本妙寺
遠山の金さんのお墓参りもできる徳川家ゆかりの寺院
徳川家康とともに江戸へ
本妙寺は1571年(元亀2)、駿河(現、静岡市)に創建された。法華宗の寺で山号は徳栄山。この山号には、徳川家が栄えるようにとの意味が込められている。本妙寺は創建当時より、徳川家にとって重要な寺だったわけである。1590年(天正18)、徳川家康の江戸入りにあわせて、本妙寺も江戸へ移った。当初は江戸城清水御門内にあったが、その後、牛込御門内、小石川といくつか場所を変え、1636年(寛永13)に本郷丸山に移転した。現在の本郷5丁目、本郷通りを挟んだ東京大学の反対側辺りに、約2万平方メートル(約6000坪)の敷地を構える大寺院だったという。本妙寺跡には本妙寺坂が今もある。法華宗の諸事情により本郷丸山の土地を売ることとなり、1908年(明治41)に現在の巣鴨へ移転を開始。移転作業が完了したのは3年後のことだった。
著名人のお墓参りへ
本妙寺は歴史に登場する人物などをはじめ、著名人の墓が多いことでも知られる。たとえば千葉周作。江戸後期の剣豪で北辰一刀流の開祖として知られる。囲碁の家元である本因坊歴代の墓もある。最も有名なのは「遠山の金さん」として時代劇で愛されている遠山金四郎だろう。本名は遠山景元(かげもと)。江戸時代後期の1793年(寛政5)に生まれ、1840年(天保11)に北町奉行、1843年(天保14)に大目付、そして1845年(弘化2)に南町奉行となり以後7年にわたって務め隠居。悠々自適の生活を送っていたが1855年(安政2)に病没し、本郷丸山にあった本妙寺に葬られた。その後、寺の移転にともなって、現在の場所に改葬された。そしてもうひとつ忘れてはならないのが、「明暦の大火」の供養塔だ。本妙寺はこの大火の火元としても有名なのだが、実はそれは違うという説もある。
火元は別の場所だった?
1657年(明暦3)の旧暦1月18日に出火した「明暦の大火」は、江戸の6割余りを焼き尽くし死者は10万人に達したとされる。本妙寺の檀家の娘が、供養のために庭で燃やしていた火に投げ入れた袖が強風で舞い上がって火事の原因となったといわれたことから「振袖火事」とも呼ばれる。だが、火元は本妙寺ではないという「本妙寺火元引き受け説」も存在する。本来は火元に対しては厳罰が下る。だが、本妙寺は当時の本郷丸山に数年後再建され、さらに幕府と寺院の間を取り次ぐ役目に寺院の格が昇格している。火元であったならば、ありえないことだった。本当の火元は、本妙寺の隣の老中阿部家だったという説がある。老中の失火が原因で江戸の大半を焼失したとなれば、幕府の権威は失墜しかねない。徳川のために本妙寺に汚名を着てもらったのではないかと考えられているわけだ。真偽ははっきりとはしていないものの、本妙寺は沈黙することで幕府を守り通したのかもしれない。
スポット詳細
- 住所
- 東京都豊島区巣鴨5-35-6 地図
- エリア
- 巣鴨・駒込・王子エリア
- 電話番号
- 0339171558
- 時間
- [寺務所]8:00-16:30
- 休業日
- 無休
- 料金
-
[参拝料]無料
※参拝時は寺務所へ - 駐車場
-
あり(10台)
※駐車場ではなく駐車スペース - クレジットカード
- 不可
- 電子マネー/スマートフォン決済
- 不可
- Wi-Fi
- なし
- コンセント口
- なし
- 喫煙
- 不可
- 滞在目安時間
- 0-30分
情報提供: ナビタイムジャパン
- アニメスポット情報
※ナビタイム調べ
クチコミ
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- 山門・本堂が立派
- こちらは、徳栄山総持院と号し、法華宗陣門流総本山本成寺の別院だそうです。山門・本堂がとても立派でした。ここには千葉周作、遠山金四郎が眠っていました。
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- 立派な山門と本堂があり、都会とは思えないほど広い境内でした。
- JR巣鴨駅からゆっくり歩いて20分ほどの場所にあるお寺です。立派な山門と本堂があり、都会とは思えないほど広い境内でした。お墓には有名人も何人も眠っているようですが、この日はあまり時間がなくてお墓詣りまでは出来ませんでした。
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- 有名人の墓が多い
- 巣鴨駅から白山通りを歩いて15分くらい。新潟県三条市の本成寺の末寺です。広い境内には有名人の墓が多い。囲碁の本因坊家、千葉周作、遠山金四郎景元など、あちこち案内板が立っています。
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