高知・四万十川支流で回る水車群!美しき「安並水車の里」


2018.01.15

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高知県四万十市は、最後の清流とまで言われる四万十川が有名です。その四万十川の支流になる後川。この流れで美しき水車を見ることが出来ます。それが「安並水車の里」なのです。
水車が並ぶ道路脇には無料の駐車場があるので、時間を気にする必要はありません。のどかな田園風景の中に並ぶ水車をゆっくりと眺め、日本の原風景ともいえる美しき様子を水車の回る音とともに楽しんでみてはいかがでしょうか。
安並水車の歴史
安並水車はどのくらい古い歴史を持っているのでしょうか。遡ること藩政時代。土佐藩の家老であった野中兼山(元和元年(1615年)一寛文3年(1664年))が、四万十川の支流から潅漑用に水路を作ったのが始まりとされています。
野中兼山は、この他にも多くの土木工事を行っています。堤や港を数多く整備し、中でも現代港湾技術の原点とまで言われる手結港は高く評価されています。日本で最初と言われる堀込み式であり、慶安3年(1650年)から約5年をかけて工事を行ったのです。
水車の里と呼ばれるこの地の水路工事は、周辺の四つの村に十分な水を供給したいということが理由でした。その規模は長さ160m、幅11mにもなります。四つの村とは安並・秋田・佐岡・古津賀となり、このうちの安並で見ることが出来るのが「安並の水車」なのです。
水路はかつて「溝」と言われており、四つの村に利用されたことから四ケ村溝と呼ばれていました。現在は約15基となっていますが、明治の頃には約50基が回っていたのです。
なぜ、それだけの水車が?
では、なぜ数多くの水車が設置されたのでしょうか。それは水路だけを敷設するのでは、稲作用として水の利用が困難だったからです。この付近は平たんな地形となっており段差が少ないことから、数多くの水車を利用して水を高い所にくみ上げ、それを田んぼに流すようにしたのです。
石高を増やす。これは藩政時代には重要な課題でした。野中兼山の土木作業は土佐藩の第二代藩主・山内忠義(文禄元年(1592年)一寛文4年(1665年))から命じられたものです。土木工事を行うことで水路を整備し、コメの収穫を増やしたのです。
ガタン、ゴトンと聞こえる水車の音は実に気持ち良いものです。その水車は現在、観光用となっています。これらは地元の人たちをはじめとして維持管理されており、四万十市の観光地の一つ。足を運ばないのはもったいないと言えるのでは。
のどかな風景
並ぶ水車の周辺は田園。最後の清流「四万十川」の支流から作られる米ですから、その味も格別なことでしょう。
広々とした空間の中、回る水車により作られた高低差で流れ落ちる水の音。川の流れと水車からの流れという異なる水の音が、独特の世界観を作り出しています。これらをのんびりと眺めてみるのも、旅の面白さではないでしょうか。
ところで、水路脇に植えられている約450本のアジサイの見ごろは、5月中旬から6月中旬。この季節に訪れると、回る水車だけではなくアジサイの美しさも楽しむことが出来ます。
なお、「安並水車の里」は観光地として整備されてはいますが、水車の周囲は一般の方の敷地となっております。水車周辺を歩くことは問題ありませんが、田んぼのあぜ道等は許可なく入らないようにしましょう。また、観光中は足元に注意し、水路に転落をしない、そして水車に触れない等、安全に関することも守るようにして下さい。 

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安並水車の里
place
高知県四万十市安並

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