若き良寛が修行した倉敷玉島・円通寺の美しき庭園と茅茸の本堂


2018.07.08

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岡山県倉敷市玉島の曹洞宗「円通寺」は、行基の開山と言われる歴史あるお寺です。そして新潟生まれの高僧・良寛がこの寺で十数年の修業をしています。良寛といえば子供たちと手毯をつき、かくれんぼをしていたという僧侶ですが、歌人、書家としても一流の人。
円通寺は庭園が美しいことでも知られ、見どころが多くあります。特に初夏の頃の蓮は見事であり、本堂は日本の美を感じる茅葺屋根。様々な景観を堪能しましょう。
美しい庭園と蓮池
岡山県倉敷市玉島の曹洞宗「円通寺」は、無料の駐車場から本堂まで風が心地よい林の小道を通り、美しい庭園を見ながら歩くことが出来ます。
初夏の頃からの色鮮やかな蓮を鑑賞しながら、静かな佇まいの蓮池を楽しんでみましょう。
オオシオカラトンボの青さも、目に鮮やかに映るのでは。
青銅の仏
蓮池から振り返り見上げると、倉敷市の文化財となっている青銅露座地蔵菩薩坐像を見つけることが出来ます。やさしい表情で見下ろす地蔵菩薩。日常の様々な問題から、解放される気持ちになれるかも知れません。
円通寺そして茅葺屋根
円通寺(えんつうじ)の山号は補陀落山。本尊は聖観音菩薩。正確な創建は不詳ですが、奈良時代の高僧である行基菩薩による開山と伝えられています。
時代は江戸時代となり元禄11年(1698年)に、徳翁良高禅師によって円通庵と名づけられました。その後、正徳年間(1711年-1716年)に現在の寺号となったと言われます。
円通寺の本堂は見事な茅茸屋根となっています。日本の古き良さを、そのまま感じることが出来るのではないでしょうか。迫力ある茅葺の本堂を、様々な角度から眺めてみましょう。
本堂と良寛堂の間にある像は良寛。旅をしている良寛像ですが、どこか優しさが伝わって来るのでは。
日本の高僧の中でも穏やかな印象がある良寛。生まれは新潟県三島郡出雲崎町で、昔風に言うならば越後国出雲崎です。僧侶でありながら歌人、書家と多彩な才能を開花させた良寛は18歳の時、突然出家したと伝えられています。
そして幼少の頃に学問をした曹洞宗「光照寺」に入り修業を開始しました。その後、安永8年(1779年)22歳の時、出会った倉敷玉島「円通寺」の国仙和尚を生涯の師と決め、師匠のもとで修行することにしたのです。
良寛が過ごした良寛堂
良寛が十数年もの間、寄宿した場所が現在の「良寛堂」となります。本堂から見て左側にある良寛堂ですが、良寛堂という名前は後に付けられたもの。
この寺にいた頃の良寛はあくまでも修行僧だったのです。それでもこの場所で生活をしていたのは事実であり、歴史の重さが感じられるのではないでしょうか。
厳しい戒律を守って修行中の良寛は、修業4年目に母親の訃報を知らされます。しかしながら故郷の新潟に帰ること無く修業を続けたのです。一人の僧侶として認められたのは寛政2年(1790年)のこと。そして34歳にして諸国を歩くこととなります。
そこに今度は父親の訃報が来ます。しかしこの時も郷里には帰りませんでした。後に子供たちと手毬をし、かくれんぼをしていた良寛からは想像が難しい一面では。
円通寺の中で
それでも良寛和尚の印象となれば自分の寺を持たず、質素な生活をし、子供たちと遊び、近隣の住人に分かりやすい仏教を伝えた生涯ですので優しい人、あるいはほのぼのとした印象を持っている人も多いのではないのでしょうか。
その良寛の優しさも、若き日の厳しい修行時代があったからこそ。その重要な場所が倉敷玉島の円通寺なのです。
厳しい修行をした良寛ですが、もし池で虫捕りをする子供や雀の姿を見たら、微笑んでいたかも知れません。
円通寺は現在、囲通寺公園として広く開放されています。また円通寺に通じる麓には、良寛が托鉢をしたと言われる道も残されています。
倉敷は美観地区が有名ですが、玉島に吹く海風を受けて歩いた若き日の良寛を感じながら、周辺を含めて散策するのも面白い旅となるのでは。 

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備中玉島円通寺
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岡山県倉敷市玉島柏島451
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0865222444
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