碓氷関所跡
まるで時代劇のワンシーン! 木立に囲まれた関所の遺構
江戸防衛の要、中山道の最重要地点の存在感
旅支度を整えた人々が、険しい顔の役人の前に手形を示して通行を許してもらう--。時代劇でおなじみのシーンが実際に繰り広げられていたのが、碓氷関所だ。ここは、1623年(元和9)から1869年(明治2)までのおよそ250年間、江戸防衛の要であり、中山道の最重要地点であった。鉄砲のような破壊的な武器が江戸に持ち込まれることや、人質として江戸に住まわせていた大名の妻子が国元へ逃げ帰るのを取り締った厳しい関所だったという。今は1959年(昭和34)に復元された東門のみが残り、県の史跡に指定。決して華のあるスポットではないが、ぜひ一度訪ねてほしい。現地を訪れる前に、関所にまつわる話を知ると、今と変わらない人間の熱い思いが心に刺さる。
史料展示室で見る本物の手形にドキドキ
JR信越本線の終着点である横川駅から、碓氷峠鉄道文化むらを左手に見ながら歩くこと約3分。日本家屋風の建物が見えてくる。ここが碓氷関所史料展示室を併設した観光案内所。館内には周辺施設のパンフレットが置かれていたり、安中のお土産品を販売していたりして、市内の観光スポットや名物がひと目でわかる。
碓氷関所史料展示室は、入り口の左手。関所の役割や当時の様子をわかりやすく、地図やイラストを用いたパネルで記している。役人の羽織と袴、こん棒が当時の様子をリアルに今に伝える。本物の手形も展示。当時の人々が、この手形を握りしめて関所に向かったと思うと、こちらまでドキドキする。当時、関所破りは重罪。見つかれば磔の刑に処されたが、道に迷ったことにしてそっと山の中に逃がしたというエピソードも記されている。
焦げ跡、見つかる?
史料展示室からさらに歩くこと2分。まず目に入るのは「東門跡地」の案内板。かつてはこの案内板の場所にあった東門だが、道路上に当たるため、番所があった場所に移築・復元したという。案内板からおよそ200m。石垣の上に建つ東門が見えてくる。木立に囲まれたなかに東門がどっしりと建つ様子は、時代劇のワンシーンを切り取ったかのよう。
当時は、中山道を東門と西門で区切り、その間を木柵で囲った約95mが関所内だったという。西門を管理していたのが江戸幕府だったのに対し、東門は安中藩。全国の関所とともに役目を終えた碓氷関所が取り壊されるとき、東門は燃やされそうになるが村の人によって守られ、市内で大切に保管されたという。人々の愛情によって残されたのだ。よく見ると門に焦げた部分が残っている。
大名や公家の休憩所、五料の茶屋本陣
参勤交代で街道を通る公家や武士の休息場を茶屋本陣と呼ぶ。中山道にも数か所ある。現存していて整備され、見学ができるのが、五料の茶屋本陣。「明治天皇北陸東海道御巡幸」のときにも使われた貴重な施設でもある。2棟ある茶屋は、宿場にある宿泊用の本陣ではなく、名主の住まいだったが、造りは本陣さながら。上段の間、床の間、庭園などが設えられた格式の高さを誇る。
2棟とも名主が中島姓だったため、建物の位置から「お東」「お西」と呼ばれている。当時の建物は、1806年(文化3)の大火事で損失。驚くことに、同年中に再建されたという。お西の2階は資料館。当時の様子をうかがえる貴重な資料が見られる。スタッフによるていねいな解説が興味深い。
スポット詳細
- 住所
- 群馬県安中市松井田町横川573-2
- エリア
- 西部エリア
- 電話番号
- 0273827622
- 駐車場
- あり(8台)
- クレジットカード
- 不可
- 電子マネー/スマートフォン決済
- 不可
- Wi-Fi
- なし
- コンセント口
- なし
- 喫煙
- 不可
- 滞在目安時間
- 0-30分
情報提供: ナビタイムジャパン
クチコミ
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- 番所跡に復元された東門
- 横川から中山道を碓氷峠に向かって歩いて行くと、右上の高台に門があります。関所の門が街道から離れた高台にあり、違和感を感じていましたが、番所跡に当時の材木を使用して復元された東門であることを知り、納得しました。実際に東門があった位置には位置を示す柱が立っています。無料の資料館もありましたが、開館しているのは、4月5月10月11月の土曜日曜祝日だけなのが残念です。
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- 日本三代関所跡
- 横川駅から歩いて5分もかかりません。アプトの道に行くならちょっと時間を割いて関所跡を訪れるはどうでしょうか。4月に行った時は門脇の桜が見事でした。箱根、新居と並んで日本三代関所跡の一つなのですが、建物はなく門が残っていて柱と扉が江戸時代のものだそうです。おじぎ石という通行人がそこに手をついてお辞儀をしたという意思も残っていました。アプトの道の起点近くに「碓氷関所資料展示室」があるのでそちらと合...
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- 寂しい雰囲気でした。
- 東海道の難所である箱根峠、中山道の難所である碓氷峠ともに超えるのが困難と言われた場所に関所跡があります。当時の部材を使って東門が復元されているぐらいで建物はありません。他には旅人が役人におじきをして通行手形を差し出して通行の許可を受けた「おじぎ石」や小さい史料館があるぐらいです。場所も当時関所のあった場所ではなく、番所の跡に復元されたものだそうです。歴史的な意味であればもっと注目されて...
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