河原町妻入商家群
令和に再現された江戸時代の街並み
今も江戸風情を感じる商家の街並み
西国大名と大阪の豊臣氏の間にくさびを打つために、徳川家康によって1609年(慶長14)に篠山盆地に築かれたのが篠山城。「日本名城100選」にも選ばれている城であり、丹波篠山市の中心に位置する城の周辺は、戦争で焼けることもなく、大きな地震に遭うこともなく、今も江戸時代の町割をよく残している。城を取り囲むように建てられた武家屋敷は、一部を除いて家が並ぶ住宅街になっていて、残念ながら往時の面影はほとんどないが、東側に広がっていた町人街は今も昔の街並みが残っている。ここが「河原町妻入商家群」として国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されているエリアで、河原町交差点から東に約600mにわたって延びる河原町通りに切妻屋根の商家が並んでいる。
映画のセットのような絵になる通り
2021年(令和3)に電柱の撤去が終了し、空が広くなった通りをのんびり歩く。この通り(河原町通り)は、城から京都へ至る「京街道」の一部で、沿道の建物の多くが妻入(切妻屋根の三角の側面[妻]に入口があり通りに面している)となっていて、建物の間口は5~8mほどだが、奥行きは40m以上ある、いわば大きな「うなぎの寝床」のような建物が多いのが特徴。灰色の瓦屋根と白い漆喰の壁、昔ながらの格子戸の表構え。映画のセットのような美しい街並みだ。建物のなかでも文化財に登録されているような貴重なものには、それぞれ説明がつけられている。かつてはいろいろな商家がずっと軒を連ねる賑やかな商人街だったが、今では建物は昔のまま住宅街となり、その間にカフェや雑貨店、丹波焼のギャラリーなどが点在している。軒先に飾られた古い看板がいい味を出している。
幻の力士が祀られた神社を訪ねる
河原町妻入商家群を訪れたら、すぐ近くの王地山(おうじやま)にもぜひ足を運びたい。丹波篠山市内を見渡す小高い丘で、日蓮宗の寺「本経寺」と「王地山まけきらい稲荷」がある。河原町通りの中ほどのT字路を北に折れて坂道を200mほど上がっていくと、右手にたくさんの鳥居が連なる参道が現れる。この先にあるのが「王地山まけきらい稲荷」だ。この変わった名前は、江戸中期の殿様、篠山藩12代藩主青山忠裕(あおやまただやす)公に由来する。幕府では老中まで勤め、領民にも慕われた名君だった人物。ある年将軍の御前で行われた大相撲で、それまで負け続けてきた篠山藩出身の8人の力士がこの年は連戦連勝。ずっと不機嫌だった殿様は大喜びで、全員に褒美を取らせようとしたが、力士たちが見当たらない。調べてみると、8人はそれぞれ篠山にある稲荷がある地名だとわかった。負けず嫌い(まけきらい)の殿様を喜ばすために、お稲荷さんが力士になって江戸に行ったのではないか。そんな話が当の殿様の耳にも届くと、殿様はそれぞれの稲荷に絵馬などを奉納して感謝を表したという。その力士のひとり、王地山平左衛門が祀られている神社がこの社だ。勝利祈願、学業成就などのご利益がある。
100年を経て復活した窯
王地山は丘陵全体が王地山公園となっていて、桜と紅葉の名所としても知られている。ここにはもう1つ訪れたい場所がある。前述の青山忠裕公は半世紀にわたって藩主の座にあり数々の功績があったが、1818年(文政元)に京都の名工を招き、王地山の地に窯を開いたこともそのひとつだろう。美しい青磁で知られる王地窯は、嘉永年間(1845~1854)に最盛期を迎えたが、その後徐々に廃れていき、1869年(明治2)に窯の火が消えてしまった。それが1988年(昭和63)、当時の篠山町と住民が力を合わせ、100年以上の時を経て、当時の技法を再現した幻の「王地焼」を復活させたのだ。窯があるのはまけきらい稲荷への参道のすぐ隣。現在は王地山陶器所という名称を受け継ぎ作品を世に送り出している。ギャラリーへの入館は無料。制作体験(要予約)もできるので、河原町妻入商家群の町歩きと一緒に試してみるのもいいだろう。
スポット詳細
- 住所
- 兵庫県丹波篠山市河原町 地図
- エリア
- 三田・丹波・篠山エリア
- 電話番号
- 0795523380
- 時間
- 24時間
- 休業日
- 無休
- 料金
- 無料
- 駐車場
-
あり(19台)
※終日利用
※有料駐車場 - 滞在目安時間
- 30-60分
情報提供: ナビタイムジャパン