薩摩藩の農業政策?えびの「田の神さあ」巡りが面白すぎる


2018.05.16

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田の神さあ(たのかんさあ)とは、豊作を祈願して田んぼに祀られる石で造られた神様のことです。薩摩藩領地だった鹿児島県本土と宮崎県南部で18世紀初め頃から広まり、現在約2,000体が確認されています。中でも霧島の噴火による被害が大きかったえびの市には、約150体の田の神さあが点在しており、代表的なものを効率的に見てまわれる3つのドライブルートも整備されています。
大事に祀られる田の神さあは盗まれる?ほどの人気ぶり
「田の神」信仰は全国の農村に浸透していますが、石を刻んで豊作を祈願する風習は薩摩藩独特の文化です。野ざらしになった田の神さあもありますが、多くは小屋や祠の中に安置され、注連縄や花が添えられて大事に祀られています。
昔、タノカンオットイ(田の神盗み)という風習がありました。豊作の続く田の神さあを置くと米が良くとれるようになるらしく、新しく開田した土地には神様がいないので、よその神様を盗んだそうです。
実際には借りてくるのですが、3年以上置くと不作になるといわれ、盗んだ集落は3年後にお礼の籾や焼酎、鶏などを持って正装して楽器を鳴らしながら賑やかしく戻しにきていたそうです。盗まれた方の集落もサカムケ(酒迎)の準備をして迎え、合同で盛大な酒盛りをしていたと伝わっています。
たびたびオットイされていた大人気の田の神さあがこちら。末永地区の田んぼを見渡せる場所に祀られています。頭にシキ(蒸器と釜の間に敷く藁製品)をかぶり、右手に飯杓(めしげ)、左手にはお椀を持っています。このスタイルは「農民型」と呼ばれ、えびの市内で最も多いタイプです。
いろんなタイプの田の神さあをじっくりあじわう
また、「神官型」という田の神さあもあります。えびの市内では2番目に古く(享保10年)、衣冠束帯のような服装が特徴。神官型は霧島噴火の被害地方に多く、宮崎県で始まったといわれています。
石像が造られる以前は、自然の石を立てて田の神様を祀っていたといわれていますが、こちらのように顔を書いて偶像化するものも見受けられます。
農民型と自然石のセットや自然石ばかりを集めたもの、ペイントをしているものやしていないものなどいろんあタイプがありますが、中には、夫婦のような男女がセットになった田の神さあもあります。墓地の入口に祀られているので、何か云われがあるのかもしれませんね。
他にも「地蔵型」というのがありますが、薩摩藩がキリスト教とともに一向宗(浄土真宗)を厳しく禁止したこともあり数は少ないです。
ガイドブックに載っていない田の神さあ
地図を頼りに車を走らせていると、ガイドマップに載っていない田の神さあを見つけることもあります。この偶然の出会いは大変嬉しいものです。
えびの市では昭和61年より「田の神さあ」をシンボルにした「田の神さあの里づくり」運動を行っています。薩摩藩の推奨した政策が時を越えて、今では「米どころ」におけるブランドづくりや観光振興にも役立っているということでしょうか。町中の至るところで田の神さあの像やイラストを見かけます。
霧島連山の恵みは温泉と手つかずの大自然
霧島連山の麓に広がるえびの市は、宮崎県を代表する温泉地。京町温泉郷、吉田温泉、えびの高原温泉、白鳥温泉、加久藤、飯野の6つのエリアで名湯を堪能できます。温泉宿でゆったり寛いだ翌日は、趣向を変えて自然豊かなえびの高原などにも訪れてみたいですね。 

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