徳川家と諸大名に愛された東京「三田」!悠久の歴史を紡ぐ神社3選


2018.09.17

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江戸時代「三田」には多くの大名屋敷が建ち並び、神社への寄進も行われました。将軍家も参詣を奨励し、都内でも有数の神社が集まる地域となったのです。土地の歴史は二千年余りと古く、都心の一等地にありながら由緒ある社寺が今も残っています。江戸開府を転換期に大きな影響を受けた神社では、その後近代化との融和を模索します。現在も随所に風情を実感できる境内には、先人達の信仰心が守った遺産がひっそりと残っています。
「日本三忠臣」が祀られる御穂鹿嶋神社!創建はなんと2006年!?
御穂鹿嶋神社の入口にあるのが、西郷隆盛と勝海舟が歴史的会談を行った場所です。この会談で「江戸城無血開城」が決まり、江戸は戦火を免れました。
この周辺には旧薩摩藩邸もあり、幕末期の動乱を象徴する場所です。江戸城総攻撃を準備していた西郷でしたが、勝との会談は勿論のこと、主君「島津斉彬」の姫君である篤姫の尽力もあって総攻撃の中止を決断しました。
また司馬遼太郎の『竜馬がゆく』では、土佐藩を脱藩して江戸に出てきた竜馬が、この周辺で同行していた清河八郎と別れるシーンが描かれています。
「御穂鹿嶋神社」は旧中原街道から少し奥に入った神社です。最初の印象は新しいような、古いような神社…。アンバランスな雰囲気を漂わせ、どこかしっくりきません。しかし、そこには理由がありました。
御穂鹿嶋神社の前身は「御穂神社」と「鹿嶋神社」という神社が別々に存在し、由緒ある二つの神社が合祀されていたのです。御穂神社の創建は1525年と伝えられており、1300年頃この地で教えを説いた「藤原藤房公」を後世の人々が偲び、祭神として崇めました。
一方、鹿島神社は1600年頃の創建とされ、茨城県にある鹿嶋神宮の社殿が浜に流れ着き、一旦は鹿嶋に戻されたものの、再び返ってきたそうです。最後は「この浦に祀り坐すべし」との御神託があり、人々が驚いてこの地に祀ったのが始まりとされています。
御穂鹿嶋神社は老朽化や周辺の再開発事業などを理由に、2006年「鹿嶋神社」の旧社地に新社殿を造営して合祀されました。どうりで真新しさを感じる訳です!
敷地が少し狭いこともあり、この神社にはなんと賽銭箱が設置されていません!社殿の扉にポストのような口が設けられており、そこにお賽銭を投げる仕組みになっています。
神社の祭神である藤原藤房は、万里小路藤房(までのこうじ・ふじふさ)という名で知られています。南北朝時代における後醍醐天皇の側近で、「日本三忠臣」の一人とされています。
<基本情報>
所在地:東京都港区芝4-15-1
電話:03-3452-2664
アクセス:都営浅草線「三田駅」から徒歩1分
朱色と夕暮れのコントラストが美しい!歴代将軍が参詣した「三田春日神社」
「三田春日神社」は東京タワーを望める立地にあり、オフィス街に佇む神社です。急な階段を登ると緑に囲まれた静かな空間が広がります。夏でも木陰に入れば清涼感が漂う憩いの場です。
かつては「三田村」の鎮守で、現在は慶応大学三田キャンパスの隣りに鎮座しており、学問・平和の祭紳として祀られています。地元では「春日さま」の愛称で親しまれているのが印象的です。
平安時代前期の958年、武蔵国(東京・埼玉など)の国司が赴任した際、大和国(奈良)にある「春日大社」の御神霊を勧請したのが始まりとされています。
かつての「三田」は現在の港区三田ではなく、目黒区にありました。ちなみに現在でも目黒区には「目黒三田春日神社」が存在しています。
戦国時代の1555年頃、現在の場所に遷座しました。江戸時代には「三田春日明神社」と称され、その様子は『江戸名所図会』にも描かれました。江戸府内唯一の「春日社」として、徳川将軍をはじめ全国の諸大名の崇敬も厚かったそうです。
『江戸名所図会』に描かれた総欅造りで絢爛豪華だった社殿は、1945年の東京大空襲により焼失してしまいます。戦後、1959年に現在の社殿が再建され、1994年には近隣の旧飯倉町にあった「赤羽稲荷神社」が境内社として遷座されました。
「三田春日神社」は学業・受験合格、立身出世のご利益があります。また、境内には他にも「福徳稲荷神社」が鎮座しています。
境内全体は「朱色」で統一され、夕刻時には灯籠の光と相まって、艶美な空間を醸し出しています。境内はそれほど広くないので、混雑していることは稀です。
新緑の季節のなると、蚊やブヨなどが増えてくるので肌の露出は控えたほうが良さそうです。また、社務所では御朱印のほかに「春日社」御祭紳の使いとして「鹿守り」が頂けます。
<基本情報>
所在地:東京都港区三田2-13-9
電話:03-3451-5420
アクセス:都営浅草線「三田駅」から徒歩10分
祈祷受付時間:午前9時~日没
社殿はビル屋内!千年の歴史を誇る「元神明宮」が近代化した理由
一條天皇の勅命により1005年に創建されたと言われています。誰もが驚くのはその景観です。タワービルの横には不釣り合いな看板が掲げられており、裏手に回ると鳥居が建っているのです。
平安中期に活躍し「鬼退治」で有名な武将、渡辺綱の信仰が厚かったことから、その後多くの武将から崇拝を受けてきました。
御神体があちらこちらに遷座する発端となったのは、徳川家康が江戸幕府を開いて以降です。幕府内で現在の「芝大神宮」へ遷す案が持ち上がりますが、異議を唱えた氏子たちは御神体を守り続けました。それ以来、地元ではこの神社を「元神明宮」と呼ぶようになったのです。
「元神明宮」は小山町に鎮座していたことから、地元では「小山神明宮」とも呼ばれていました。小山町には久留米藩の上屋敷があり、歴代藩主の有馬家は当社を崇敬していました。
明治維新後、有馬邸は青山に移転し、邸内に社として祀っていた「水天宮」の御分霊を元神明宮に奉納しています。そして1994年に旧社殿の老朽化に伴い、ビルの屋内に社殿を構えるという、現在の近代的な社殿に姿を変えました。
ごつごつとした石段が連なる参道脇には、境内社の稲荷神社が並んでいます。御祭神は全て「宇迦之御魂神」です。境内には社が点在し、「天白稲荷神社」などが鎮座しています。社殿とのギャップが激しいためか、そのひとつひとつが簡素ながらも歴史を感じさせます。
都内の一等地に立地しているため、敷地も広いとは言えません。しかし、限られたスペースに多くの御神体が祀られていることに、地元の信仰心の深さを実感させられます。
自動センサーで節水?未来の神社モデルを予感させる「鉄骨本殿」
「元神明宮」はビル屋内に社殿を構えるだけにとどまらず、神社のイメージそのものを覆す場所です。身を清める手水舎は何とセンサー式!ボタンを押すと一定の間、水が流れる仕組みです。しかし、受け皿となる水盤は300年以上前に造られたというから驚きです。
その他にも鳥居付近には「灯籠」ではなく、ガラスに覆われたランプ形態の外灯が建っているなど、古今東西のあらゆるモノが集約された印象を受けます。
鉄筋コンクリート造の社殿内は頑固な覆屋に守られているだけあり、築年数を経ても再建同時の美しさがそのまま保たれています。参拝スペースから覗ける彫刻の数々は旧社殿から引き継がれているそうです。
一方で応接テーブルやソファが置かれており、ここでもアンバランスさに面食らってしまいます。ちなみに社殿内右手にある社務所にて御朱印を頂くことができますが、日程を組んで参拝される方は、あらかじめ電話での問い合わせをお勧めします。
「元神明宮」の御神木である「夫婦銀杏」は御神体がこの地に鎮座している大きな要因と言われています。それを象徴する出来事として、旧東京市が市電敷設のため祠を取り壊したところ、災厄が起きたそうです。
神社の前を通る「神明坂」の先には、東京のシンボルとも言える東京タワーが視界に飛び込んできます。境内からは木々が鬱蒼と生い茂っているので全く見えませんが、改めてこの場所が都内の中心地であることを実感させられる瞬間です。
<基本情報>
所在地:東京都港区三田1-4-74
電話:03-3451-2493
アクセス:都営大江戸線「赤羽橋駅」から徒歩3分
祈祷受付:9:00~16:00(予約制)
頒布所受付:9:00~17:00 

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三田(東京都)
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東京都港区芝5丁目
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本芝公園
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東京都港区芝4-15-1
phone
0335783111
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三田春日神社
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3.5

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東京都港区三田2-13-9
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9:00-日没
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