東京・護国寺3つのパワースポット!開運柱・一言地蔵・音羽富士


2018.08.26

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五代将軍徳川綱吉が創建した、東京文京区の護国寺。都心にありながら太平洋戦争の空爆の被害を逃れたため、創建当時のお堂が数多く残る広い寺院です。
護国寺には、元禄時代建立の本堂を支えている52本の「開運柱」、一言だけの願いを叶えてくださる「一言地蔵」、寺院では珍しい富士塚「音羽富士」というパワースポットがあることでも知られています。今回は、そんな東京の名刹・護国寺の見所を紹介します。
江戸時代の面影を伝える護国寺
護国寺は、天和元(1681)年に五代将軍徳川綱吉により、生母の桂昌院の発願寺として創建されました。関東大震災と太平洋戦争の空爆の被害を逃れ、創建当時のお堂が残る都内でも有数の大寺院。江戸時代には回向院、浅草寺に次いで出開帳の宿寺として人気がありました。
喧騒で賑やかな音羽通から仁王門をくぐると、静寂の空間が広がっています。仁王門は元禄時代のもので、両脇に金剛力士像が安置された堂々たる構えです。
仁王門と本堂の中間、長い階段の上に特徴的な不老門。昭和初期の建立、様式は京都鞍馬の由岐神社の割拝殿に似ています。
「開運柱」が支える護国寺本堂
本堂は、本尊の如意輪観世音菩薩像を祀り、元禄10(1697)年建立時のままで重要文化財、都内最大の木造建造物。本堂の中に入ると、天井の高さと広さに圧倒されます。
本堂を支えるケヤキの柱は、直径50センチを超え52本あり、元禄時代の大商人の紀伊国屋文左衛門が調達したと伝えられています。300年以上毎日お経を聞いてきた柱ですから、抱きついて願えば叶う「開運柱」と言われています。心を静かにして柱に両手をあて、パワーをいただきましょう。
堂内の綱吉の筆による額文字や元禄10年と記された大きな絵馬など、江戸時代からの歴史を感じます。本堂内は撮影禁止です。
御朱印はこちらでいただくことができます。
お願い事は一言限定の「一言地蔵」
不老門をくぐり右に曲がると大師堂。その脇に小さな地蔵堂があります。名前の通り、一言だけの願いを叶えてくださる「一言地蔵」様。一言ですから、お願い事は厳選しましょう。扉が閉まっていますが、お参りの時は開けて構いません。
周りには「身代わり地蔵」や「六地蔵」も。お参りすることで気持ちが穏やかになります。
寺院では珍しい富士塚
不老門の手前の右側には、頂上に富士浅間神社の小さな祠がある「音羽富士」。都内に数多くある富士塚ですが、寺院にあるのは珍しく、江戸時代からの富士山信仰のパワーを、約2分ほどの登山でいただきましょう。
本堂の裏手には墓地が広がり、幕末から明治時代にかけて活躍した大隈重信、三条実美、山県有朋、旧岩崎邸や鹿鳴館の設計者ジョサイア・コンドルなど、数多くの著名人が眠っています。
今回ご紹介した護国寺は、都心とは思えない空間の広がる寺院です。徳川将軍綱吉の命をうけ、元禄時代の建築工芸の粋を結集した本堂をはじめ、建築物も壮観です。また、江戸時代からの庶民の信仰である「一言地蔵」や「音羽富士」もあります。ぜひ、訪れてみましょう。 

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護国寺
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東京都文京区音羽
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