2016.5.8更新

「板垣死すとも自由は……」。旧東海道で歴史散歩

板垣退助の墓所(品川神社)

  • 公園・名所・史跡

板垣退助といえば、明治時代の流行語にもなったといわれる「板垣死すとも自由は死せず」が有名です。暴漢に胸を刺され、流血しながらこのセリフを残したとされますが、実は本当かどうかはっきりしていません。明治を代表する政治家として、自由を象徴する存在となった板垣退助の墓は、旧東海道沿いの品川神社の境内横の敷地にあります。4番目の妻、絹子の墓と並んで建ち、いまなお参拝に訪れる人が絶えません。

板垣退助ってどんな人?

板垣退助の墓所(品川神社) 土佐の上級武士の家に生まれた板垣退助は、同じ土佐藩の中岡慎太郎(陸援隊)とともに討幕派の急先鋒となって武力倒幕を主張し、薩摩藩の西郷隆盛とは「薩土密約」といわれる軍事同盟を結びます。明治時代に自由民権運動を掲げたため政治家というイメージが強い板垣さんですが、もともとは、いまでいえばバリバリの軍人さんだったのですね。薩摩藩と長州藩に遅れてなるものかと突入していった戊辰戦争では、難攻不落といわれた会津若松城を陥落させて名をあげ、木戸孝允、西郷隆盛、大隈重信とともに明治政府の参与となり、名実ともに明治を代表する政治家となっていったのです。

大きな墓石が2つ。かたわらには佐藤栄作元総理の筆によるあの名セリフ

板垣退助の墓所(品川神社) 板垣退助の墓がある場所は、もとは東海寺の塔頭高源院(こうげんいん)という寺院があったところ。関東大震災の後に高源院が世田谷に移転した際、墓だけが残ったのだそうです。
墓のかたわらには、もちろんかの有名な「板垣死すとも自由は死せず」の文字が刻まれた石碑が建っています。実はこの場所は、隣にある品川神社の境内地ではないのですが、お墓参りに訪れる人のために、一部を開けてお参りができるようにしているとのこと。

いまも人々の信仰を集める板垣退助一族の墓

板垣退助の墓所(品川神社) 一番右手の「邦光院殿賢徳道圓大居士」と書かれた板垣退助の大きな墓石を筆頭に、ここには4番目の夫人である絹子や、四男・正實、五男・六一、祖父・乾信武、さらには四男・正實の乳母であった青木タキの墓まであり、板垣退助ゆかりの人々が揃い踏み。貴重な歴史文化遺産として、品川区史跡にも指定されています。
「自由」であることが当たり前になった現代ですが、いまだに参拝に訪れる人が絶えないというこのお墓。天国の板垣さんは、いまの日本を見て何を思うのでしょうか?

板垣退助の墓所(品川神社)の基本情報

住所 東京都品川区北品川3-7-15
アクセス 京浜急行「新馬場」駅北口より徒歩5分
お問い合わせ -

公園・名所・史跡の他の記事を見る

日本古来の美を凝縮した、京都よりも京都らしいといわれる日本庭園

三溪園

日本古来の美を凝縮した、京都よりも京都らしいといわれる日本庭園

県庁や市庁があるエリアのすぐそばに、広さ東京ドーム約4個分にもおよぶ一大日本庭園があるのをご存知です…

はじまりはココにあり。ホテルニューグランド発祥の味が大集合

コーヒーハウス ザ・カフェ(ホテルニューグランド)

はじまりはココにあり。ホテルニューグランド発祥の味が大集合

関東大震災で崩壊した横浜の衰退に歯止めをかけるべく建設され、ハイカラな文化を発信してきたホテルニュー…

いつ訪れても新しさに満ちている、みんなが集うコスモポリス横浜

YCC ヨコハマ創造都市センター

いつ訪れても新しさに満ちている、みんなが集うコスモポリス横浜

1929年に第一銀行横浜支店として建てられた建物は、列柱が印象的な半円形バルコニーをもつ重厚な外観。…

ネコ好きは横浜に集まれ!横浜を愛したネコ好き文豪スポット

大佛次郎記念館

ネコ好きは横浜に集まれ!横浜を愛したネコ好き文豪スポット

横浜で生まれ、横浜を愛し、無類のネコ好きだった文豪・大佛次郎。「鞍馬天狗」や「赤穂浪士」などの小説、…

この記事を紹介した人

大江戸 みらい

大江戸 みらい
みなさま、こんにちは。ちょっと保守的な私は、旅行に行くときはとりあえずガイドブック片手に、定番観光地をまわります。
でも一言で定番と言っても、いろんな楽しみ方があると思うんです。温泉地一つ取っても見るべきものは沢山ありますよね?
私の記事はそんな紹介の仕方ができたらいいなと思いながら書いています。拙い文章ではありますが、少しでも参考にしていただけると嬉しいです。

top