大陸からの副葬品が続々!奈良県橿原市の新沢千塚古墳群


2014.09.25

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奈良県内の古墳群といえば、山の辺の道に沿って展開する桜井市の大和古墳群や奈良市の佐紀古墳群などを思い浮かべる人が多いでしょう。しかし、それだけが奈良県を代表する古墳群ではありません。橿原市にも実は日本有数の大古墳群も存在しているのです。その名も新沢千塚古墳群!今回は新沢千塚古墳群のなかの古墳を幾つか紹介しながら、大陸とのつながりをはじめ、新沢千塚古墳群ならでは特色とその魅力をお伝えしましょう。
全国有数の群集墳!古墳公園として整備されている新沢千塚古墳群
新沢千塚古墳群(にいざわせんづかこふんぐん)は橿原市を代表する神社・橿原神宮の北西に位置しています。ご覧のように、園内には散策路を設けられており、付近一帯は古墳公園として整備されています。散策路に面してこんもりとした小さな土饅頭のようなものが幾つも見えますよね。この一つ一つが古墳なのです。
このように小さな古墳が狭い地域に数多く築かれている形態を群集墳と呼びますが、古墳の数は何と600基近く!その規模からも、現在、新沢千塚古墳群は国の史跡に指定されています。
豪華な副葬品!大陸とのつながりを連想させる126号墳
新沢千塚古墳群を代表する古墳といえば、126号墳をあげなければなりません。126号墳は東西約22メール、南北約16メートル、高さ約1.5メートルの規模を持つ長方形墳。5世紀後半頃に築かれたと考えられています。埋葬施設は長さ約3.1mの割竹形木棺で、棺の内外に数多くの副葬品がおさめられていました。
驚くべきは、その副葬品の種類。遺体のそばに置かれたガラス製の碗や皿ははるか遠く古代ペルシャからもたらされたと考えられており、ほかにも金製冠飾りや垂下式耳飾り、指輪、腕輪、玉類などの装身具のほか、青銅製の熨斗(のし)や漆盤などが見つかっています。これらもまた中国大陸からもたらされたものと考えられていることから、126号墳をはじめ、新沢千塚古墳群に眠る人々が大陸と深いつながりを持つ渡来人ではなかったかという説がとなえられています。現在、126号墳から見つかった副葬品は国の重要文化財に指定されています。
意図的に散乱させた理由は?首飾り用のガラス玉が大量に出土した115号墳
しかし、貴重な副葬品は何も126号墳だけから出土しているわけではありません。写真は散策路をはさんで126号墳の向かいに築かれた115号墳。115号墳の直径は18メートル、高さは3.5メートル。墳頂部分には円筒埴輪がめぐり、周囲には家型埴輪が並べられていました。
ほかにも、五鈴鏡や二神三獣鏡といった鏡が出土していますが、115号墳で特筆すべきは、1000個におよぶガラス玉が出土していること!出土した当時、あたりに散乱している状態であったことから、被葬者を埋葬するとき、首飾りとして使われていたガラス玉をあえてバラバラにして、付近に散乱させたと考えられています。ガラス玉をあえて散乱させたことには、いったいどのような意味があったのでしょうか。謎は尽きないですね。
意図的に散乱させた理由は?首飾り用のガラス玉が大量に出土した115号墳
群集墳というと、小型の円墳や方墳をつい連想してしまいがちですが、新沢千塚古墳群には前方後円墳もふくまれています。そのなかでも最大の規模を誇るのが、写真の81号墳。全長約40メートル、高さ2.4メートルで鉄刀などが出土しています。
被葬者は何を思う?新沢千塚古墳群からの眺め
写真の手前、ぽこぽこといくつも見える小さな土盛りもすべて古墳。そのはるか向こうに見える山並みは、奈良県と大阪府との県境にまたがる生駒山や矢田丘陵。新沢千塚古墳群は周辺の平地よりも一段高い丘の上に築かれており、墳丘からは遠くの山々まで見渡すことができます。別の角度からは飛鳥の地や大和三山の一つ・畝傍山も眺められますが、その立地条件の良さからも、新沢千塚古墳群に眠る人々の格式の高さがうかがえま。彼らはいったい何を思いながら、永遠の眠りについているのでしょうか。
おわりに
新沢千塚古墳群がいかに大規模で、大陸とのつながりを感じさせる高い文化的価値性を有した古墳群であるか、おわかりになったまのではないでしょうか。古墳群に隣接するところには、今年の春にオープンした「歴史に憩う橿原市博物館」もあり、館内では新沢千塚古墳群についてさらに詳しく学ぶことができます。新沢千塚古墳群をめぐりながら、古代に思いを馳せてみてはいかがでしょうか。 

新沢千塚古墳群
place
奈良県橿原市川西町
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