芭蕉も旅先の無事を祈願!?東京・荒川「素盞雄神社」


2018.05.31

トラベルjp 旅行ガイド

東京都荒川区にある「素盞雄神社」は、“お天王さま”と昔から崇められ、創建以来1200余年、大銀杏などが生茂る「飛鳥の杜」に鎮座している古社。かつて、江戸に出入りする旅人は、当社で災難除け、安全祈願をした。芭蕉も“奥の細道”への旅立ちの際には、旅先の無事を祈願したことだろう。境内には「矢立初めの句碑」がある。前途三千里。約5ヶ月にも及ぶ旅立に際して、芭蕉が抱いた“夢と不安”に、想いを馳せてみよう!
1200年余り「飛鳥の杜」に鎮座する
「素盞雄神社(すさのおじんじゃ)」は、平安時代、795年(延暦14年)に創建以来、悠久の1200年余。銀杏などの大木が生い茂る“飛鳥の杜“と呼ばれ親しまれている。御祭神は、“素盞雄大神(すさのおのおおかみ)”と“飛鳥大神(あすかのおおかみ)”の二柱である。
“素盞雄大神”は、天照大神(あまてらすおおみかみ)のお弟で、身に降りかかる災いや厄介を、荒々しいほどの力で祓い清める神様。一方“飛鳥大神”は、大国主神(おおくにぬしのかみ)の子供で、善悪を一言の内に判断し得る聡明な神様である。
深井戸(140m)から汲みあげられる“御神水”は、50余もある項目の水質試験に合格した「飲料適合」の水である。神事に用いられことはもちろん、非常時にはこの地域の人々の「生活用水」とされることになっている。
また“飛鳥大神”は、後世「福の神」と崇められ、産業繁栄、商売繁盛の「恵比寿さま」として信仰を集めている。当社は、かつて、日光街道や水戸街道へいたる要所であった神社だ。いずれの神様も、旅人にとって心強い御祭神だっただろう。ご利益として、厄除け、病気平癒、開運、良縁などがある。
二段構えの狛犬が護りを固める
鳥居前に一対。拝殿前にも立派な「獅子山」が一対ある。特に拝殿前の「獅子山」は、360度の全方向から鑑賞したい。子獅子に向けられる親獅子の温かい視線は、石工が一番に拘ったところだろう。
小柄ながら漲る雄々しさに、石工の魂を感じさせる狛犬。厳しい表情と分厚い胸板が、その迫力の原因。少し長めの“たてがみ”が印象的である。
1806年(文化5年)6月に建立されている。
「瑞光石」と「松尾芭蕉の句碑」は必見!
境内の中ほどに祀られる「瑞光石(ずいこうせき)」は、当社の御祭神である素盞雄大神と飛鳥大神が、光を放ちながら降臨した小塚の中の奇岩である。その傍らには、幕末になって富士塚が築かれ、「浅間神社」が祀られている。
1829年(文政12年)編纂された「江戸近郊道しるべ」には、千住大橋架橋の際、この瑞光石の根が大川(現・隅田川)まで延びていたために、橋脚が打ち込めなかったという伝承が紹介されている。
千寿といふ所より船をあがれば
前途三千里のおもひ胸にふさがりて
幻のちまたに離別の
なみだをそそぐ
「行く春や鳥啼き魚の目は泪」
松尾芭蕉「奥の細道」矢立初めとなった有名な一節。
「矢立初めの句碑」は、荒川区指定文化財である。
「子育ての銀杏」と「傘みくじ」
当社は古代より「飛鳥の杜」と呼ばれ、銀杏などの大木が生い茂っていた。こちらの“子育ての銀杏”には、母乳の出ない婦人がその皮を煎じて飲み、周囲に米の研ぎ汁を撒いて幼児の無事成長を祈願すれば、“乳の出がよくなる”というご利益があるとされてきた。絵馬を奉納祈願する習わしが今でも続いている。
人気のあるかわいい「傘みくじ」を開閉して、明日を占ってみよう!「傘みくじ」での大吉は、快晴。悪しきことはサッと開いて雨に流し、良きことは大きく開いて“開運招福”とする。
「地蔵堂」と「境内社」もお忘れなく!
「地蔵堂」には、江戸時代に建立された三基の“庚申塔”がある。庚申塔とは、60日に一度巡ってくる庚申(かのえさる)の日に、寝ずに夜を明かす行事「庚申待」を、3年間継続した所願成就の証しとして建てられる。荒川区有形民俗文化財指定である。
庚申の日には、人の体内にいる「三尸(さんし)の虫」が眠っている間に、その人の罪を天帝に告げてしまうため、徹夜して夜を過ごす習俗があった。
1678年(延宝6年)に建てられた、左端の庚申塔には、人の罪を「見ざる・言わざる・聞かざる」として三匹の猿と、早く朝が来るようにと、二羽の鶏が刻まれている。
本殿の裏手に回り込めば、農業、工業の神「福徳稲荷神社」、学問の神「菅原神社」などの末社があり、それぞれのご利益を授かれる。 

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素盞雄神社
place
東京都荒川区南千住6-60-1
phone
0338918281
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