万関橋
対馬を南北に分ける運河に架かる真っ赤な鉄橋
車を走らせていると、突然、目の前に真っ赤な橋が見えてくる。手前にある駐車場に車を止めて歩いて橋を渡り始めると、深い運河の上に橋が架かっているのがわかり、入り江や港の風景が眼下に広がった。この万関橋は、対馬の中心の町、厳原(いづはら)から車で30分弱。上島と呼ばれる対馬北部の島と下島という南部の島を結んでいる。橋の下の万関瀬戸という運河は、1901年(明治34)、旧大日本帝国海軍により開削された。運河は久須保水道とも呼ばれる。この運河に架けられた万関橋は、現在3代目。1996年(平成8)に架け替えられた。長さは約210m、水面からの高さは潮の干満で変わるものの、だいたい25m。橋の上から見下ろすと、結構な高さに感じられる。旧海軍がここを開削したのは、浅茅湾内の拠点から佐世保までの所要時間を短縮するため。当時は幅約25m、深さ約3mだったとされる。当時はロシアの南下政策により戦争の機運が高まっていた。1905年(明治38)、日露戦争の日本海海戦時には、水雷艇がここを通って出撃したといわれていたが、最近の調査では拡幅工事のため運河を通行できず、南部を迂回して出撃したとされている。1975年(昭和50)には、運河は幅約40m、深さ4.5mに拡張されている。
スポット詳細
情報提供: ナビタイムジャパン
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クチコミ
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- 万関瀬戸を見下ろす上島下島をつなぐ橋
- もともとは一つの島だった(今でも公式には一つの島かな?)対馬だが、1900年に海軍が小艦艇を対馬海峡の西水道、東水道に効果的に展開するために掘削された万関瀬戸として、上島、下島に分かれることになった(正確に言えば江戸時代に掘削された大船越瀬戸というのもあるが)。日本海海戦の時には、鈴木貫太郎率いる水雷戦隊がこの瀬戸を通過したという。この万関瀬戸にかかるのが赤い万関橋。現在の橋は1996年に架け替え...
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- 人工瀬戸にかかる橋
- 空港から車で北上する途中の国道沿いでした。橋の手前に駐車場があり、トイレもありました。南側から橋の右側に歩道があり写真もとれました。旧海軍が船を通過させるために掘削した人工瀬戸の上の赤い橋です。天気がよかったので橋の上からの景色はきれいでした。
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- 赤い鉄橋
- ツアーで厳原から和多都美神社に行く時に通過しました。添乗員さんが明治時代に日本海軍が軍艦を通す為に人工的に掘削した瀬戸に掛かってる橋と説明してくれました。意識して車窓見学、赤い鉄橋は大きくありませんが、かなり高い位置に掛かってました。
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