和歌山「根来寺庭園」3つの庭園を一度に鑑賞できる贅沢な寺院


2023.01.18

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平安時代後期に創建された根来寺は、国宝の大塔(だいとう)をはじめ、貴重な建造物が数多くあります。さらに国の名勝に指定されている庭園は、雰囲気の異なる3つの庭を一度に見ることができる貴重なスポットです。今回は根来寺の庭園の魅力を紹介しますので、実際に足を運んで体験してみてください。
戦乱を潜り抜けた名刹
長承元年(1132年)に僧侶の覚鑁(かくばん)が、鳥羽上皇から根来寺周辺の土地を寄進されたことが根来寺の創建の契機となります。もともと覚鑁は高野山の高僧でしたが、彼の改革に反対する勢力に命を狙われ、現在の根来寺周辺へ拠点を移すことになりました。
康治2年(1143年)に根来寺発展の礎を築く途中で覚鑁は亡くなり、今では厳かな雰囲気が漂う奥の院にその魂が祀られています。
根来寺は室町時代末期に72万石を有する一大宗教都市となり、1万人余りの「根来衆」と呼ばれる僧兵集団を従えていました。根来衆は鉄砲隊を中心に強大な軍事力を持っていましたが、豊臣秀吉と対立し天正13年(1585年)に攻め滅ぼされてしまいます。
この戦いにより大塔や大師堂(だいしどう)などを除き、境内にあった多くの建物が消失してしまいます。
戦火を免れた大塔にも火縄銃の弾痕が残っており、かつての戦争の凄まじさを物語っています。現在、大塔は日本最大の木造の塔として国宝に指定されており、内部に入って見学することもできます。
江戸時代に整備された「池泉蓬莱式庭園」
根来寺には平安時代の創設当初の趣を残す「聖天池(しょうてんち)」、江戸時代に作られた「池泉蓬莱式庭園(ちせんほうらいしきていえん)」と「枯山水庭園(かれさんすいていえん)」という雰囲気の異なる3つの庭園が存在します。
戦国時代に灰燼に帰した根来寺は、江戸時代になると紀州徳川家の庇護のもと復興を果たしました。この時に庭園も整備され、紀州徳川家の別邸を移築した名草御殿(なぐさごてん)の北側と西側に池泉蓬莱式庭園、南側に枯山水庭園が作られています。
池や川などの景物を中心とし、神仙思想に基づく理想郷を表現しているのが池泉蓬莱式庭園です。自然の池と背後の山を活かし、石を組み合わせて表現した島や三段に分かれた滝が随所に配置されています。
池のなかに浮かぶ2つの大きな島は、石橋でつながっており、それぞれ鶴と亀を表現しています。「鶴は千年、亀は万年」と言われるように長寿の象徴とみなされている鶴と亀は、蓬莱式庭園で頻繁にモチーフとされた動物です。
「枯山水庭園」も江戸時代に作られた庭園
池泉蓬莱式庭園と同じく江戸時代に源流をもち、対照的に水をいっさい使用せず作られたのが枯山水庭園です。敷き詰めた砂の紋様や石の組み合わせによって、水の流れ、島などを表現しています。根来寺の枯山水の見どころは、立て石を使った石組みと南国らしいソテツの植栽です。室町時代に日本にもたらされたソテツは、エキゾチックな雰囲気から庭園に配置され、温暖な地域を中心に人気の植物となりました。
平安時代に源流を持つ庭園「聖天池」
覚鑁の御本尊が安置された光明殿の西側に聖天池と呼ばれる池庭が存在します。中央に弁戝天を祀る小さな祠が安置され、池の周囲には松やカエデが植えられています。
豊臣秀吉が根来寺を攻め滅ぼす前の絵図にすでに聖天池が描かれているため、創建当初の平安時代から残る庭園だと考えられています。上述した2つの庭園と比べ、作為が少なく優雅な雰囲気を感じさせるのが聖天池です。
享和元年(1801年)に建立された聖天堂は、池に突き出るように造営されたお堂です。聖天池と照らし合わせた際の雰囲気も良く、池庭の美しさを何倍にも増幅させる効果を持っています。
お堂の内部には日本を代表する漆器として有名な「根来塗」で作られた朱塗の壇が置かれています。根来塗は黒漆を塗った上から朱漆を塗り重ねて作られます。長年使用されるうちに表面の朱漆が摩耗し下地の黒漆が現れるため、赤と黒のコントラストが非常に新しい模様となる漆器です。 

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根來寺庭園
rating

4.0

7件の口コミ
place
和歌山県岩出市根来2286 総本山根來寺内
phone
0736621144
opening-hour
[4月-10月]9:10-16:30[11月-3…
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