2016.5.8更新

激動の日本を先導した江戸幕府の怪人の墓

勝海舟夫妻の墓

  • 公園・名所・史跡

幕末明治期に活躍した「勝海舟」の名前くらいは誰もが知っていることでしょう。海舟は幕府の長崎海軍伝習に参加した後、万延元年(1860)に咸臨丸の艦長となって福沢諭吉らとともにサンフランシスコに渡ります。また、幕府側の代表として官軍の西郷隆盛と会談し、江戸城の無血開城に尽力。明治維新後も海軍卿、伯爵、枢密顧問官などを歴任しています。その勝海舟が妻とともにここに眠っています。

洗足池の風景に感嘆し、別邸と墓所を設けた

勝海舟夫妻の墓 東急池上線洗足池駅から歩くこと10分。池の東側、洗足池公園のすぐ近くに勝海舟夫妻の墓があります。鳥羽・伏見の戦いで幕府軍が敗れると、15代将軍徳川慶喜より幕府軍の代表を命じられたのが勝海舟。
官軍の参謀であり薩摩の怪物と呼ばれる西郷隆盛との会見のため、官軍の本陣が置かれた池上本門寺を目指していたときに、洗足池の深山の自然に感嘆。後にこの地に別邸「洗足軒」を建て、「富士を見ながら土に入りたい」との思いから別邸背後の丘を自らの墓所と定めます。
また、寄り添うように立つ墓は、妻、民子の墓ですが、これは後に青山墓地から移設されたものです。

西郷隆盛を思い、勝海舟が建てた碑

勝海舟夫妻の墓 勝海舟は西郷隆盛の会談によって官軍の江戸城総攻撃を回避(無血開城)し、江戸を戦火から救った話は有名ですが、一方の西郷隆盛は、明治初期に起こった士族たちの武力反乱である西南戦争によって死去します。これを惜しんだ勝海舟は、西郷隆盛の三回忌にあたって内密に留魂詩碑を建立。碑には安政の大獄の後、沖永良部島での流罪生活中に西郷隆盛が読んだ詩が刻まれています。
当初は葛飾区の木下薬師浄光寺境内に建てられていましたが、荒川放水路開墾に伴い、現在の場所へ移されました。いまなお豊かに残る閑静な洗足池と勝海舟の墓が、幕末の偉人たちが歩んだ歴史を思い起こさせてくれます。

勝海舟夫妻の墓の基本情報

住所 東京都大田区南千束2-14-5 洗足池公園内
アクセス 東急池上線「洗足池」駅より徒歩10分
お問い合わせ 03-3777-1070(郷土博物館)

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