようと作られた蓮弁(れんべん)が4枚残されています。
江戸時代中期、32枚作られる予定でしたが、完成したのはこの4枚。表面には寄進者の名前が刻まれています。大仏様の右側、回廊に大きな藁草履が飾ってあります。こちらは常陸太田市の松栄子供会によって奉納された、長さ1.8m、幅0.9m、重量45kgもあります。
戦後間もない1951年「大仏様に日本中を行脚し、みんなを幸せにしていただきたい」と願う子供たちによってはじめられました。
今も3年に一度制作され、高徳院に奉納されているそうです。 -
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木々の中にひっそりと佇む「観月堂」 与謝野晶子の歌碑も。
大仏像の裏手からさらに進むと、木々に囲まれてひっそりと「観月堂」が佇んでいます。こちらは15世紀に朝鮮王宮内に建築されたと伝えられる建物で、現「山一證券」の社長・杉野喜精氏によって移築・寄贈されました。
建物の中には江戸後期の作品とみられる観音菩薩さまが安置されています。観月堂の裏手には、歌人「与謝野晶子」の歌碑があります。
かまくらや みほとけなれど 釈迦牟尼は 美男におわす夏木立かな
与謝野晶子も思わず見とれた?鎌倉大仏様のお顔をじっくりと眺めてみてはいかがでしょうか。 -
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鎌倉大仏に見守られながら、高徳院の歴史に触れる。
いかがでしたか? 鎌倉のシンボルである鎌倉大仏は参拝するだけでなく、じっくり見ると高徳院や鎌倉大仏の歴史を垣間見ることができます。
未だ謎の多い高徳院と鎌倉大仏ですが、鎌倉の歴史の一部に触れてみませんか?周辺の予約制駐車場