京都・亀岡「谷性寺・ききょうの里」は明智光秀ゆかりの地


2018.07.12

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京都府亀岡市は明智光秀の丹波平定の拠点となった町。その後、丹波は光秀の領国となり現在の町並みの礎を築きました。そんな亀岡に「光秀寺」と呼ばれる「谷性寺(こくしょうじ)」があります。明智光秀ゆかりの寺院で、初夏には「ききょうの里」として門前に広大な花畑が広がり、多くの観光客が訪れます。
亀岡「谷性寺」は光秀ゆかりの寺
京都府亀岡市、湯の花温泉からほど近い古刹「谷性寺(こくしょうじ)」。その創建は古く平安時代とされ、本尊は不動明王。谷性寺は明智光秀ゆかりの寺であり「光秀寺」とも呼ばれ、また光秀の家紋である桔梗が初夏にかけて咲き乱れることから「桔梗寺」ともいわれています。
谷性寺を訪れるベストシーズンはやはり桔梗の咲く季節。例年6月下旬から7月下旬にかけて「丹波かめおか光秀物語 ききょうの里」と銘打つイベントが開催、門前に広大な花畑が出現し、桔梗をはじめとするさまざまな花が観光客を出迎えます。
京都かめおか光秀物語 ききょうの里
谷性寺へ向かう参道脇に展開される「ききょうの里」。6月中旬ごろからはプレオープンもはじまり、初夏の花が観光客を出迎えます。
ききょうが見頃を迎えるまでは550株のあじさいが広い範囲を彩り、その他にもゆりも500株もの規模で咲き、訪れる人を楽しませてくれるのです。
花畑は谷性寺に向かう参道脇だけでなく、谷性寺の後方にも広がっていますので参拝後はそのまま引き返さないようにご注意を。ききょうの里は、年々花畑の規模や迫力が増加傾向ですので、いつ行ってもなんらかの花が楽しめるかと思います。
谷性寺の境内には光秀の塚が
谷性寺はこぢんまりとしており、その境内には光秀の首塚があります。丹波を平定した光秀は谷性寺の本尊である不動明王を厚く崇敬し、織田信長を討つべく本能寺へ向かう際には「一殺多生の降魔の剣を授け給え」と誓願したそう。
そして見事信長を討った光秀ではあったものの、山崎の戦いに敗れ坂本城へと逃れる際に襲われてしまいます。光秀の介錯をした溝尾庄兵衛は光秀の首を近臣に託し、生前に信仰していた谷性寺へと運び葬ったとされます。首塚はそんな光秀の怨念を鎮めるべく幕末に建てられたもの。
そんな光秀をしのび、境内では明智家の家紋である桔梗がいつからか植えられるようになったとのこと。夏になれば境内は桔梗一色に染まることから桔梗寺と呼ばれるようになったのです。
そして2003年からは、近くの田畑を借り受けて1万5千もの桔梗を植え込み、今ではその規模は5万株にまで拡大しているのです。全国的にみても、これだけのききょうが咲くスポットも珍しいのだとか。そんな「ききょうの里」は2018年で15周年を迎える、亀岡の夏にはかかせないイベントのひとつとなっています。
ちなみに桔梗は紫色だけでなく白色やピンク色もあり、中には八重のききょうもあるので探してみてください。
その他の見どころ
境内には首塚の他に「明智山門」と呼ばれる門があります。この門は、元は亀山城下にあった西願寺の門。昭和51年に廃寺になる際、谷性寺に移築されたもの。
この門を通して首塚が真正面に見えるところから「明智山門」の名称が付けられたとされています。また門の内側から上を見れば桔梗紋も。細部にわたって「明智山門」であることを示しています。
亀岡と光秀の関係
既に没後400年を数える明智光秀は、歴史上「謀反人」「三日天下」など悪いイメージを持たれがちですが、ここ亀岡においては少し違ったイメージを持たれています。ききょうの里にある「光秀の砦」には光秀の馬上像が設置されていますし、谷性寺の本堂には光秀の像も安置されています。そこにはネガティブな要素はなく、武人でもあり文化人でもあった光秀を偲んで作られたものなのです。
実は亀岡において明智光秀は善政を行った名君主であり、その遺徳をしのんで1972年には日本国内最初の明智光秀公顕彰会が結成されています。毎年5月には「亀岡光秀まつり」が開催され、ここ谷性寺の首塚墓前で追善供養が行われたあと、光秀主従の武者行列が城下町を練り歩きます。
亀岡においては光秀は現在の町の基礎を作ったともいえる存在であり、今も愛される存在だったのです。そんな光秀ゆかりの谷性寺で光秀の面影をたどってみてはいかがでしょうか? 

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谷性寺(光秀寺)
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京都府亀岡市宮前町猪倉土山39
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0771262054
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亀岡
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京都府亀岡市追分町

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