近藤勇らとともに新撰組を結成し、鬼の副長として恐れられた「土方歳三」。明治元年、箱館にやって来ましたが、翌年の旧暦5月11日新政府軍による箱館総攻撃の日に戦死しました。函館は“土方最期の地”として、供養碑や資料館など数多く残されています。今回は、函館に行ったらぜひとも訪ねたい!土方歳三ゆかりの地をご紹介します。
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函館戦争の舞台となった「特別史跡五稜郭跡」
五稜郭は、元治元年に徳川幕府が箱館開港に伴い北方防備の目的のために完成させた、国内初の本格的フランス築城方式の要塞です。稜堡(りょうほ)と呼ばれる5つの突角を持つ星型の土塁が巡らされていることから「五稜郭」の名がつけられました。
そんな五稜郭ですが、完成からわずか2年後に幕府が崩壊。箱館戦争で榎本武揚ら旧幕府軍に占領され、明治2年5月に集結するまでその舞台となりました。
現在は国の特別史跡に指定され、「特別史跡五稜郭跡」として市民の憩いの場になっています。春の五稜郭
冬の五稜郭。どの季節に訪れてもそれぞれの美景が楽しめます。
周辺の予約制駐車場
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五稜郭を一望できる「五稜郭タワー」
五稜郭公園の全景を眺望できる観光施設として、昭和39年に造られた「五稜郭タワー」。2006年に建て替えられ、高さ107mの函館のランドマークとして、市内を一望できる360度の大パノラマが楽しめます。
五稜郭の星形をしっかりと確認できるのはもちろん、函館の街や松川弁之助が作った旧松川街道も眺めることができます。
五稜郭タワー 入場チケット(北海道)
¥1,000
更新日:2024/04/27
周辺の予約制駐車場
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慰霊の石碑のある「中島三郎助父子 最後の地」
箱館戦争時、千代ヶ岡陣屋は五稜郭の前線基地でした。そこで戦死した中島三郎助とその息子らを慰霊した石碑が「中島三郎助父子最後の地」中島町にあります。
写真提供:函館市公式観光情報サイト「はこぶら」
当時、中島三郎助は箱館奉行並として千代ヶ岡陣屋の守備につきましたが、新政府軍降伏勧告を拒絶し戦い、長男恒太郎や次男英次郎と共に無念の死を遂げました。
写真提供:函館市公式観光情報サイト「はこぶら」
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中島三郎助と息子2人が壮絶な死を遂げた「千代ヶ丘陣屋跡」
五稜郭跡から函館山へ約1.2km、ここに箱館戦争の前線基地「千代ヶ岡陣屋」の跡があります。現在の中島小学校付近から千代台運動公園にかけた一帯は、中島三郎助と息子2人が戦死した場所。それを偲んで、千代ヶ岡陣屋のあったゆかりの地は中島町と名づけられました。慰霊碑周辺は季節の花々が植えられ、訪れる人を和ませています。
写真提供:函館市公式観光情報サイト「はこぶら」
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土方歳三が戦死したといわれる「土方歳三最期之地碑(一本木)」
新選組の副長、土方歳三が戦死したといわれる一本木関門跡に近い若松緑地公園の片隅に、「土方歳三最期の地碑」があります。明治2年5月、箱館を包囲した新政府軍に土方歳三は約50名の兵と共に出陣。敢然と切り込んでいきましたが、馬上で銃弾に倒れ波乱に満ちた生涯を閉じました。土方の死については諸説ありますが、一本木関門はゆかりの地として全国の土方ファンが訪れ今も花が絶えません。