日向市美々津重要伝統的建造物群保存地区
伝統的家屋が軒を連ねる神武天皇船出の港町
貿易で栄えた町には廻船(かいせん)問屋が軒を連ねる
美々津は江戸時代に上方交易が盛んで、廻船(港から旅客や商品を売り回る荷船)を所有し物資輸送を行う廻船問屋や商家が軒を連ね、最盛期には「美々津千軒」と呼ばれるほどだったという。現在も漆喰の白壁や板壁、格子、虫籠窓などが特徴的な町家が並ぶ立縫(たちぬい)地区と新町地区の一部は、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されている。また、神武天皇船出の地としても知られており、神武東征の折、村人が急な出発に合わせて作り献上したとされる「お船出だんご」や、旧暦8月1日の夜に子どもたちが、短冊のついた笹を手に町の家々の戸を「起きよ、起きよ」と叩いてまわる「おきよ祭り」など、神武天皇出発に関連するさまざまな文化が残っている。
美々津町の歴史を学べるスポットも
耳川(みみかわ)は、九州山地を蛇行し太平洋の日向灘に注ぐ川。河口の右岸に位置する美々津は、耳川流域の山林から集められた木材や木炭、椎茸などの産物を出荷する拠点としてさまざまな地域と経済・文化交流を深めたという。このような美々津の歴史と文化を伝えるのが、「日向市歴史民俗資料館」だ。廻船問屋であった河内屋を改修し、そこに代々伝わる古文書や掛け軸をはじめ、日向市内から収集された貴重な資料や民具類を収蔵している。また「美々津軒」も、廻船問屋の旧矢野家を利用した文化施設。一般公開されており当時の雰囲気を味わえる。
当時の雰囲気が残る建造物
美々津重要伝統的建造物群保存地区は、上町、中町、下町の3本の主要な通りからなり、かつてはこの3本の通りを横切るように「ツキヌケ」と呼ばれる大きな道が2本通っていた。海風が強く建物が密集している美々津は火事の多いところで、「ツキヌケ」は防火路の役目があった。ツキヌケの跡には防火に使われた共同井戸が残されており、当時の人々が肩を寄せ合って生活していた様子を想像できる。棟に向かって直角に入り口があり切妻屋根を配した「妻入り」と、逆に平行に入り口が設けられている「平入り」の建物が混在しており、梯子、軒を支える持ち送り、折りたたみ式の腰かけなど、特徴的な町家の景観を楽しむことができる。また、立ち並ぶ町屋のなかに木造の洋風建築物がある。これは旧美々津郵便局で、かつての雰囲気をそのままに残している。
神武天皇の航海安全を祈念した由緒ある神社
宮崎県には数々の神話が存在し、その神話が天皇の系譜へとつながっている。初代天皇の神武天皇が即位するまでを記した「神武東征神話」によると、神武天皇は高千穂で天照大神(あまてらすおおみかみ)の孫として降臨したという。日本の中心を目指すために「東征御前会議」が行われ、神武天皇は諸皇子や大勢の軍を率いて出港したとされる。その地に創建されたのが立磐(たていわ)神社だ。御祭神は神武天皇、海上の守護神である底筒男命(そこつつのおのみこと)、中筒男命(なかつつのおのみこと)、表筒男命(うわつつのおのみこと)。境内には神武天皇が腰かけたとされる「神武天皇御腰掛の岩」があり、御神体となっている。
スポット詳細
情報提供: ナビタイムジャパン