東京都美術館「没後50年 藤田嗣治展」で世界のフジタの全貌に迫る!


2018.09.03

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20世紀にフランスと日本を舞台に活躍した日本人画家、藤田嗣治の史上最大規模の大回顧展が、東京都美術館で開催中です。1920年代のパリで、日本人画家として唯一成功を収めた藤田。日本への帰国、太平洋戦争を経て、再び訪れたフランスを終生の地とします。時代に翻弄され、複雑な人生を歩んだこの画家は、今、世界的にも注目を集め始めています。彼の画業の全貌とその生涯を見通すことができるまたとない機会です。
パリで認められた最初の日本人画家・藤田嗣治の全貌に迫る展覧会
「私は、世界に日本人として行きたいと願ふ。
それはまた、世界人として日本に生きることにもなるだらうと思ふ」
1942年にこう書いた藤田嗣治は、戦前、日本人として唯一フランスで成功した画家。没後50年を経て、その画業の全体を見る機会がやってきました。
藤田は明治時代の半ばの1886年、東京生まれ。
第1章では、彼が学んだ東京美術学校(現在の東京藝術大学美術学部)時代の作品を紹介。今回は、彼が通った上野での展覧会開催という点も注目です。
1913年、藤田は26歳で憧れの地、当時の美術の中心地であったパリへ。
第2章では、このパリ滞在初期の作品が展示されています。
渡仏の翌年、第一次世界大戦が勃発するも、藤田は帰国せずパリに残ることを決意。エコール・ド・パリと呼ばれる外国人画家たち中で、唯一の日本人として、生き抜くための模索を続けます。
《二人の少女》1918年 プティ・パレ美術館蔵(スイス・ジュネーヴ) Fondation Foujita / ADAGP, Paris & JASPAR, Tokyo, 2017 E2833
華やかな1920年代のパリで成功を収めた藤田嗣治
第3章には1920年代の自画像や肖像画を展示。
第一次大戦終了後、彼はパリで注目を集めるようになります。
1929年のこの《自画像》は、成功を収めて自信に満ちた様子。おかっぱ頭に丸眼鏡、ちょび髭、ピアスという、特徴的な風貌です。
《自画像》1929年 東京国立近代美術館蔵 Fondation Foujita / ADAGP, Paris & JASPAR, Tokyo, 2017 E2833
机には硯と墨。手には、日本画で使う面相筆。欧州で日本人画家として成功することを研究した結果、筆と墨という日本画の素材を、西洋画に用いるというアイディアにたどり着きます。
そして傍らには、お得意のモチーフの猫も!
《自画像》(部分)1929年 東京国立近代美術館蔵 Fondation Foujita / ADAGP, Paris & JASPAR, Tokyo, 2017 E2833
1920年代は、西洋が経済的な繁栄を誇ると共に、自由でモダンな新しい価値観を探っていた時代。女性の髪型のショートカットなども初めて流行しました。
人びとが、夜な夜なカフェやダンスホールで踊り、酔いしれる「狂乱の時代」の20年代。新しさを求めたパリのセレブ達に、東洋人の藤田は、新鮮でエキゾチックな魅力を持つ存在でした。作品は人気を集め、沢山の肖像画の注文を受けています。
Fondation Foujita / ADAGP, Paris & JASPAR, Tokyo, 2017 E2833
藤田の代名詞「乳白色の裸婦」の作品が大集合!
第4章では、1920年代の「乳白色の裸婦」の作品を纏めて紹介。
藤田嗣治といえば「乳白色の裸婦」が有名。彼独自のスタイルを活かすのに最適なテーマが、西洋画の伝統的なテーマの一つ「裸婦」でした。
Fondation Foujita / ADAGP, Paris & JASPAR, Tokyo, 2017 E2833
下地の乳白色を活かし、裸婦の肌そのものの美しさを捉えようとしたのです。
《タピスリーの裸婦》1923年 京都国立近代美術館蔵 Fondation Foujita / ADAGP, Paris & JASPAR, Tokyo, 2017 E2833
今回の展覧会では、大画面の裸婦の群像も2点展示されています。1枚は、仮面舞踏会という、20年代らしいテーマ。近くには、彼のアールデコ風のポスターもあり、時代の雰囲気を伝えています。
Fondation Foujita / ADAGP, Paris & JASPAR, Tokyo, 2017 E2833
帰国、太平洋戦争、そして戦後・・・
5章と6章は、1930年代から太平洋戦争の時期の作品です。
1929年、アメリカから始まった世界大恐慌は、瞬く間に世界中に波及。パリの芸術家たちの生活も大きく変わり、藤田は20年住んだパリを離れます。
1931年から2年間は、当時のパートナーと中南米へ。
それまでとは一転して、原色を多用した濃厚な作品を多く手掛けています。今回は、一般的な「藤田嗣治」のイメージとは異なる一面にも触れられる機会です。
Fondation Foujita / ADAGP, Paris & JASPAR, Tokyo, 2017 E2833
1933年、日本に帰国後は、20年ぶりの故国で、各地の風俗を捉えた作品を描きました。絵画作品に加え、この頃外務省からの依頼で制作した「現代日本」シリーズの短編映画も、会場で特別に上映しています。
1939年に再びパリへ行くものの、その数か月後に第二次世界大戦が勃発。14匹の猫が争うこちらの作品は、ドイツ軍が迫るパリで描かれました。
《争闘(猫)》1940年 東京国立近代美術館蔵 Fondation Foujita / ADAGP, Paris & JASPAR, Tokyo, 2017 E2833
再び帰国した藤田。戦時体制に合わせ、トレードマークのおかっぱ頭も丸刈りに。太平洋戦争中は、軍の仕事で戦場に取材した「作戦記録画」を手掛けています。
しかし戦後、戦争協力で責められた藤田は、1949年に日本を永久に離れます。写真は、暫く滞在したニューヨークでの作品。アメリカで描かれたのに、舞台はパリ。画家のパリへの郷愁でしょうか。額縁も、絵に合わせた自作の品です。
7章は、戦後の東京からニューヨークを経て、再びパリへ落ち着くまでの20年間です。
《カフェ》1949年 ポンピドゥー・センター蔵 Fondation Foujita / ADAGP, Paris & JASPAR, Tokyo, 2017 E2833
再びフランスへ、晩年の藤田嗣治
60歳代の藤田がパリに戻ったのは、1950年。次第に変わりゆくこの町で、古い街並みや風俗などを画面に留めています。
《フルール河岸 ノートルダム大聖堂》1950年 ポンピドゥー・センター蔵 Fondation Foujita / ADAGP, Paris & JASPAR, Tokyo, 2017 E2833
絵画の他、パリ郊外の最後のアトリエに残されていた手作りの小物も展示。晩年の生活を垣間見ることができます。
Fondation Foujita / ADAGP, Paris & JASPAR, Tokyo, 2017 E2833
最後の8章では、最晩年のキリスト教絵画を展示しています。
1955年、藤田はフランス国籍を取得。59年には歴史あるランスの街でカトリックの洗礼を受け、「レオナール」と名乗ります。
1966年、ランスに小さな礼拝堂を作り、内装のフレスコ画を手掛けると、2年後に81歳で亡くなました。
フランスと日本で、60年の生涯を芸術に捧げた藤田嗣治。世界人として生きた彼の作品は、今、国際的にも注目され始めています。今回の展覧会は、その全貌を知るまたとない機会です。
《礼拝》1962-63年 パリ市立近代美術館蔵 Musée d’ Art Moderne / Roger-Viollet Fondation Foujita / ADAGP, Paris & JASPAR, Tokyo, 2017 E2833 

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