百名城にも続百名城にも選定されなかった茨城県の名城「小幡城」


2018.04.25

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日本城郭協会は2007年に、日本の名城を百城選び「日本百名城」として選定し、それから10年後の2017年に更に百の名城を選び「続百名城」として発表しました。著名な城や無名の城もありますが、名城に値する城ばかりです。
でも200城に漏れた城の中にも名城はあります。その中でも「茨城県 小幡城」は、その城郭構造や保存状態から、まさに名城中の名城と呼ぶに相応しい城です。さあとくとこの小幡城をご覧あれ!
城の入口はすぐに曲がって暗く、先を見通すことも叶わない!
城入口の駐車場は、普通乗用車なら4~5台分ありますが、観光で使う大型バスで来ることは出来ません。まるでこの場所は放っておいて下さいとでも言わんばかりの狭さです。公共交通機関では水戸駅から数時間に1本バスがあり、最寄りの新小幡バス停から約20分歩くと着きます。
入口に立ってみると、何の手入れもされていない、ただの里山のように思えるかもしれません。でも少しずつ分け入ってみると、折れ曲がった土塁と空堀がずっと続き、攻め入ってきたものを惑わす仕掛けが幾つも見られるようになります。
城域内には迷わぬように、地元の方が手作りした案内板が!
廃城となった城域内に入って見ると、道が幾重にも分かれています。手造りの案内板がなければ行き止まりの道に迷い込んで、また元の道に引き返すことになります。ここを攻めた侍たちは、この仕掛けに誘い込まれて、行き止まりの道の突き当りで待ち伏せしていた城を守る侍に、命を奪われてしまったに違いありません。
でも鬱蒼とした林の中なのに、道がきれいに整備されていて、歩き易くなっています。通常の林では樹木が乱雑に生い茂り、足元には木の根が生え、枝が折れ垂れ下がっていて、歩き難くなっているのが当たり前です。地元の方がたまにしか訪れない観光客の為に、きちんと整備を続けています。
天候が良く晴れた午前中でも、城の奥深くは暗がりの様に!
空堀の底を歩いて約15分、本丸の近くまで来ると一段と高い処に、櫓台跡が見えてきます。ここまでは空堀の底から土塁の上に上がる道がありませんでしたが、ここからは不揃いな間隔の滑りやすい階段を上って、櫓台跡に上がることができます。
櫓台から見下ろすと、空堀の底でどうやって攻めようかと、もがいて慌てふためいている敵兵の姿が見えるようです。とかく戦いと言うものは、上から下へ攻める方が有利です。守っている侍たちも、この地形の縄張りなら少し安心して敵を迎え撃つことが出来たと思われます。
本丸跡には城主が暮らした跡と、落城時に姫が身投げした井戸も!
本丸跡に上がってみると、これまでの曲がりくねった空堀が想像できないくらい広々としたあっけない空間が、ただ広がっています。でも周りを見ると土塁が一段と高く積まれ、空堀との高低差が一段と険しくなっています。
敵が攻めて来た時、城主の一族は戦って打ち破る気力を充実させるでしょう。でも女性だけの立ち場になれば、自害する・身を投げる場所を探すという、身の処し方を考える事でしょう。金の鳥を抱いた姫が井戸に身を投げたという伝説もあります。城主一族の定めとはいえ、戦の表と裏を想像するといたたまれません。
本丸跡からの帰り道は少し明るく思えても、亡霊の影が見え隠れ!
帰り道は本丸まで攻め込み城を落とした敵将の立場になって、城の出口に凱旋気分で向かう、とは行きません。心なしか、何となく後ろに落武者の亡霊が付いて来ているような気がします。日の当たる午前中でもそんな気分になるなら、日暮れ時に一人で来たら、背筋が凍りつくような気分になる事必定です。
来た時と同じ入口なのに、なぜか急いで駆け抜けたくなります。城郭部分を抜け出すと、周りには長閑な田舎の風景が広がっており、ほっと一息つくことができます。一度来たからこれでこの城には来なくてもいいな、と言うよりまた来年も来てみようと思わせる、不思議な魅力を持った名城です。
この「茨城県 小幡城」は、城郭の構成が昔の形状そのままに残っています。アクセスの悪さからも、この城に団体観光客が訪れる事はあまりありません。今がチャンスです。広く知れ渡る前に、真の名城「茨城県 小幡城」にあなたも訪れてみませんか! 

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