香川家長屋門
錦帯橋架け替えの棟梁が造った武家屋敷の重厚な門
武家屋敷の構えを残す岩国でも最も古い建造物のひとつ
錦帯橋を渡り、さらに目の前の錦川沿いの道「錦帯橋いざない街道」から200mほど先には緑豊かな吉香公園が広がっている。街道から公園入り口までの道は幅20mくらいの遊歩道になっていて、中央に緑地が設けられている。そのいちばん川寄り中央には錦帯橋を架けた岩国領主3代目の吉川広嘉の銅像が立ち、両側に人気のソフトクリーム店や土産物屋、カフェなどが並ぶ。一帯は吉川氏の居館があった場所であり、歴史的建造物や美術館、史料館などが点在していて、岩国を訪れる旅行者が必ずといっていいほど足を踏み入れる場所だ。この遊歩道の公園側、錦帯橋を背にして右にあるのが香川家長屋門。荘厳な瓦屋根に白塀が続く大きな門であるものの、周囲の風景に溶け込み、静かに建っているので見落としてしまいそうになるが、岩国市の歴史的建造物としては最も古いもののひとつ。武家屋敷の構えを良く残しており、県の有形文化財に指定されている。
手がけたのは錦帯橋工事で活躍した棟梁
門は岩国領主に仕えた五家老の一家、香川家の屋敷の表門だ。1693年(元禄6)に香川正恒が建立したもので、設計と建設をしたのは大屋嘉左衛門(おおやかざえもん)。18歳で錦帯橋架橋に加わり、のちに元禄時代の錦帯橋架替で棟梁も務めた人物だ。このときに嘉左衛門が造った1699年(元禄12)作の図面は、現存する錦帯橋の最古の設計図で、2002~2004年(平成14~16)の平成の大架け替え事業は、これを元に行われた。反り橋の橋脚上部の積み石に工夫を凝らし、雨水が橋脚内部に入り込むのを防ぐ工夫をするなど、大きな改良を行った優れたものだったという。その高い技術をもって造られた長屋門は、重厚で頑丈な造りであることを感じさせる一方、瓦に香川家の家紋をひとつずつていねいに刻むという繊細な仕事もされている。当時の武家のしきたりに基づき、表門である長屋門のほかにも、通用門や平時門など、いくつかの門が造られ、使用できる身分や用件が決められていたという。
岩国領の名門だった香川家
香川家というのはもともと鎌倉氏の流れにある氏族で、承久の乱の功績で安芸国八木(現在の広島市)を与えられた香川経景の子孫と伝えられる。一族は戦国時代初期には安芸武田氏に従ったが、大内氏や毛利氏との戦いによって勢力が衰えたため、当時の当主の香川光景が離反して毛利氏に従った。関ヶ原の戦いで毛利氏が防長に移封され、岩国領が創設されると、客将から岩国藩五家老の一席に迎えられた名門家だ。その後も吉川家の重臣として政に深く関わり、岩国を支えてきた。代々の当主には、国文学者や歌人として活躍した人物もいる。とりわけ1613年(慶長18)に生まれ、江戸初期に家老を務めた香川正矩(かがわまさのり)は文人として知られ、吉川家の軍略を後世に伝える「陰徳太平記」を執筆した。刊行前に死去したため、次男の景継が補筆して完成させたもの。当時の西国の様子を伝える貴重な資料として知られる。
錦帯橋や岩国城の歴史を感じる武家屋敷通り
香川家長屋門は道路からの外観はいつでも見ることができる。たまに門の扉が開けられていることがあり、この時は中をのぞいてもかまわないことになっている。内部の見学は残念ながらできないが、外側からだけでも武家屋敷の面影はたっぷり感じることができるし、見上げれば岩国城を望むこともできる。絶好の撮影スポットでもあり、岩国城や柏原美術館などの行き帰りにはぜひ足を止めて見てみてほしい。
スポット詳細
- 住所
- 山口県岩国市横山2 地図
- エリア
- 岩国・柳井・周防大島エリア
- 電話番号
- 0827285353
情報提供: ナビタイムジャパン